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シュリーマド・バーガヴァタム 第21話

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聖仙ナーラダは続けました。「私は北方へ旅をして、繁栄している多くの場所や林、池、庭や山々を通り過ぎた後、ついに巨大な密林に辿り着きました。そのときはもうひどく消耗していました。近くに池を見つけて、そこで沐浴しました。ア-チャマナをして、池からの水を飲み、疲れを和らげました。孤独な人の住まない林の無花果(いちじく)の木の下に座り、至高の主を熟考しました。その至高の主はハートの内側で、真我(アートマ)の形で光輝いています」

みなさんにはこのことをどうぞ心に留めて頂きたいのです。みなさんは一人きりのときでも、過去の出来事や、悲しみ、無益な取引、かつて自分たちに積み重なってきた侮辱などを拾い集めることで時間を無駄にしています。それは正しくありません。自分自身(エーカンタ)のためにもっぱら時間を使うことは素晴らしい幸運です。すべての人がそのように自分自身のために時間を独占できるよう祝福されているわけではありません。私たちはおそらく、「独りでいることは何と素晴らしいことなのだろうか?」と考えるかもしれません。 失業者、病気の人、私たちが見ているような他の人たちも、この機会を孤独で何もないときに持っているのです。しかし、彼らのハートを詮索して、彼らが何をやっているのかをご覧なさい。それから聖賢ナーラダがこの機会で行ったことを観察してみてください。聖賢ナーラダは真我(アートマ)の形でハートの中に座している至高の主に集中していました。

聖仙ナーラダは続けました。
「私は次のような方法で熟考しました。『私は誰か?私を通して輝いている光は何なのだろうか?私の真我の形の中で照らしているそれは何なのだろうか?どうやったら私の真我を知ることができるのだろうか?』私がこの熟考を進めていたとき、完全に心はバクティ(献身)のコントロールの下に置かれました。これとともに、神を見たいという願いと神をつかみたいという願望が私の中で非常に強まりました。この強まった願いのために、目には涙が溢れ、小川のようにどんどん流れ始めました。

『おろらく私はこの目的のためだけに生まれてきたのです。主のヴィジョンを得るためだけに生まれたのです。何らかの方法で主を仰ぎ見なければなりません。その光輝くものを見る必要があります』これが私の考え方でした。
このような方法で考えていたので、主スリハリは徐々に私のハートの中に現れてきました!ハートの中に主を見ることができたのです!これが『アートマ ダルシャナ』の意味です。内側に見ることができたのです。このことによって、主へ向けた愛と献身は遠くへも沸き立ち、身体に鳥肌が立つのを経験しました。想像もできないような平安を経験しました。私は、限りのない至福の海に浸っていましたが、非二元のアドヴァイタ(不二一元論)の状態を経験したのです!

至高の主のその形は、心にとってとても愛おしく、心に無限の平安を与え、深い悲しみのすべての形を追い払います。しかし至高の主は心に戻ってはきませんでした。どれだけ一生懸命やってみようとしても、また主を経験することはできませんでした。果てしなくやってみましたが無駄でした。
動揺した心で私は起き上がりました。どんな方法をしても至高の形をもう一度仰ぎ見なければならないと決意し、完全な集中(エーカグラタ)でサーダナ(修養)をまた始めました。それでも何の結果も生みませんでした。

至高の主が再び見られないのは苦しみました。私は病人のようでした。神の光やヨーガ、そのパラマートマ(至高の魂)を見られず、無力感に苛まれました。落胆して惨めな気持ちになりました。自分自身と主を見ることができない無能さに怒りも覚えました。
そのようにして、主を見るために根気強く、人気のない林に座っていたとき、空から天上の声を聴きました。『この生ではお前は私を再び見ることはできない!わずかな禁欲生活では、欲望や他の悪い傾向は完全に消えてはいない!』と」

多くの人は似あう服を着て、ヨーガを達成したと思い込み、瞑想するのに座ります。「私は至高の主を見ています」と彼らは考えます。そんなに簡単なことだと思いますか?願望、怒りや他の悪い傾向は凝り固まり、多くの転生から苦しめてきました。10分や1時間の瞑想では、この積みあがったゴミはマインドから洗い流されません。「おお私は光を見ました。神を見ました。主のダルシャンを得ました」たくさんの人がこのような形で言明します。でも覚えておいてください。このゴミはまだ消えてはいないのです。灰に変えられてはいないのです。

「神の声は続けました。『そのような状況では私のヴィジョンを持つことは非常に難しいのだ。ゴミはまだ陰に残されている。おお罪なき者よ!私に対する深い愛と献身を培うためには、私のヴィジョンであなたをもう一度祝福しよう。それが全てだ!私はその味をあなたに与えた。私への強烈な愛から、純粋な心を持った者は徐々にその望みを手放していく。あなたもまたその道を行くのだ。あなたが徐々に願望を手放していくことを望む。かつてあなたは偉大な聖者に奉仕した。その結果あなたの心はしっかりと私に固定された。あなたの重要ではない身体を手放した後、私への小さな奉仕でもって祝福されるだろう。小さなセヴァ(奉仕)を捧げる機会を得るだろう。私に完全に固定されたあなたの心は、決して揺らがないだろう。完全な創造の破壊(プララヤ カラ)の後でもこの転生の記憶は、あなたの記憶の中に鮮やかに残るだろう』

マインドや感覚には見えない至高の主は、このように音(サブダ ブラフマ)の形で彼に語りかけました」

ナーラダは続けました。
「至高の主のこれらの言葉を聴くことで、心の完全なる平安を得ました。私は主を見ようとすることを諦めました。主はつねに私とともにあることを受け入れて、私は幸せでした。全ての悲しみは消えました。全ての悲しみの消滅、願望―怒りと過去の多くの過去生の行為の結果として生じる他の醜い傾向―の破壊、そして結果としての完全なる平安の達成。これらに達した私は、深い崇敬の念で至高の主に頭を下げました。そのときから、いかなる抑制も手放し、神聖なる主の栄光や主の御名も歌い始めたのです。恥ずかしがることなく、どこの場所でも主の栄光を歌い始めました。ナーラーヤナ、ナーラーヤナ、ナーラーヤナとどこででも言い続けました」

オーム ナモ― ナーラーヤナ

続く

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