言葉と教え

トリプラ・ラハスヤ(三位一体の母なる女神の秘密)2日目

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パームリーフ(ヤシの葉)に手書きで書かれた、トリプラ・ラハスヤについての本がありますが、今日、私たちがそれを入手することは出来ません。アートマ・タットヴァ(真我の真理)についてのわずかな章のみ、現在入手できます。シュリ・シャンカラ・バガーヴァタ(シャンカラチャリア)もまたこれについて多くのことを語っていません。シュリ・マダヴァチャリヤとシュリ・ラーマーヌジャチャリヤもまたこの話題について多くを述べていません。わずかな章のみが復元されています。それ自体人間にとって理解し会得することが難しいものです。私たちはいつも手に入れることができないものを求めます。しかし、まず初めに入手する事が出来るものを学んでください。私がいくつかの本は入手できないと言ったので、皆さんはそれを知るようになりました。もし入手できない本について述べなければ、皆さんはそれについて全く知らなかったでしょう。ですが入手できるもの自体学ぶことが難しいものです。入手できないものについては忘れてください。階段を上るのは難しいことです。ですので、天に昇ろうする志向は放っておきなさい。
家のロフトからスーツケースを移動させるのにはしごを置いて努力して登っても落ちてしまいます。どのようにして天国に行くことができるのでしょうか?出来ません。ですから、すでに入手できるものを学び会得しなければなりません。それは私達のダルマです。そしてそれはトリプラ・ラハスヤの秘密です。もし誰かが耳元に何かをそっとささやくなら、それは不明瞭なものでしょう。それは理解するためにはっきりと話されるべきです。耳に入ってくる秘密でさえ、はっきりと話されるべきです。ですが、ここで話されているアートマ・ラハスヤ(真我の秘密)は耳元でささやかれているように非常にわかりづらいものでなのす。

それはお年寄りがささやくようなものです。耳が不自由だという問題ではありません。言葉がははっきりと話されていません。しかしそれを話す人は、それがなにかを知っています。しかし彼は明確に伝えることができません。アートマ・ラハスヤ(真我の秘密)は、はっきりと理解することが出来ないものです。それは「ラハスヤ」つまり秘密と呼ばれます。学ぶべきものですが、簡単に学ぶことは出来ません。ナンバーロックされた箱を見たとき、そこに何かわからない、秘密があるのを感じます。箱を開けたときだけわかります。私たちは箱を開けようとしないで、あれは不思議なものだといいます。それはおそらくその通りでしょう。なぜなら箱が開けられていないのですから。箱に鍵をかけた人は手に入れることができません。私たちは箱を持っていてそれを開けることができないのです。箱を壊したり、燃やしたりして開けることはできません。その箱を開け、中身を読み解くよういわれたら、そのときあなたの状況はどうなりますか?私たちはそれを秘密と呼ぶのです。
地獄の世界のアイラーヴァナの命は蜜蜂の中に隠されています。彼は妹を拷問にかけたため、妹がこの秘密を明かしました。息子をも拷問にかけました。妹はアイラーヴァナの命の秘密を明かしましたが、殺す方法は明らかにしませんでした。ですので、蜜蜂は死ぬことはありません。アイラーヴァナの命は五匹の蜜蜂の中に隠されています。蜜蜂が殺されたときにだけ彼は死にます。アイラーヴァナの妹はこれらの蜜蜂を殺す方法を明らかにしませんでしたが、違った形で殺す手がかりを与えました。五匹の蜜蜂すべては同時に殺されなければなりません。それはまた秘密です。この点を掴む知性を持ったハヌマーンは五つの違った姿で五匹の蜂すべてを殺しました。これが秘密であったため、誰もアイラーヴァナを殺すことができなかったのです。

さて、アートマ・タットヴァ(真我の真理)もまた最も不可解であり、知られざるものです。誰もが説明できるものではありません。一般的に人々はそれを知るのに適していません。アートマ・タットヴァについて興味ある人だけが少し知っていますが、他の人は知りません。誰もがアートマ・タットヴァについて話すわけではなく、またどこででも得られるわけではありません。ここで、それについて言及する意図は、解読困難なものは秘密であるということにあります。ですから、アートマ・タットヴァはラハスヤ、つまり「秘密」と言われます。そのため誰も取り組もうとはしないのです。偶然もしあなたが秘密を解こうとしても、それは危険だと人は言います。誰も試みようとしません。アートマ・ヴィデヤ(真我の知識)は難題で、そして恐ろしいものです。教えたり、学ぼうとする人は誰もいません。ですが、学ぶには最も易しいなものです。達成することは難しいですが、関心のある人は達成することができます。これは何なのでしょうか?なぜスワミジは二つの矛盾したことを言うのでしょうか?薬を調合する人はその処方を明らかにしません。その人は調合を商標登録します。でなければ、複製されるでしょう。アートマ・タットヴァ(真我の真理)もその様なものです。
昨日、自分たちを例えにしてこれについて話しました。スワミジはグルとして例えられ、あなたがたすべては弟子として例えられました。あなた方全員がそれをある程度聞きました。理解した人もいましたが、理解しない人もいました。これは自分たちだけのものだと考えた人もいれば、自分には関係ないと考えた人もいました。愚かなことです。これはあなた方全員のためのものです。それは聞いているすべての人のためです。あなたのためではないと感じないでください。あなたは特別ではないのです。あなたがたは同じ論点におり、他の人もまたこのテーマの中にいます。私が今まで言ったことは何であろうと、あなた方だけのものです。自分のためではないと逃げないでください。もちろんあなた方のためであり、そう話しましたし、誰かを通して話していません。誰も私を通して伝えることはできないですし、私の言葉だけがあります。それは誰のために話されたのでしょうか?あなた方だけのためです。それを受け取るも受け取らないも、あなた方次第です。あなた方に受け取ってもらいたいから話しました。でなければ、私は話しませんでした。80点を取った生徒をあなたが叱ると、彼は100点を取るでしょう。0点を取った生徒に小言を言う理由があるでしょうか?彼は先生の所に戻ってくるでしょう。もし彼が有名人の息子なら、先生を転任させてしまうでしょう。ですから先生はそのような生徒に対しては、あまり患わせないようにして関わらないようにします。
昨日私たちは、聖賢ジャマダグニの息子、パラシュラーマについて話しました。彼は正しく、独身で、勇敢でした。彼についてのたくさんの物語を私たちは聞いてきました。彼は悪人を罰し、善人を守りました。彼は地球にダルマを確立しました。もし悪人を非難したら、それはダルマを守っていることになります。誰かがラーマ・ゴーヴィンダの代わりにリャーマ・グローヴィンダとしてバジャンを歌っていたら、リャーマではなくラーマだと言いなさい。リャーマ、リャーマ…リャーマ、リャーマ、リャーマ・グローヴィンダ・・・・バジャンは正しく歌われるべきです。私たちは正す必要があります。正すことは何も間違っていません。それは間違って書かれたかも知れなく、印刷ミスだったかもしれないことを説明してください。正すことはまったく間違っていません。
シュリ・ラーマがシヴァの弓を壊したとき、パラシュラーマは敗北しました。私たちは皆この話を知っています。シュリ・ラーマによって敗北した後、パラシュラーマは間違いに気づきました。その時まで彼は利己的でした。聖賢カシュヤパがパラシュラーマに地上を引き渡すように要請した時でさえ、彼は苦痛を感じませんでした。しかし、シュリ・ラーマの手によって敗北に直面した時、彼は苦痛を感じました。パラシュラーマはそれまで従ってきた道が間違っていたことを悟りました。パラシュパーマは誰も自分を打ち負かすことはできないと感じていました。そのような彼がシュリ・ラーマに敗れた後、間違いに気づいたのです。その時までに彼が得たすべてのものはゴミになり、彼に幸福をもたらしませんでした。

それは私たちにも起こっています。多くの人々は市場に行き、後で使うかもしれないと思い、不必要なものを購入します。塩不足のニュースがあると塩を二十袋買います。塩の袋で家をいっぱいにし放置します。あなたは二十回の転生の後でさえも、その量を消費することは出来ません。これらすべてはマーケティング手法で、私たちは騙されます。セール!セール!五ルピー、セールという告知で目を引きます。愚かです!五ルピーしかかかっていないものです。私たちは走って、五ルピーで買いにいきます。あなたはセールで五ルピーのサリーを買います。ですがそれは蚊よけとしてさえも使われません。それでも私たちはまだ買います。穴がたくさん空いた十本の傘を買います。一本でさえ使いものになりません。二十足の靴を買います。安い値段で買えたと言います。さらに他の人に贈り、もらった人はあなたに文句を言います。さらには、すべての祭りと行事で皆に贈り物を配ると、自分自身を自慢し続けます。すべてを集めては、物が私たちに幸福を与えると感じます。それらは何の役にも立ちません。これらすべての所有物は無駄になり、役に立つことはありません。

あなたは子供を教育するのに苦労したと言います。子供のためでないなら、子犬のためになら奮闘するのでしょうか?娘を結婚させるために苦労したと言います。もし、娘の為でないなら誰のために奮闘するのでしょう?隣人のためですか?あなたの娘なのですから世話をする必要があります。多くの人々は私に言いに来ます。どうか娘を結婚させてください、と。私は結婚ブローカーでしょうか?あなたにとってみれば、スワミジがすべてのプログラムをキャンセルし、娘のために夫を探すべきなのです。しばらくしてから、彼らが喧嘩をすると私の所に来て、娘が結婚したことについて私を責めます。だから今、すべてそういったことをするのをやめて、双方が望むならそうしなさいと言います。私は祝福だけします。結婚ブローカーになるより大罪はありません。決して(結婚を)強制してはいけません。紹介することはいいですが、それを超えてはいけません。人々は私のところに戻ってきて、スワミジがこの結婚を整えましたと言います。文句を言う相手を見つけることができないのです。両家の人々も皆いなくなってしまいました。私だけがここで会うことが可能です。彼らは私から離れることが出来ないのですが、私を冷遇します。ですから私は今、そのようなことについて気に病むことがありません。もし彼ら自身がトラブルに巻き込まれて、何かうまくいかなくなった場合、私の祝福を求めて駆け込んできます。私は祝福し、励まします。そして彼らはまた言います、どうか他の縁組を紹介してくださいと。私には他の仕事がないのでしょうか?人々は言います、スワミジ、上の娘は結婚しました。どうか二番目、三番目の娘のために見てください。誰も息子を連れてきません。娘だけを連れてきます。これが私の人生です。何をすべきでしょうか?この責任は誰がとるのでしょうか? (訳注 インドでは花嫁の家が花婿の家に多額の持参金を支払う伝統があり、現代でもトラブルが絶えない。)

この仕事はグルに割り当てられるべきではありません。そうすることは結婚ブローカーになる大罪より大きな罪です。あなたはただ、夫婦が仲良くいるよう私の祝福を求めるべきです。それで十分に良いのです。人々は私が縁組をして、日取りを決め、結婚式の会場を決め、料理の手配をすることを期待しています。そして、すべてがなされ、その夫婦に子供ができると私は子供に名前を授けなければならず、そういったことが続いていきます。私にとってこのカルマは何でしょうか? ティルパティ(南インドにある有名な巡礼地)に逃げたいくらいです。グルからこのすべてを期待するのは最もひどい罪です。スワミジの祝福のみ、求めるべきです。私はエージェントではないですよね?
私たちは、すべての所有物が私たちに幸せを与えてくれると感じますが、違います。そうはなりません。パラシュラーマもそのように感じていました。彼は地上のすべてを征服してもなお、孤独のままでした。苦行から得た力は役に立たず、シュリ・ラーマに敗れたときにのみ、その事を認識しました。聖賢カシュヤパに大地全体を譲り渡した瞬間、この世の支配者になるという彼の夢は打ち破れました。彼はすべての王を殺して、征服者になりたかったのです。しかし、何もうまくいきませんでした。彼の勇猛さから得た十四の世界(地上の七つの世界と地下の七つの世界)、王国、苦行の利益はすべて燃えて灰になり、救いにはなりませんでした。所有されているものは何であれ、いつかそのうち消えてなくなることを彼は悟りました。
このことは、世俗的な喜びは幸せをもたらさないことを私たちに教えていて、このパラシュラーマの経験が明確にそれを説明しています。武勇で世界を征服し、苦行で天国を征服したパラシュラーマは、自分の怒りに勝つことはできず、初めてそのことを悟りました。皇帝とは特定の地域の少数の王に勝利した人です。パラシュラーマは十四の世界を征服した、真の意味において皇帝と呼ばれるに然るべき人でした。しかし彼は自分の怒りに打ち勝つことができないと悟ったとき、彼の名前にあったその称号を省きました。彼は怒りの奴隷になっていたのです。この怒りのために大きな損害が起きたことに気づきました。彼は自分の人生全体を分析しました。あなたはヤグニャ(聖なる火の儀式)を組織したり、執り行ったり、参加したり、訪れたり、見たり、あるいは仕えることによって、罪を洗い流すかもしれません。しかし、いくら何度ヤグニャを執り行ったとしても怒りを取り除くことはできないのです。罪を洗い流すヤグニャはありますが、怒りを取り除くものは何も存在しません。それゆえ、パラシュラーマはシュリ・ラーマの手によって負けました。彼は怒りと呼ばれる敵を倒すことはできないとはっきりと理解しました。内なる敵に勝利しない限り、外の世界に勝利することはできないことを悟りました。パラシュラーマはヴィシュヌ神の化身の一つの形でしたが、ここまでは理解していませんでした。
パラシュラーマがそのように悔やみ考えながら歩き始めると、道で光り輝く人に出会いました。その人は狂っているように見えました。彼はパラシュラーマに石を投げ始めました。しかし、パラシュラーマはその人の中に神聖さを見出し、彼の後を追いました。パラシュラーマはその人を呼び止め、詳細について聞き、なぜ石を投げたかを尋ねました。 その人は答えました。私の名前はサムヴァルタカ、ダッタートレーヤの祝福によりこの状態でいます。私はアートマ・ヴィラサム、「真我の至福」のおかげでこのようです。アートマ・ヴィラサムを知るために、あなたは自分自身の状態を知らなければなりません。座って、あなた自身について熟考しなさい。生まれてからあなたが犯した過ちは何か、あなたがした良い行いは何か、それは何の結果をもたらしたのか、思い出し考えてみてください。これがアートマ・ヴィラサムです。
サムヴァルタカの言葉を聞き、パラシュラーマは答えました。「聖者よ、私は世俗的な人生であるサムサーラ(輪廻転生)を恐れています」。ここでサムサーラは家族についてではなく、世俗的な喜びや所有は幸せをもたらすことはできないという、すべての苦痛と感情についてです。パラシュラーマは心の平安をもたらす知識を授けるようサムヴァルタカにお願いしました。

グローパディスタ マルジェーナ
スワータマ シャクティム マヘーシュワリム
トリプラム サンヤガラディヤ

サムヴァルタカは答えました。パラシュラーマよ!グルに委ね、グルが示す道に従い、三位一体の母なる女神を崇拝し、女神の祝福を求めなさい。三位一体の女神を崇拝する人は誰でもアートマ・ヴィサラムを得るだろうし、それらと関係するすべての人々はこれを経験するでしょう。私の中に住まうアートマ(真我)はすべてに遍満しています。外部にあるすべてのものは反映としてアートマの中にもあります。この感覚とともに、すべてはあなたの内側に満ちており、そして、あなたは不変で不動であることを知るでしょう。グルの真理を学び、幸せになりなさい、おぉ。ラーマ・・・とサムヴァルタカは言いました。

あなたによって認識された肉体、そして、認識それ自体はあなたではありません。あなたはあなたではなく、肉体でもありません。あなたは周りのすべての中にあり、すべてに存在するのはあなたです。あなたが息を吸うと、あなたは宇宙全体にあり、宇宙全体はあなたの中に存在します。そのような感覚でヨーギーは宇宙全体に自分を感じ、息を吐くとき自分は宇宙全体に浮かんでいると感じます。この感覚がアートマ・ダルシャナ(真我との会合)です。私は宇宙に存在し、宇宙は私の内側に存在するという感覚を持ってください。私はこの宇宙のために存在し、宇宙は私のために存在します。この感覚はサムサーラ(輪廻転生)の恐怖を取り除くでしょう。サムサーラの過ちと罪を常に見極め、認識して下さい。そのときにだけヴァイラーギャ(無執着)に達成するでしょう。サムサーラでの快楽の感覚はあなたを地獄の世界へと突き落します。家、子供、家族などからくる喜びはあなたを地獄に追いやります。家庭生活を送るにかかわらず、その喜びに影響されないようにして、そして、すべての人とすべての物にパラマートマ(普遍的な自己)をみるようにしなさい。そうすることであなたにアートマ・タットヴァ(真我の真理)が与えられるでしょう。そうでなければ、アートマ・タットヴァを経験することは決してできません。超然としてい続けるためにも、サムサーラの過ちと罪であるあなた自身のことを常に思い起こし続けてください。これはあなたをヴァイラーギャ(無執着)に導き、次第にあなたを正しい道に置くでしょう。常にこれを熟考している人間は、サンヴァルタ・アヴァドゥータをパラシュラーマに教えたパラマパダムの最高の住居に到達するでしょう。
正義の人であり、独身を貫き、世界の支配者であったパラシュラーマでもサムサーラの恐怖を取り除くことはできませんでした。私たちの状況を想像してみてください。アートマ・タットヴァ(真我の真理)を熟考しようと試みることは、またアートマ・ヴィサラムです。私たちの人生のある時点、または他の時点でも、私たちはこの種の状況に遭遇するでしょう。ですから、今、目を覚まして、アートマ・タットヴァについて熟考し始めてください。
三位一体の女神の祝福で、あなた方全員がアートマ・タットヴァに意識が向きますように。そして、バクティ(信愛)、ジニャーナ(知識)そしてヴァイラーギャ(無執着)を発揮するあなた方皆さんを祝福します。
トリプラムビカヤに礼拝します!
母なる女神に礼拝しましょう!
ナヴァラトリのこの二日目の間に、私たちは皆トリプラ・ラハスヤを学んでいます。今日はダッタ・スワミと三位一体の母なる女神のダルシャンがあります。今日、ダッタ・スワミの口から三位一体の女神の言葉を聞くでしょう。サムヴァルタ・ムニとの交流の後、パラシュラーマの世俗的な出来事を見る目は完全に変化しました。彼は心が広くなりました。彼は考えるべきことを考えられなかった事を後悔しました。私は喜びに浸り、時間を無駄にしました。私は今何を知るべきでしょうか?食べること、寝ること、喧嘩すること、家、子供達、義理の娘との争い、地位などにより、この貴重な人生を無駄にしています。なぜ人生はこのようなものなのでしょうか?この体はアートマ・ジニャーナ(真我の知識)を得る目的のために与えられていますが甘やかしています。また家庭生活を送るにあたり、人生の七五%がパラマートマに、そして欲望に二五%割り当てられるべきです。しかし、誰かへの恐怖とともに、欲望に九九%を割り当て、ゴーヴィンダ、ゴーヴィンダを言うことに一%を割り当てています。私はティルパティに行ってしまいました・・・・シヴァラトリに行っていないと皆があなたを責めることは、あなたにとって恐怖なのです。誰のためにそれをしているのでしょうか?

あなたは巡礼に行き、そして神はあなたがそこで見たものを知っています。あなたはどこに行っているのか、またなぜ行くのかをわかっていません。ダッタートレーヤだけが教えることができます。最大の欲望の中から、あなたは実行できないことを手に取って、最後にはいろいろな問題に取り囲まれてしまいます。この肉体は悲しみや不幸を与えます。肉体自身がアートマ(真我)であると誤認し、無知な人は間違ったことをしています。年配者のうちに苦しみを見ますが、自分たちの体もそうなるとは思っていません。肉体は年を取っている合図を出してくれます。まだあなたはそれを認めません。もしお年寄りが倒れたら、私たちもその状態を経験するであろうという教訓です。もしある息子が母親を追い払ったら、それは私たちもまたその状態を経験するという教訓であり、その年を取った女性という形をとり、パラマートマが教えているのです。それは注意すべき警告です。時折、自分のマインドに教え続けてください。深い眠りの最中に誰が私たちを守っているのでしょうか?寝ている間、息を吸うことを止めたら、厳戒態勢を取るための手段は何でしょうか?蛇があなたに噛みつくかもしれません。ゴキブリがあなたの鼻の中に入るかもしれません。耳の中にも入るかもしれません。あなたは耳の中にコットンを詰めるかもしれませんが、鼻にそうすることは出来ますか?そうしたらあなたは死んでしまうでしょう。

スワミジは最近中国に行きました。中国人は七千キロメートルに及ぶ壁を作りました。その建築中に多くの人が死にました。彼らはモンゴル人が攻めてくると思っていました。私は皇帝により建てられた巨大な建物のところに行きました。彼らは今どこにいるのでしょう?彼らの精神はそこにはありません。映画の中でのみその精神を見ます。お金と人はすべて、死によって隠されてしまいます。私たちは口、鼻、耳、髪の毛がどこから来たのか知っていません。昨晩ある人と話をしても、今朝その人が生きているかわかりません。昨晩彼と話したばかりだったのに・・・とあなたは言うかもしれません。一緒にイドゥリを食べたのに・・・と言います。ですから、マインドの平和を求める人は喜びに浸ってはいけないのです。

あなたに恐れを与えないものだけを追い求めなさい。あなたの恐れを取り除く主を求めなさい。覗いてはいけないと書かれている注意書きのボードにもっと関心をもって、意識を向けてください。あなたは覗き見するということを終わりにしてください。 したがって、パラシュラーマは恐れを取り除く神に救いを得ると決めました、そして、ゴーダマダーナの丘のコテージでダッタートレーヤのダルシャン(会合)を得ました。そしてダッタートレーヤに祈りました。
ダッタートレーヤは「おおラーマよ、あなたは究極の存在を求めている。三位一体の母の祝福は究極です。彼女の祝福を得るためには、最大の関心と献身が必要とされます。三位一体の母はチットシャクティ(意識エネルギー)です。彼女はジーヴィ(個我) の中の「私」によって認識されます。
一度、神々の間で誰がもっとも偉大なのかという議論がありました。すばらしい音色と共に三位一体の女神が現れ、彼女の栄光を明らかにしました。「彼らの中で誰も偉大ではありません」と女神は言いました。宇宙全体は彼女のエネルギーで動かされています。体のすべての部分は「女神の形態」であるチットシャクティ(意識エネルギー)の助けがあって動いています。私たちは女神のシャクティ(力)の助けを借りて動くことができるという女神のリーラ(遊戯)です。彼女は言いました。私はトリムルティ(創造・維持・破壊の三位一体)を創造し、そしてそれらに宇宙での仕事を割り当てました。私の指示に従い、割り当てられた任務において仕事を続けてください。そう言いながら、三位一体の女神は消えていなくなりました。彼女はすべてに浸透しています。
宇宙全体はマーヤー(幻影・幻力)です。私たちはそれを推し量ることは出来ません。今日までどのくらいの数の惑星が存在したのかさえ私たちはわかりません。目に見える惑星に到達するには約四〇年かかります。(あるいは)約一二〇年かかります。私たちはそれまで生きていません。宇宙全体は部分に分割され、彼女(女神)の中にあります。同じ宇宙が私たちのマインドの中にもまたあります。チッターアーカーシャ(意識空間)つまりマインドはブラフマーにあります。ブラフマーは彼の中にすべてを含んでいます。そのブラフマはトリプラ・パラシャクティの形態でまたあります。チッダ-ナンダ(至福の意識)とアディヤーヤは彼女の形です。彼女は私たちの言葉、体、マインドの高みに存在しています。彼女はすべて物事の基礎です。彼女は多くの形をとり、彼女の思いを寄せる者に思いやりを持っています。そのように説明しながら、ダッタスワミは三位一体の母の形態をパラシュラーマに説明しました。パラシュラーマのように、熟考し、そして正しい道を歩き、勇敢になってください。
ダッタの恩恵により、三位一体の母なる女神の祝福がいつもあなた方とともにありますように。
nava02

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