ブログ

トリプラ・ラハスヤ(三位一体の母なる女神の秘密)4日目

カテゴリー :

ダッタの恩寵で、最初にサンバルタ・アヴァドゥータとパラシュラーマが主ダッタートレーヤーから直接教えを授かる幸運を得ました。
主ダッタはパラシュラーマに直接教えを与えました。サヤドリ山をさまよっていた主ダッタは神々、悪魔そして人間にとってのグルでもありました。クルクシェートラの戦い後、サットヴァ(純性、浄性)な性質を持った人間はそう多くは残りませんでした。クルクシェートラの戦い以前の人間はサトヴィック(純性)な性質でした。彼らは一日に一度食事をし、二度沐浴しました。地上は天国のようで、ブー・スヴァルガ(地上の天国)と呼ばれていました。ひとたび地球に生まれたら、私たちは自分のカルマを果たさなければなりません。私たちはこのカルマのためだけに地球に生まれます。地球に接触した生きとし生けるものは、カルマに従わなければならず、苦しみから逃れることは出来ません。主ラーマ、主クリシュナもまた多くの苦しみを持ちました。昨日このことについて話しました。ですから、私達人間がそのような苦しみに直面することは驚くことではないのです。地球の影響とはそのようなものです。地球上にあるような贅沢は他の場所にはありません。ヴァイクンタ(ビシュヌ神の天国)にさえ、そのような贅沢はないでしょう。そのような贅沢、蜜のような食べ物、苦行に適した環境の中で、カルタヴィリヤ・アルジュナの時代になってからも人間は千年から一万年生きました。ヴァイクンタとカイラサの中でさえ、地球は大いに称賛されていました。地球に多くのカルマがあるにも関わらず、神々は地球に生まれることをためらいませんでした。ジャヤとヴィジャヤのような存在のみが地球に生まれるのを望みませんでした。

地球での幸福、地上の天国は、地球にいる者によってのみ経験することが出来ます。地上に転生した慈悲深きサッドグル、主ダッタにはカルマがありません。シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマもまたカルマを経験しなければなりませんでしたが、ダッタにはカルマがありませんでした。なぜないのでしょうか?なぜなら三つの世界は主ダッタの中に一体となったので、カルマがないのです。しかし、もし三つの世界が分かれたのなら、主ダッタはカルマから逃れられなかったでしょう。三つの世界が主ダッタのもとで一つになったので、主ダッタはカルマから自由なのです。主ダッタは解放を与えます。今日、私たちは例えば、ヴァイシュナヴァ、スマルタ、ヴァイシャ、クシャトリヤ、シュードラなどの様な区別をします。しかし、ダッタの見方においては、私たちは皆、単に人間です。彼には区別はありません。私たちは額の印の形が垂直か水平線なのか、または、私たちの衣服によって区別をします。そのような違いから争います。私たちには異なる言語、異なる生き方があります。ダッタの見方ではすべては一つです。人間だけでなくすべての生き物は一つです。そのような主ダッタが今、パラシュラーマに話したように、三位一体の女神の偉大な秘密を私たちに授けているのです。

三位一体の女神の秘密のすべてを学ぶのは難しいので、主はほんの僅かだけ私たちに与えます。その全体を理解するのは難しいのです。三位一体の女神の秘密の中で保存されたものは一章しかありまません。他の二つの章は保存されていません。どこにあるのかはわかりません。文献は残されていないのです。それは私たちにアートマ・ヴィラサム(真我の内なる至福を解き明かすこと)を教えるとても偉大な秘密です。アートマ・タットヴァ(真我の真理)を教えてくれます。私たちがこの教えを学べることは祝福なのです。それはつかみ取るのが難しいので秘密と呼ばれています。

サンヴァルタ・アヴァドゥータとパラシュラーマ以外、誰も主ダッタから直接教えを得る祝福を得ませんでした。他の人は霊的知識を得ましたが、ブラフマ/大いなる自己の経験は特別なものです。ブラフマの経験のためには年齢、性別、あるいは他のものとの区別は存在しません。子どもでさえそれを体験することができます。誰もが体験する資格があります。

結婚そして子供を持つことは苦しみに満ちていて、人を神から引き離すと理解している人たちがいます。結婚し家族を持つ人で、神のことをずっと考えている人たちもいます。四十五から五十歳を過ぎて結婚したいと思う人たちがまだかなりいます。望む誰もが無執着を得ることが出来ます。男性、女性、幼い子、年長の子ども、誰もが平静を得ることが出来ます。年齢での区別はありません。誰もが霊性の領域の入ることが出来ます。

あなたに子供がいる場合でも、無執着を練習できます。そうするのを好む人たちもいます。彼らは無執着と霊的至福の経験と共に修練を続けます。聖者ティヤーガラジャは「エンダロ マハヌヴァヴァル アンダリキ ヴァンダナムル・・・」と歌いました。サムサーラ/世俗的な人生の苦しみの中でさえ霊的至福の経験をする多くの人がいます。若さ、あるいは老いは霊的な至福と関係ありません。私はこの曲を通してみなさんに聖ティヤーガラジャにについて述べています。

その様に私たちは皆、霊的な方へ歩む必要があります。霊性への道は皆さんのために二十四時間オープンです。今、パラシュラーマは主ダッタにまっすぐに向かいました。彼らは対面で会話をしています。パラシュラーマはダッタを仰ぎ見るという幸運を得ます。そのストーリーについて話すことは幸運です。会話全体を聞くことができる私たちと同じように幸運な人は誰もいません。私たちのために、彼らはアートマ・ラハスヤ(真我の秘密)のこの秘密を明らかにしました。

アートマ・ヴィラサのためにみなさんがしなければならないことを私は話しました。欲望と執着を手放してください。このことについて話したのです。そうすればあなたは自己実現のための資格を得るでしょう。内的なところから許可を得るでしょう。それから試験を受けることが出来ます。昨日の話がどこまで進んだかということでしたね。女神を崇拝したパラシュラーマには無知と悲しみが無くなりました。

サムサーラはただ単に結婚を意味しているのではありません。それはエゴと執着を示しています。あなたは期待をし、裏切られます。消え去るものは何であっても消え去ります。あなたのマインドを完全に神に専心し続けてください。パラシュラーマは主ダッタから直接教えを得ました。パラシュラーマは女神カーリーを崇拝しました。彼女に謁見した後、彼は「あなたは母カーリーです。ドゥルガ―です。そうだと認識しています」と言いました。

母なる女神の姿はどのような形態だったのでしょうか?

ダッタは母なる女神の本質を完全にパラシュラーマに教えました。主ダッタの指導により母なる女神を崇拝したので、パラシュラーマの知識は実りました。グルはデヴォティ―(帰依者)に直接アートマ・ラハスヤ(真我の秘密)を与えません。グルはそのような無上の喜びを得る方法をデヴォティ―に教えます。グルは「ハヌマーン・チャリサを唱えなさい、リグヴェーダの儀式をしなさい、ルドラ・ホーマをしなさい、ルドラ・アビシェーカをしなさい」などと言うかもしれません。これらすべては崇拝の方法です。「ヴェンカタ・ラマナ・スワミにアヴィシェーカをしなさい、パールヴァティ・アビシェーカをしなさい」、などと言います。

グルはこのようなことすべてを指し示します。私たちがアートマ・ヴィラサを学ぶために、グルのもとへ行きます。しかしグルは私たちにココナッツを壊させたり、貧しい人々に衣服や食べ物を提供させたりするかもしれません。多くの人が、グルがなぜそのような指示をするのか不思議に思います。しかし、グルの指示に従い行為が行われると、グルは私たちの前世での癖を洗い流してくれています。施しとともに、そのような癖はすべて洗い流されます。しかし、時々私たちはそうした高貴な行いをするのに憑りつかれるかもしれません。私たちは神聖な行為をすることに自ら執着し、そして自己実現を得るためのその先に進まないでいます。

火曜日ごとに私たちはプ―ジャを行ったり、土曜日ごとにハヌマーン寺院に行くかもしれません。私たちはそのようなことを習慣にします。私たちはサンカシュタ・ハラ・チャテゥルティを守り、シヴァ・アビシェーカをするかもしれません。至福を感じ、その虜になります。私たちはウパーサナ(礼拝)・カルマを増やしていますが、これに問題はありません。しかし、もし礼拝への執着のために行為に夢中になっているとすれば、真我実現を渇望しないままでしょう。

あなたはもうこれ以上、儀式や奉仕を行う必要がないと言わなければならないのは誰でしょうか?グルが言わなければなりません。帰依者は自分がしたことが十分であるかどうかを尋ねるべきではありません。もしあなたが尋ねるならば、グルは、あと二つの転生ですべきことをあなたに伝えるでしょう。そのような質問を決してしてはいけません。あなたは出来る限りのことをしなければなりません。

「私のカルマは終わりましたか?」などと決して尋ねてはいけません。あなたのカルマは決して終わることはないでしょう。カルマがあるために私たちは生まれてくるのです。なぜ私たちは生まれてくるべきではないのでしょうか?真我実現は幾多の転生の後に得ることができますから、多くの転生を経ることは間違っていません。偉大な魂も何度も生まれ変わることを求め、神の賛歌を歌いました。「神の讃歌を歌うことは私にとって解放です」と。神の讃歌を歌うことは人間にとって唯一可能なことです。

神はナマデーヴに言いました。「あなたは何年もの間ここに存在し、今私のもとに来ました」ナマデーヴは「そうはしたくなかったのです」と言いました。「あなたはヴァイクンタ(ヴィシュヌの住まい)で座るために私に一角を下さるでしょう。私はそちらに座らせて頂きます。しかし、私はあなた様の讃歌を歌いたいのです。私は扉から扉へ、道から道へ進み、そしてあなた様の讃歌を歌わなければなりません。私はすべての巡礼地の中を出歩き、あなた様の荘厳なるところと偉大なるところを分かちあわなければならないのです」

このようなデボティーたちがいます。私はアシュラムに来るよう、そしてアシュラムに滞在するよう彼らに言いますが、彼らは外に行き、スワミジの言葉を広げようとします。「私はSGSポスト のメッセージをたくさん広めました。簡単にダウウンロード出来て、無料です。自分が選んだ言語でメッツセージの知らせを受け取ります。無料でスワミジからのたくさんのメッセージをゲットできます。スワミジがアヴァターでここにいる間、メッセージを見て、すべてダウウンロードすべきです。あなたはスワミジと同じ時代に生きているのです。」

デボティーたちはこのように言います。人は過去の聖者の前に行き、聖者の銅像の前で頭をつけます。しかしスワミジはここにいてあなたに話しているのです。あなたと関わって、遊んでいます。もし孫や子供に尋ねても、彼らはアプリの使い方をあなたに教えないでしょう。すべての言語、テルグ語、タミル語、マラヤーラム語、グジャラティ語、ヒンディー語、英語があります。なぜあなたはそれらを見ないのですか?メッセージはほんの一、二行です。

「グルが生きている間は、グルが私にしてほしいことをしています」と言えるようになるべきです。命を失わなければならないとしても、グルが言うことは何でも、耳を傾け、従うべきです。グルの言葉に従う必要があります。もしあなたが消極的で、自分がどのようにするのか、どう役に立つのかわからないと言うならば。もし納税の仕方を知らないと言うならば、納税課は追いかけてくるでしょう。納税すれば問題なかったでしょう。

納税しなかったならば、あなたを刑務所に入れられるでしょう。刑務所では食べ物を与える代わりに、生命を維持するために、デンプン入りの水を飲ませます。壁にいる、昆虫を食べているトカゲのようになってしまうでしょうね。皆さんはSGSポスト をダウンロードして、他の人にもダウウンロードさせなければなりません。SGSポストを入れていない携帯は何の役に立ちますか?人は必要ないものをダウウンロードしますが、そういう携帯はでは何の役に立ちますか?あなたもその携帯を地面に投げて、役に立たない携帯を壊すかもしれません。

バジャン:Nivu Durgavu Nivu Lakshmivi
バジャン:Tripura Maata Disatu Satangam

「三位一体の母なる女神が、高貴な人々の仲間と共に私を祝福しますように。三種類の無知を追い払う女神が、不徳な者との友情を破壊しますように。女神が私を、額をサッドグルの御足のちりで飾られた者(エゴを破壊し、グルの御足にひざまずく人)に変えますように。女神が私を、主シヴァを崇拝するために使われた神聖な灰と、ヴィシュヌを崇拝するために使われたサンダルウッド(白檀)のペーストと、トゥラシーの葉で飾られた人に変えますように。いつもその様でありますように。私の体がその様でありますように。私の体に、サンダルウッドのペーストの芳しい香りがいつもありますように。どの医者が私を試しても、母なる女神の名前の音が内側で聞かれますように。心がヨガに引き寄せられますように。この身体があなた(女神)に全託することを学べますように。母なる女神が常に、良い仲間と良い親戚とともに私を祝福しますように。良い子どもが私の家にきますように。泣いたり叫んだりする音が私の耳に入ってきませんように。私が話すすべての言葉があなた(女神)についてでありますように。私の血のすべての細胞が神の名を唱えますように。『あなたはチッダグニ・クンダ(意識の火)から生まれ、同じ火に私を置きました。私はあなたの膝の上にいます。火はあなたの膝です。私はあなたの膝で幸せに眠っています』
瞑想と熟考の技術、ヨガの実践に熟達し、不純性がなく、そして汚れのない献身で満たされた人物に私を変えますように。
女神は永遠です。ヴェーダによって賞賛されています。すべての世界の宝です。女神より優れていているもの、または女神より上にあるものはありません。帰依者によっていくつかの形で崇拝される価値がある唯一の存在です。サッチダーナンダ(真実-知識-至福)として崇拝される存在です。そのような三位一体の母なる女神が高潔な魂の仲間と共に私を祝福しますように」

チャント:Jaya Sarvapralaya Vibhavini

今日、母なる女神はサットサンガ(主ダッタを通しての高潔な人々の仲間、集まり)の成果を語っています。信と献身と共に聞いてください。主ダッタとパラシュラーマの会話は私たちのウパデーシャ(教え)です。パラシュラーマは尋ねました。

「どこで定められた道を探すことが出来ますか?私はあなた様のところにやってまいりました。怖れはありません。しかし、主よ、苦しんでいる多くの人がいます。彼らはまだあなたのもとに来ていません。彼らはあなた様が話されるのを聞く幸運を得ていません。そういう人々についてはいかがでしょうか?彼らはどこに行くのでしょうか?数えきれない人々がいます。ここに数えられるわずかな人だけがいます。残りの人たちの運命はどうなるのでしょうか?そのようなウパデーシャ(教え)を彼らはどうしたら聞くことが出来るでしょうか?なぜ彼らは熟考しないのでしょうか?なぜ彼らはここに来ないのでしょうか?」

サットサンガヴェ、ニッサンガヴァム、ニッサンガヴェ・ニルモハヴァム、ニルモハヴェ・ニスチャラタットヴァム、ニスチャラタットヴェ・ジーヴァン・ムクティヒ。(聖者との関わりは無執着を与えます。無執着は幻覚を追い払います。幻覚からの自由はぐらつかない、揺るぎないマインドを与えます。安定したマインドは解放に導きます。)

サットサンガの成果は解脱、解放です。サットサンガが解放への唯一の道だと認識しなさい。

「サムバルタはあなたのサットサンガ(聖なる仲間)でした。そのことがあなたがここにいる理由です。彼が石をあなたに投げた時、あなたは彼を疑い始めました。彼はボロボロの服を着ていましたが、光り輝いていて、至福でした。彼は裸で走って、石をあなたに投げつけました。汚く、酷い臭いを放っていましたが、彼の目は光り輝いていました。あなたは彼を追いかけ、捕まえました。サムバルタはあなたのことを喜んでいました。あなたが今ここにいるのも、数日前に聖なる仲間を得たからなのですよ」

ですから、ここ(マイソールアシュラム)に連れてきてくれた全ての人に感謝します。連れてきてくれた人たちがここにいなければ、あなたは罪を積み重ねていたでしょう。サットサンガ(聖なる仲間)だけがあなたをここに連れてきてくれたのです。あなたが私のところにやって来たので、私は三位一体の女神の哲学を与えたのです。主ダッタはパラシュラーマの質問と答えをとても喜んでいました。

「ラーマよ、聞きなさい。高潔な人々の集まりは喜びと痛みの苦しみを取り除いて、幸福を与えます。永遠なる真実の知識を得るために、崇高な友情というものが種であることを理解しなさい。サンバルタという高潔な仲間のおかげで、あなたは今日幸せを経験しています。そして母なる女神の哲学を理解することが可能になりました。他の多くのことを学んでいます。

高潔な仲間の集まりなしに、人は幸運を得ることはできません。この世界において、関係する仲間の特性を得て、そこでの結果を得ます。高潔な人々のサットサンガなしに、誰も最上の至福を得ることはできません。私たちは隣にいる人々を知りません。彼らは素晴らしい帰依者であるかもしれないですし、貪欲であるかもしれません。

主は私たちに、正しい人々を見せてくれるでしょう。主は私たちが値する人々を私たちに示してくれるでしょう。それが関係を持つ仲間のように自分たちがなるという理由です。あなたはサンバルタ・アヴァドゥータ(世捨て人、気が狂った人)と友達だったので、ここにいるのです」

ある話をしましょう。昔、ムクタチューダという名の王がダシャールナという王国を統治していました。彼にはマニチューダとヘーマチューダという二人の息子がいました。息子たちは聡明で、とても勇敢でした。ある日彼らは森へ狩りに行きました。突然、つむじ風と砂塵が起こりました。

暗闇の中、兄弟は離れ離れになってしまいました。ヘーマチューダは聖者ヴィヤグラパーダの庵に着きました。そこで聖者のアシュラムで育ったヘーマレーカという美しい女性に出会い、恋に落ちました。王ムクタチューダはヘーマチューダとヘーマレーカを結婚させました。

少女は多くを話しませんでした。彼女は結婚式の間、人形のように座り、式の後、人形のように立ち去りました。結婚式にもかかわらず、ヘーマレーカがずっと楽しみと贅沢には関心を見せないことを、ヘーマチューダは観察していました。若い少女は、父親との関わりのおかげで、無執着をすでに身につけていました。ヘーマチューダは彼女に尋ねました。「どうして私と話さないのか?この結婚が嫌なのか?私が嫌いなのか?こういう贅沢は嫌いなのか?」

ヘーマチューダは色々な方法で彼女に質問をしました。彼女は彼と結婚したので、魅力的に返答しなければなりませんでした。彼女は答えました。

「私の主よ、そういったことではありません。私は、この世界にある好ましいものと、好ましくないもの、ただそれが何であるかを熟考しているのです。私たちは冬の間は温かさを与えてくれるので暖炉が好きですが、夏は暑いので嫌いになります。寒い国では、人々は温かさを必要とするので太陽を好みますが、暑い国では同じ太陽の熱は耐え難く、望ましくないものになります。この体を見てください。これは皮膚で覆われた、ただの血、筋肉、骨です。尿や便でいっぱいです。純粋なものすべては体の中で不純なものに変わってしまいます。食べ物を食べ、味わいます。それは尿や便に変わっていきます。だから、あなたが食べているものは何でしょうか?尿や便を食べているのでしょうか?教えてください、これらすべての中で、あなたはこの体の何が好きなのですか?」

ヘーマチューダはしばらくの間、無言になってしまいました。

ヘーマチューダは頭がくらくらしました。彼は彼女に敬意を示しひれ伏しました。彼は彼女の中に彼のグルを見ました。私たちは最初にその様な夫(妻にひれ伏すことを喜んでする)を見つけなければなりません。長い熟考の後、彼は贅沢を放棄し、最終的に世俗的な生活から離れました。ヘーマレーカが彼の疑問をすべて明確にしたことで、チッタ(知識)という形で、ヘーマチューダはとうとう母なる女神パラデーヴァターの神聖なるダルシャン(一瞥)を得ました。彼は自分の妻の形で母なる女神を見ました。主はとても慈悲深いので、この賜物を与えられたのです。

これは、アショーカ王が悟りを開いた後、ブッダの影響がすべての国々に広がった方法で起こりました。ブッダの教えがヴェーダの線にあるかどうかは問題ではありません。すべての人が仏教を受け入れました。しかし、ブッダはヒンドゥー教徒でした。ブッダのルーツを忘れることはできません。ブッダたちはヒンドゥー教徒たちです。なぜならヒンドゥー教が仏教の源だからです。大いなる自己として宇宙全体を視覚化することで、ヘーマチューダは最終的に救済を得ました。父ムクタチューダと兄弟のマニチューダもまた、ヘーマチューダからパラデーヴァターの知識を得て、解放されました。

王と二人の王子のおかげで、大臣とすべての役人たちもまた知識を得ました。徐々に王国のすべての市民が霊的に見識ある人になりました。その王国はブラフマプーラとして有名になりました。王国では鳥でさえも聡明に話すことに気づいたヴァマデーヴァと他の賢者たちはとても驚き、ヴィディヤーナガラム(知識の街)として宣言しました。

その日以降、王国はヴィディヤーナガラムとして有名になりました。そのようにして、高潔な人々の集まりは吉祥の根本原因となりました。ヴィヤグラパーダのアシュラムで成長したヘーマレーカ、彼女の夫、義理の父親、義理の兄弟、大臣と王国すべての市民、誰もがサットサンガ(聖なる集まり)のため知識を得ました。サットサンガが王国全体をどう開放に導いたのかをみてください。この話は主ダッタ自身によって話されたものです。

母なる女神と主ダッタの恩寵によって、皆さんがサットサンガの恩恵を生じさせますように祝福します。Jaya Guru Datta(ダッタートレーヤに栄光あれ)

雛鳥が目を開けるようになると、親鳥は雛の口ばしに餌を置くかのように、ラーマの名前を教えていきます。しかし人間の母親は子どもにラーマの名前を教えません。母親はそのような霊的なものの見方を与えるべきです。そうでなければ、ダルマ(正義、法)は地上に存続しないでしょう。グル・ギータを子どもたちに教えるべきです。サットサンガを教え、ヒンドゥーの本質を子どもたちに教えるべきです。

私たちは商業的教育のために学校でそれらを課し、荒廃させます。子どもたちが成長すると、あなたの言うことを聞かないでしょう。雛鳥に詠唱を教えた母鳥の詠唱は私の耳に今も聞こえてきます。つがいの鳥のアップ・ラムとランガは彼らの若鳥に「アッパジ(スワミジの別称)」と言うように教えます。うれし涙が流れます。私は雛鳥を抱えて、母鳥が教えた神の名を唱えるように言ってみました。母鳥は雛鳥を支え、「ラーマ」という言葉を教えます。雛鳥はまだ話すことが出来ないので、目を大きく開けて母鳥を見て、聞いています。

私たちは悲しみを忘れ、代わりにスリ・ハリ(ヴィシュヌ神)を賛美しなければなりません。「アッヨー」 と「アッモー」のうめき声とうなり声の代わりに、母なる女神の名を唱えなさい。ナマ・スマラナ(神の名を唱えること)で眠りに落ちるのはとても良いものです。そうなる時は、地上の天国です。もし、母なる女神の名前と共に眠りにつくのなら、母なる女神は様々な形で周りにいるでしょう。女神の形はあなたに話しかけ、手を握るでしょう。

スレシュは私に話しました、「アッパジ、アッパジは寝ている間一晩中お話しになっています」私は何を言っていたのか、何を聞いていたのかはわかりません。それを記録すべきですね。「私は窓に行きたくありません、怖いです。スワミジは笑ったり、誰かと闘ったりしています」もし、あなたが神々の名と共に眠りにつくのなら、神々はあなたと共にそこにいるでしょう。あなたはスワミジの名と共に眠りにつくのなら、スワミジは必ずやってきて、あなたと共にいるでしょう。何が怖いのですか?悪魔や幽霊も逃げてしまうでしょう。

これらはすべて主ダッタートレーヤの言葉です。ダッタは例え話を与えてくれました。Jaya Guru Datta.

昨日の朝のプログラムの後、プラモーディは私がしていることを見に来ました。私はカンナダ語のバジャンを書いていました。昔の歌でした。バラ・スワミジに歌の校正を頼みました。

バジャン:Ta Ta Ta Tayi.

「母よ、あなたを熟考する中で、常に確立される知恵を私に与えてください。両親は私のア―トマ(真我)ではなく、体にのみ権利があります。あなたは創造者、保護者、所有者、すべてです。

あなたは知性、献身、シャクティ(エネルギー)です。歌を歌う時でさえ、あなたはエネルギーです。

あなたの御足に私の頭を置きます。どうぞ私にあなたのアバヤ・ハスタ(保護を意味する手のジェスチャー)を与えてください。そうすれば、私のすべての暗闇が消えるでしょう。私は本の知識以外の知識はありません。たとえ私が何であれ、科学者だとしても、読んだ本の知識でしかありません。私のエゴは本からの知識によるものです。どうかエゴを取り除いて、決して去らない至福をください。」

これがバジャンの意味です。

nava04

PAGE TOP