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トリプラ・ラハスヤ(三位一体の母なる女神の秘密)7日目

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トリプラ・ラハスヤ(三位一体の母なる女神の秘密)7日目

バジャン:Devi Viradrupavainatti Neeku

(※この講話が行われている最中にドローンカメラによる撮影が行われていました。)

頭上を飛んでいるドローンカメラを見ないでください。あなたの歯と面白い表情がカメラに映し出され、(それを見て)自分の悪態をつくでしょう。ですので、ドローンカメラを見ないでください。献身と共に頭を下げてスワミジに集中してください。猿のように見る必要のあるものは何ですか?あなた方はこれまでドローンカメラを一度も見たことがないのですか?ドローンの羽根から涼しい風が吹いてくるので楽しんでください。見る必要はありません。スワミジはあなた方に食事と、ブランコに乗っているようにな上から涼しい風もあげたのです。ほかに何が必要ですか?幸せに眠ってください。

見ないでくださいね。編集するのが難しくなるでしょう。編集チームはあなた方に悪態をつくでしょう。見続けるのなら、編集チームは皆さんを呪い、笑うでしょう。彼らは一人ひとりにカメラを向けその男性や女性を笑うでしょう。ここだけではなく、他のどこでも。したがって、そのドローンカメラを見ないでください。編集チームはあなたをからかうでしょう。彼らは大きなスクリーンにあなたの歯を見せ、誰もが笑う画像で動かなくするでしょう。

他の編集者が来て、録画した中から他の人を選ぶまであなたの変な表情は笑いものになるでしょう。そのカメラを見ないでください。そのカメラは真剣に仕事をしています。あなたはバジャンを歌うことが出来ます。あなたがそうしたら、眠ることが出来ます。時々、カメラは自由に動く羽根のように動きます。カメラは何も新しいものではなく、あなたはすべてそれに慣れています。

二、三のテレビ局が来ています。彼らはサカラダーラ・ルーピニ・タムの歌を望んでいます。明日、または明後日放送するためにレコーディングをしています。

バジャン:Sakaladhara Rupini Tum

昨日まで、私たちがア―トマ・タットヴァ(真我の真理)を理解するために必要な事前の準備について、一日ずつ話しました。それはちょうど旅行のために荷物を詰める方法のようです。それは世界でも共通のことです。これまでのところ私たちは帰依、献身、信そしてイーシュワラ・プラニダーナ(アシュタンガ・ヨガの勧戒の一つでリアリティへの専心を意味する)について学びました。イーシュワラ/神への献身なしに私たちは母なる女神の恩寵やグルの恩寵を得ることは出来ませんし、真我実現の本質を学ぶことも出来ません。主ダッタ―トレーヤーはこれまで直接パラシュラーマに例え話を通して教えてきました。ここに多くの教えがあります。目次の部分をスタートしたかどうかさえも分かりません。たくさん学ぶものがあるのです。

母なる女神にひれ伏します。私たちはウパデーシャ(教え)の七日目に入っています。

バジャン:Vandeham Vandinutam Nandayutam

霊的な求道者によって懇願され、ずっと至福であり、歯がジャスミンの花の様に輝き、顔が月のように咲き誇り、すべての疑念を打ち砕くことが出来る人、太陽に光線を与える人、ヨガの体現者である人、私はそのようなジャガンマータ(すべての世界にとっての母)にひれ伏します。

彼女は音楽を喜ぶガヤトリーです。彼女はサーマヴェーダの詠唱を喜ぶサヴィトリーです。彼女は創造主ブラフマーのエネルギーです。彼女は美しい体を持っています。彼女は人生の海を渡る皆さんを運ぶことができます。私はそのような母なる女神にひれ伏します。

彼女の至福の形は創造全体に遍満しています。彼女はヴェーダの実践を確立する人々を守るヴァーラーヒのエネルギーであり、そして彼女は彼らに雄弁を授けます。彼女は母なる地球の娘、シータです。彼女は救済を授けた存在です。彼女の無限の至福は創造全体に遍満しています。火を捧げる場において、草の葉を含むすべては彼女の姿です。私はそのようなジャガンマータ/宇宙の母にひれ伏します。

彼女はカイラサに住まうシヴァの配偶者です。彼女は幻想を創造するカーマクシです。彼女はカーリーで、永遠の至福・サッチダーナンダの体現です。その母があなた、私、他のすべての人を守りますように。私は彼女にひれ伏します。

詠唱:三位一体の母を礼拝します― Namaste tripure mataha – maha parasivasraye Namaha karana satyakhya – parananda sudhatmike

今日、母なる女神は、バルガヴェ・ラーマ/パラシュラーマに伝えた主ダッタの教えを通して、世界は実在ではなく、ア―トマだけが実在であると私たちに教えています。このウパデーシャ(教え)を理解しましょう。

パラシュラーマはダッタに訴えました。

「主よ、サッドグルよ、この世界はいつも実在のように思えます。実在であると、私たちはそう見ています。すべての動きと活動があります。私たちが話すとき、世界が話します。私たちの周りの世界はいつも現実です。この世界は非実在であると私たちが知っていたとしても、実在ではないと言われたとしても、数多くの苦行の後でさえ、なぜそれは実在のように見えるのでしょう?これは現実ではない、それは夢です、続かないものだといつも言われます。

明日、あなたはそこにいないかもしれません、私もいないかもしれません。この場所はそこないかもしれません、この創造さえ存在しないかもしれません。それでも、わたしは見ています。私は繰り返し言われた後でさえ理解できないのです。なぜなのですか?」

もし、パラシュラーマが理解できないのであれば、パコラ(インドの揚げ物)と他の食べ物の世界に住み続けている私たちはどうやって理解できるのでしょうか?

「どうかこの無知を吹き飛ばしてください。私たちは触ったり、感じたり、話したり、座ったりしています。これを非現実だと、どうやってみなすことができるのでしょうか?どのように座って、いいえ、私は座っていない、と言うことができるのでしょうか?どのように食べて、飲んで、全く食べていないし、飲んでいない、と言うことができるのでしょうか?座った、食べた、飲んだ、これが真実です。しかし年配者は、これは現実ではないといつも言っています。しかし、これらすべては本当に現実のように見えます。この無知を晴らすために何をすることが必要でしょうか?」

主ダッタは言いました。

「パラシュラーマ、この世界が現実であるという幻想は目新しいことではありません。それは昔からずっと問題でした。幻想の根本原因は無知です。私たちは肉体をア―トマ(真我)だと思っています。ア―トマを理解することができずに、人は肉体がア―トマだと考えています。周りを見て、私たちが見ているものすべてが存在していると信じています。神を知ることができず、人は肉体がアートマだと考えています。それが大きな問題です。世界は私たちが感じているようにあるのです」

「私たちは触れること、座ること、食べること、飲むことなどが現実だと感じます。どうやってこのすべてを非現実だと呼ぶことができるのでしょうか?私が触っていることは現実です。私が座っていることは現実です。私が食べていることは現実です。私が飲んでいるそれは現実です。あなたはこのすべてを非実在呼んでいます。あなたは偉大な人なので、これは実在ではないと言っています。しかし、私はそうは見えないのです。これが実在ではないと同意することはできません。この理由は何でしょうか?」

幻想-肉体がア―トマであるという幻想。その幻想は人を包み込みます。幻想は世界が実在だと信じるように私たちを導きます。その幻想は肉体がア―トマだと信じるように導きます。肉体がア―トマだと考えるとき、世界全体は実在のように思えるのです。

この無知を取り除く方法の一つがあります―この世界が実在せず、ア―トマが唯一の実在であるという確固たる決意です。とてもシンプルです。何もなく、ア―トマのみが実在であり、神のみが実在であると確固たるマインドをいつも持たなければなりません。私たちが見るものは何であれ、そこにはありません。あなたが確固たる決意でそれを信じる時にのみ、無知は消え去るでしょう。とても易しいです。あなたは堅く信じなければなりません。

そのときのみ無知は消え去るでしょう。そうでなければ消えないでしょう。私たちは堅く信じてないので、無知は無くならないのです。ア―トマのみが真実であり、私たちを取り囲むものすべては実在しないと確固たる決意を持たなければなりません。ア―トマのみが実在である、ア―トマが神であると確固たる決意を持つ時、覆っている幻想は破壊されます。

これを理解するために、神は物語を語っています。神は自分自身を例に挙げています。

「昔、ヴァンガと呼ばれた国では、サンダラムと呼ばれた大国を支配していたスシェーナという正義の王が、主を喜ばすためにアシュヴァメダ・ヤーギャを行いました。彼には多くの息子たちと愛情深い兄弟のマハーセナがいました。

ある日、スシェーナはヤーギャの馬を自由にし、馬の後を息子がついていくように送り出しました。『馬の走りが征服者から抵抗を受けても、馬が行くところに行きなさい、馬がどこに行こうとも王国に勝ちなさい」もし国の王が馬を捕らえた場合、息子たちは王国に勝つために戦うだろう。その国の王が馬に崇拝の念を持つならば、それは王が息子たちに王国を明け渡していることを示すことになる』

息子たちは馬と共にアイラバティ川の土手に着きました。息子らは馬がどこに行こうともついて行きました。どこで馬が止まるのか、どの王が馬を捕まえるのか誰にもわかりませんでした。彼らは前に進んでいきながら、サマーディ(深い瞑想)状態であったタンガナムニと呼ばれる賢者を見ました。

サマーディの状態で、タンガナムニは肉体のことは意識にありませんでした。それがサマーディの状態です。彼らは死んでいるように見えますが、そうではありません。プラーナ/生命力はどこかにあります。賢者は深い瞑想状態で座っていました。王子たちは賢者に注意を払うことなく、馬の後ろについて前進していました。タンガナムニに敬意を払うことさえしませんでした。

タンガナムニの息子はこのことを知って、非常に怒りました。賢者はいつも怒ったりしません。怒ったのは周りです。息子が怒り、『私のグルに敬意を払わずに立ち去ろうとしている。彼らを捕まえろ』ヨガの力で息子は全軍隊を破壊し、馬と王子もろともに、巨大な岩に合体させてしまいました。

これに気が付いた残りの戦士の何人かは、王スシェーナに問題を報告しました。『私たちは偉大な賢者を侮辱しました。賢者の息子は怒りました。息子がどんな魔法をかけたのかわかりませんが、全員が岩と合体してしまいました。私たちはどうにかこうにか逃げてきました。それは大きな岩でした。彼らは岩に入っていってしまったのです』

どうやって岩に入っていったのか?私たちにはわかりませんが、入ってしまいました。これがヨーガ・シャクティ(ヨーガ的パワー)です。大きな岩の内側には何もありませんでした。ただの大きな岩でした。王スシェ-ナはとても驚いていました。王は馬と息子たちを取り戻すために兄弟のマハーセナを送りました。

マハーセナはタンガナムニと彼の息子を何とか喜ばせました。タンガナムニのために息子は、岩の中に全世界を創造しました。岩に中に世界全体が存在していました。岩の中に別のタンガナムニと息子がいました。スシェーナとスシェーナの兄弟も岩の中に到着しました。なんというマーヤ(幻想)でしょう?これは些細なことではありません。

彼はその岩の中に創造全体を確立しました。マハーセナは賢者の息子がその岩の中に全創造を創ったことを認識しました。馬と王子たちを見つけた後、マハーセナは彼らを王国に送り返し、タンガナムニの息子に岩の中の世界を見たい要望を伝えました。『偉大な魂よ、我々の過ちを許してください。私はその岩の中の世界を見たいのです』タンガナムニは、マハーセナに世界を見せるために岩の中に行くよう息子に指示を出しました。岩の内側にどうやって行くことが出来るのでしょうか?

『中に行き彼に世界を見せてあげなさい』と賢者は言いました。彼らは当たり前ように、岩の中に入り、出てきました。もし、簡単に岩の中に入って、出てきて、出入りするのだとしたら、良くない事でしょうか?私たちは家賃を払う必要はありません。岩の中にただ住むことができます。ともかく私たちのハートが石でできていて、もしその石の中に入るとしたら、どうなってしまうのでしょうか?

ともかく私たちのハートは石で作られています。私たちには思いやりや哀れみというものがなく、石でできたハートを持っています。石でできたハートがどんなであるか見せましょう。「ヴァジラーダピ・カソラディ」は偉大な魂が記述されている方法です。そのハートは花より柔らかです。バターは冷蔵庫の中で溶けますか?溶けません。しかし賢者のハートは溶けます。そのくらい柔らかいのです。賢者のハートは冷蔵庫の冷たさでも簡単に溶けてしまうでしょう。

しかし、そのようなハートは、ダイヤモンドで作られたどんな武器であっても、強固になり、壊されないでしょう。タンガナムニは岩の中の世界を彼に見せるよう息子に指示しました。そして自身サマディ状態に入りました。息子はマハーセナを微細な形にして、彼自身も微細な形にし、彼のヨガのパワーで岩に入りました。

そこでは、タンガナムニは彼が創った創造をマハーセナに示しました。「見てください。私はこれを創りました」マハーセナが壮観な物を観察しているとき、岩の中で一日は過ぎていきました。しかし地球上で、その間百二十億年が経過しました。

あなたは未来に行ったり、過去に戻ったりできる『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の映画を見たかもしれません。彼らはそのようなマシーンを発見していないですが、もし発見したらいいですね。それぞれの家庭に一台持つことができるでしょう。過去に戻って、おじいさんやおばあさん皆に会うことができるでしょう。未来へ飛んで行ったら、次はどう水牛として生まれてくるかを見ることができるでしょう。

後に、息子はマハーセナと共に岩から出てきて、粗雑体(肉体)の形態を身につけました。何年もの時が過ぎていました。そこには誰もいませんでした。マハーセナの兄弟も関係者もそこにはおらず、王国もありませんでした。新しいいくつかの地理が出現していました。すべての場所が完全に変わっていました。マハーセナはこのことすべてに気が付いたのでした。

「これは私の世界ではありません。他の世界のように見えます」マハーセナは感じました。それは彼らの世界でしたが、変わってしまいました。私たちは毎日変化しています。私たちが新しい家に行けば、生活の仕方は変わります。小さな子供らは幼い時はとてもかわいく見えますが、成長すると表情が硬くなります。子供たちを見てください。私は子供時代このカンナダ語の歌を歌っていました。「トッティラ・マグ・チャンダ、エンメ・ハール・チャンダ、ハリ・ジーヴァナ・バフ・チャンダ、カッテ・マリ・チャンダ・・・・」子供の頃にこの歌をずっと歌っていました。ゆりかごの中の赤ちゃんは美しい、水牛のミルクは美しい、村の生活は美しい、ロバの赤ちゃんは美しいものです。

マハーセナはすべてが変わってしまったことに気づきました。都市は森に変わり、森は都市に変わってしまいました。町は村になり、村は町になりました。山は川に変わり、川は谷に変わりました。谷は山に変わりました。タンガナムニの息子は驚いたマハーセナを見ました。「王よ、世界はいつもこのように変わります。あなたが見た世界は非常に短い時間の間に、このように完全に変わってしまいました」

数人の小さい子たち、小さい男の子たちがここ(スワミジのアシュラム)に来ていました。彼らは小さな女の子のようにとても可愛かったのです。彼らのうち一人が今日もここにいて、後ろで私をタタジと呼んでいます。彼はパダ・プ―ジャのためにここにいて、私は彼にキスをしようかと思いましたが、彼はもう少しひげが生えていました。ひげが少しあったのでそれ以上彼を撫でる気がしませんでした。

「トッティラ・マグ・チャンダ、カッテ・マリ・チャンダ、エンメ・ハール・チャンダ・・・」子犬はとてもかわいい。あなたはキスしたい、連れていってペットにしよう。いったん子犬が大きくなると、私たちは追い払ったり、しつけたりします。村での生活はとてもいいのです―交通も、交通ライトも、電話も、電気もありません。夜6時以降は騒音もなく、みんな静かです。誰もが寝ています。街では夜中の12時でさえ、クラクションが鳴っています。夜中の12時まで、あるいは1時でさえ、道路は混んでいます。

村では、人々は夜6時までには寝ます。ミルクとバターはとても新鮮で質の良いです。そこの人々はいつも幸せです。テレビがなく、電話がなく、彼らは6時までには寝ます。「ハリー・ジーヴァナ・チャンダ・・」の歌が続きます。その歌は「ニルマラ・マナセー・バフ・チャンダ・・・」と歌います。純粋なマインドはとても、とても美しいものです。

あなた方が考えていた世界は大きく変わりました。変化は終わっていません。さらなる変化があるでしょう。科学が進歩するにつれ、より変化します。細い棒があり、棒の先には家があります。それはとても変わっています。棒は揺れるので、あなたは家から他の場所へ行くことできます。通りに出る必要はありません。家はある場からある場へ飛ぶでしょう。運転する必要はないでしょう。

科学は引き継がれるでしょう。おなかがすいても、何も食べないでしょう。スイッチをオンにして、空腹を満たすでしょう。もし、他のスイッチをつけると、眠りにつくでしょう。あるスイッチはあなたを起こさせ、あるスイッチはコーヒーを飲ませ、あるスイッチはシャワーを、あるスイッチはチャツネで朝食を作り、口に置いてくれます。これ全部、起きることです。とても良いことです。私たちは人間ではなくなり、電気人形になり、何も感じない、ハートも、マインドもないロボットになるでしょう。

どうやって子供が生まれるのでしょうか?スイッチが即座に子供を与えてくれるでしょう。人々は男の子か女の子どちらが欲しいか選ぶのにコンピューターを使うでしょう。子供らは長い間小さいようにしておくことはできません。スイッチをつけて、子どもたちは成長します。スイッチとつけ、子供らは結婚し、家を出ていきます。この人形は(子供がいなくなり寂しいと)泣くでしょう。スイッチをポンと押して、寝て、またスイッチをポンと押して起き上がるでしょう。

食べることもしないので、トイレをする必要もありません。とてもいいですね。これが世界です。ロボットの時代になるでしょう。私たちがヴァイクンタにいることはラッキーです。中国や日本でビデオゲームをする人々を見ると、その様になるかもしれないと心配になります。そこにはコンピューターだけでお互いに話す子どもたちがいます。私たちは何かわかるわけでもないのですが、子どもたちは私たちについて話しているかも知れませんし、馬鹿にしているかもしれません。

笑って見ていますが、実際は私たちを嘲笑っています。「彼をみて、猿のようだ。髪の毛を見て」世界はこんな感じです。自己尊重がありません。無いのです。ブラフマもまたそのようでしょう。ブラフマは彼のように私たちを創るでしょう。

村は山になるでしょう。砂漠は人口が多くなるでしょう。今、ドバイに雨が降っています。それは大きなニュースでした。その時私はドバイにいました。とても幸せでした。雨が降ると、良い作物を育てられます。物事はいつも変わります。これは人形劇です。感情もありません。生きている限り生きます。お互い関係性もありません。

タタ・バイバイ、チェーリオ―私たちはそれぞれ自身の道を行きます。生きている限り、幸せでいて、母なる女神に祈り、一秒でもグル・パードゥカ(師の履物)を手放さないようにしなさい。無益な仕事が常にありますが。どうして手放さないのですか?またそういった仕事を持てるでしょうが、グル・パードゥカを失ってしまうでしょう。

マハーセナはこの秘密を熟考し、永久の幸せを得ました。主はパラシュラーマに、例え話を通して、世界の非永続性とア―トマ(真我)の永遠の本質について教えました。あなた方皆さんが、母なる女神の恩寵によって、無知から解放され、永遠の真理の、真の至福を経験しますように。

誰もがアンナ・ダーナ(食べ物の寄付)に貢献すべきです。寄付者の写真はアンナプルナ・マンディ―ルで見ることができます。七五歳の降誕祭は壮大な形で開催されます。実際のインドのカレンダーでの生誕祭は六月六日ハイデラバードで行われます。私は六月三、四、五日頃からいくでしょう。ここに来ている誰もが、ハイデラバードに行くかもしれません。

バジャン:Ninnu nammi vachchinanu

スリ・グル・ダッタ

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