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シュリーマド・バーガヴァタム 第15話

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ただ目撃しているだけの真我(アートマ)に対して、『見るという行為』(ドゥルシュヴァタム)を押し付ける人は愚かです。

至高の主は、その形態として知識を持っています。そのような主は、手は足などの粗雑な体を必要としません。主が、トリグナ(三つの属性、サットヴァ、ラジャス、タマス)を超越した他の乗り船(身体、ウパディ)を持っています。それは変容させられることのない、微細な存在であり、見られることもない、聞かれもしない存在です。この体は微細体(スクシュマ・シャリラ)として知られています。この微細体は個人の再生誕に責任を持っています。

人間が熟達した知識を持つならば、粗雑な肉体と微細な肉体は真我(アートマ)ではないことを理解でき、真我実現を達成します。言葉を変えれば、粗雑体と微細体が自分自身の真我(アートマ)であるという幻想から抜け出るのです。そして神の認識に達し、パラマートマになるのです。

パラメーシュワラは生来的に知性(ブッディ)の形態でした。幻想(マーヤ・シャクティ)の力が完全に消えると、個人という存在は光明を得た存在になり、そのようにして真我実現を達成します。これは悟った存在方(ジニャーニ)が明らかにしたことです。

そのように本来の形態に達した個人は最上の至福を楽しみます。そのものの状態に留まるでしょう。

学識者は誕生を次のような方法で描写しています。人のハートの中に、またすべて(アンタリャーミ、全知)のハートの中に座する至高の主の秘密の行動(ヴェーダ・ラハスヤ・カルマ) と同様であると。主は生来的に生まれもせず行為もしません。誕生と行為は幻想(マーヤ)のために主のもとへやって来たのです。

常に全知である主(パラマートマ)は、遊びのようにこの宇宙を創造し、維持し、最後には全滅させます。しかし、主によって創造されたこの宇宙と関係するいかなる形態も、主は展開させません。影響されず、永遠なる目撃者として留まります。他のいかなる存在と関連するどんな形態も、主は展開させません。この物質的宇宙に属する物質に対して好みを持ちません。

主(パラマートマ)は全ての生き物のハートの中に自ら座し、五感と心を統御し、この宇宙の喜びと悲しみを味わっているかのように現れます。主があたかもそれらのものを経験しているかのように現れていますが、実際のところは、主は経験していないのです。起こることが何であろうとも、主は関わりを持ちません。

愚かで無知な者は、この世界を保護し、支配する、主の遊戯的な活動を決して理解することはできません。

正直で、欺瞞が無く、完全な献身を併せ持ち、霊的な禁欲生活に従事し、清き正しい生活を送り、主の御足の神聖な香りをかぐ者だけが、主のヴィジョンを得ます。また、手に円盤を持ち、卓越した武勇を持つ主の遊戯的な活動の背後にある、内的な重要性を理解できるのです。

心が純粋で、献身に満ちていることは必須です。心が純粋で、ハートが献身で満ちていて、純粋な人生へ導かれ、穏やかに話し、他の人の感情を傷つけず、この創造におけるすべての対象に対して敬意を払い、対象に対してはいかなる好みも身につけないことは、主のすべての良き帰依者が育んでいる特徴です。これは主の住まいを訪れたことからきています。そのような人たちだけが、至高の主の本質を理解することができます。

そうであるから、マハリシ(聖仙)たちよ!あなた方すべては祝福された存在です。至高の主マハーヴィシュヌを熟知しようと探究しているからです。この転生で、あなたは必要とされる主への献身と愛を得ました。一つの転生の中でこれを得ることができたのです。主への至高の愛と献身が、同時に存在するときにのみ、これは可能になるのです。

多くの人が、主への愛や献身という性質について雄弁に語ります。多くのことを説きます。大勢の集会で話し、このテーマで大きな討論を行います。主への無比の献身と愛を開発する重要性について本を書きます。しかし、彼らは献身や愛を行動に落とし込むことはできていません。

一方でマハリシよ。あなたは愛や献身を実践に落としこんできました。あなたは真に祝福された魂です。あなたの感情と同じような心を持つ者は、繰り返される生と死の、この渦の中に捕らえられることはないでしょう。

繰り返される生と死は渦巻です。一旦渦に入り込んでしまうと、たとえ泳ぎがうまくても、そこから出ることはできません。この理由のため、泳ぎの専門家は、湖や川の中に入る前に、渦のある場所を見積もるのです。彼らはこの渦に遭うことなく泳ぎます。渦について予測を立てない人は、盲目に飛び込んで泳ぎ、渦に巻き込まれるのです。一旦巻き込まれたら最後です。逃げ道はありません。

ここでは、生と死のサイクルが渦に例えられました。そこから逃れることはできません。しかし、ここには希望があります。人が主を熟考したり、主の栄光を考えるならば、その人はこの危険な渦に傷つけられることはありません。

Idaṁ bhāgavataṁ nāma purāṇaṁ brahma-sammitam
Uttama-śloka-caritaṁ cakāra bhagavān ṛṣiḥ

バガヴァン・ヴェーダ・ヴィヤーサは、主の化身でしたが、ヴェーダと等しく、主の栄光の話を含んだ、バガヴァタムと呼ばれる神話を作りました。

Niḥśreyasāya lokasya dhanyaṁ svasty-ayanaṁ mahat
Tad idaṁ grāhayām āsa sutam ātmavatāṁ varam

人間の世界を高める意図を持って、聖仙ヴェーダ・ヴィヤーサは、大いに称賛され、吉祥のすべての形である、バガヴァタムと呼ばれる神聖な経典を作りました。ヴィヤーサは更に、この知識を彼の息子である聖仙シュカに教えました。聖仙シュカは、真我実現の知識における代表たる存在です。

この神聖な神話には、すべてのヴェーダの本質が含まれています!さらにラーマーヤナとマハーバーラタの本質もすべてこの神聖なテキストに込められています。絶食して死を待ち、聖者方に囲まれてガンジス川の支流に腰を下ろしていた王パリクシットに、聖仙シュカはこの知識を授けました。
当時、無比の光輝であった聖賢シュカはこのバガヴァタムを説きました。私は聖者方の中に座り、バガヴァタムを少しだけ理解しました。今、私の理解を前提に、私が耳にし、理解したものと同じものをあなたに説きましょう、と聖仙スータは言いました。

クリシュナが人間の体を放棄し、ダルマ(正義、法)とジニャーナ(知識)とともに、住まいであるヴァイクンタに戻られたとき、人々は愚鈍になりました。人間は神聖な知識の眼を失ったのです。頭が鈍い彼らの目を開かせるために、バガヴァタム神話と呼ばれるこの太陽が現れたのです。
オーム ナモー ナーラーヤナ

続く

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