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シュリーマド・バーガヴァタム 第19話

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ナーラダは続けました。
「おおヴィヤーサ、実際のところ、人間は物質的快適さに傾倒しています。あなたはこれまで、成果を得るための行為を教えてきました。これらの無知な人々は、あなたの言葉を信じ、成果のある行為(報酬を期待して行われる行為)のみを思い、それをダルマ(正義)とみなしてしがみついています。成果のための行為にしがみついていることによって、差異を手放すことができず、それをそのまま、正しい視点で解放を教えるヴェーダの宣言として受け入れています。

『行為することがもっとも重要である。それが解放をもたらす』と彼らは信じています。良い行いをすることによって、二重の利益があると思っているのです。つまり、彼らは幸福で快適な人生を送り、同時に、天界に達したときに天界での安楽さも楽しむことができると思っています。彼らにすれば、これが究極の状態です。したがって彼らはまったく真我実現の獲得へと向かわず、その道を歩んでいないのです。

成果のための行為を完全に放棄した賢明な人だけが、知識への完全な専心とともに、全知にして遍在する至高の主の至福状態を理解することができます。賢明な学者のみが到達するそのような状態に、どうやって普通の人々が達することができますか?

したがって、おお偉大なる聖者よ!肉体と物質的世界に執着し、これらのトリグナによってとらえられている人類の利益のために、主の持つ特質について教えるようにしてください。

Tyaktvā sva-dharmaṁ caraṇāmbujaṁ harer
bhajann apakvo ‘tha patet tato yadi
Yatra kva vābhadram abhūd amuṣya kiṁ
ko vārtha āpto ‘bhajatāṁ sva-dharmataḥ

スワダルマ(自分自身のダルマ)のために、主の蓮華の御足に仕える者は、たとえ道から逸れ、完全さを獲得する前に死んでしまったとしても、続く生のなかで、けっして悪い性質を得ることはありません。

スリハリへの崇敬の念とスワダルマの遵守が欠けているところでは、今世でも、天界でも、来世でもけっして良い結果を生み出すことはありません。つまり自分のダルマの遵守は、崇敬の念がなければ無駄になります。そのため知的で賢明な人は主の蓮華の御足に仕えることだけを努力すべきです。

成果のための行為と、その成果の獲得に完全に捕らえられてしまっている人たちは、スリハリの住居へと達することはありません。価値ある行いをした結果、彼らは天界に到達し、そこで快適さを楽しみます。そしてバランスが崩れたときに地上に落ち、再び行為の実践によって天界を得ます。彼らはこのサイクルにはまっています。彼らはスリハリに達することができません。

したがって、もっとも崇高な行為を数多く実践し、至高のヤグニャを執り行い、さまざまな知識分野での専門性を獲得し、何千万の書物を記し、その他のさまざまなことを達成したとしても、スリハリへの崇敬の念がなければ、無駄になってしまいます。

あなたは博識な学者です。多くの崇高な書物を記してきました。あなたの名は地上において永遠のものになるでしょう。これらすべての到達点は、至高の主への崇敬の念を持つときにのみ、あなた自身のものになり、価値あるものになるのです! そのことがあなたの未来の旅路を助けるでしょう。もし至高の主への崇敬の念を欠くならば、同じ行為があなたを再生誕のサイクルのなかに捕らえるでしょう。その人物は良い行いをして、その結果、天界に達するでしょう。そして快適さを楽しんだ結果として地上に戻り、良い行いをして、再び天界に達するでしょう。これは終わりのないサイクルです。同じ行為が、主ハリへの崇敬の念とともに行われたとき、この世界と、次の世界、続く生において、良い結果を降り注がせます!

知性を超越した速さで動いている時間の影響によって、存在物は、どこの場所でも、プラーラブダ・カルマを経験し続けます。その結果、その物質的な喜びと悲しみを経験します。

前世での成果行為は、今世での物質的な喜びと悲しみの経験を引き起こします。あなたの安楽、力、地位のすべては以前の行為に原因があります。これらの喜びと悲しみが触れることができない場所で、彼は主の住居に到達することができます。

したがって、おおヴィヤーサ!主スリハリに仕えるものは、けっしてこのサンサーラ、すなわち生と死が繰り返されるサイクルに捕らえられることはないのです!このことに反論の余地はありません!その原因は、『主の蓮華の御足の奉仕』と呼ばれる甘露を味わったことにあります。彼はもはや主スリハリから離れたものへは傾かないのです。

私たちは、宇宙の創造・維持・破壊が、主スリハリによって起こるということを話してきました。この至高のパラマートマから離れては、世界も個人も存在しません。しかし、至高の主は、それらから離れ超然としています。これはあなたに知られています。あなたはこのことに関する一つの側面なのだと私は定義しています。

あなたは高度な知性を持ち、実際は、誕生していないのです。しかし、この世界の人々の福利のためだけに、至高の主の一側面として生を持ちました。このことを覚えておきなさい。至高の主の特質と栄光ある行為について、この世界の人々に、詳細に至るまで説明してください。

苦行、ヴェーダの学習(アディヤーヤナ)、犠牲、その他の儀式、良い言葉、得られた知識、慈善行為は、その人が至高の主の栄光ある行為を賞賛するときにだけ、意義のあるものになり、成就されると、高度な知性を持つ人々は述べているのです」

ナーラダは彼自身の話を教えました。
「おお聖仙よ!以前のカルパにおいて、私は女中の息子として誕生しました。小さな子どものころに、チャトルマーシャの苦行のためにやってきていた数人の偉大なる聖者にお仕えする仕事を託されました。とても小さな子どもではありましたが、玩具やその他の子どもの遊びには関心を示さず、その卓越した聖者たちに仕えることに完全に熱中し、彼らの命に従っていました。私はほとんど話しませんでした。この聖者たちはすべての人を同様に扱いました。しかし、彼らは私に対して深い慈悲の念を持つようになりました。この聖者たちの許しを得て、一度だけ残り物、つまり彼らのお皿に残っていた余りものをいただきました。これによって私の罪は完全に破壊されてしまったのです。このように彼らへの奉仕によって、私の心は完全に純粋になりました。私はダルマの実践に深く献身するようになりました。

毎日、聖者たちは主スリ・クリシュナを賞賛する歌を喜びに満たされて歌っていました。私は完全なる献身の念とともに、それを聞いていました。その結果、私は主スリ・クリシュナへの愛と献身を培っていきました。献身の念が増すと、それは私の心を不動にしました。心が不動になるのは、崇敬の念を通してのみです!

そのような堅固な心をもって、全世界とこの私の体は純粋に無知によって生じたのだと認識することができました。このように毎日三回、聖者たちによって表された無限なる主の栄光を熱心に聴くことによって、私のトリグナを破壊する献身の状態を獲得することができました。

したがって、純粋な愛、感覚の統御、謙虚さ、献身を通して、彼らに奉仕していた私はすべての罪を完全に清めたのでした。チャトルマーシャ・ヴラタを終え、出発の時になって、虐げられし者に完全な慈悲を持つ偉大なる聖者たちは、究極の秘密、バーガヴァタムを、子どもにして、また純化された私に伝えました。彼らはこのバーガヴァタムを主から直接学んだのでした。

オーム ナモー ナーラーヤナ

続く

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