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シュリーマド・バーガヴァタム 第26話

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ドワーラカに戻ることを決めた主クリシュナはパーンダヴァたちのもとを離れました。彼はヴィヤーサと他の聖仙たちを崇拝し、そして彼らも敬意を込めて主クリシュナを崇拝しました。サーティヤキとウッダーマと供に彼も馬車に乗り、ちょうど出発する頃に、アルジュナの息子アビマニュの妻であるウッタラが怯えながら近づいてくるのに気づきました。彼女は次のように祈りました。

Pāhi pāhi mahā-yogin deva-deva jagat-pate
Nānyaṁ tvad abhayaṁ paśye yatra mṛtyuḥ parasparam

「おお偉大なヨーギ!おおデーヴァの中のデーヴァよ!おおこの世界の主よ!どうぞ私をお守りください!人々が互いに殺しあうこの世界で、私を守ってくださるあなたと離れるものはありません!おお主よ!おおイーシュワラ!燃える鉄の矢が私に向かっています。私が殺されるのは構いませんが、おお主よ、どうかお腹の子を傷つけないでください。」

ウッタラの祈りを聞きながら、彼への支持者を自身の子どものように思う至高の主クリシュナは瞬時に、この矢がドローナの息子であるアシュヴァッターマンが放っていたものであることに気がつきました。クリシュナは更に、パーンダヴァの一族をこの世から絶滅するためにアシュヴァッターマンが彼らに対して武器を放っていたのだと理解しました。

まさにそのとき、五本の激しく燃えている矢がパーンダヴァに向かっていました。身の保身のため、五人のパーンダヴァはすぐに彼らの弓と矢をとりました。主クリシュナに対する献身を持つパーンダヴァの窮状に気づき、主クリシュナは彼の武器であるスダルシャナ・チャクラ(円盤)を使い、彼らを守ろうとしました。

あらゆる存在内の真我(アートマ)の姿であり、全てのヨーギの主であるスリ・クリシュナは、クル一族の最後の子孫を守るために、ヴィラータ王の娘であるウッタラのお腹に入り、幻想の力(マーヤ・シャクティ)で胎児を包み守りました。

ブラフマーストラは無敵の武器です。それでも、この非常に強力な武器はヴィシュヌの力と輝きの前で、無力化されて沈められました。それはウッタラのお腹の中で収縮し、遠ざかりました。

この主は、奇跡の宝庫だったのです!ですから、ショウナカや他の有名な聖者達は、これをとても驚くべき出来事だとは考えないでください!生まれることなき最高の主であり、また幻想の力(マーヤ・シャクティ)を持つことで、この物質的創造の全てを保ち、溶解します。これは決して特別な行為ではありません!

クンティ・デーヴィは彼女の息子たちのパーンダヴァとその妻ドラウパディがこのブラフマスートラから守られているのを見ました。彼女は、そのような最高の功績を達成し、まさに旅に出ようとしていた主に、次のように言いました。

Namasye puruṣaṁ tvādyam īśvaraṁ prakṛteḥ param
Alakṣyaṁ sarva-bhūtānām antar bahir avasthitam

おおクリシュナ!あなたは原初の存在(アーディ・プルシャ)です。あなたはすべての世界の層(ローカ)を観照するエネルギーです。あなたは幻想の力(マーヤ・シャクティ)です。あなたは感覚の理解を超えています。あなたはすべての存在の心の中にあるだけでなく、その外にも存在します(すべてに広がっている)。おお主よ、私はあなたに敬意を表します!

霊性に対する人々の無知により、まるで幻想のヴェールに覆われているような姿のあなたは、実際にプラティヤクシャ・プラマーナ(感覚を通して把握されたときに現れる確かな知識)の理解を超えています。」

主は、自身をヴェールで覆っていません。人々の幻想が主をヴェールで覆っているのです。この霊性への無知、すなわち幻想のヴェールが取り除かれたとき、主は輝き出すのです。ヴェールが除かれないと、主は輝きません。

「おお主よ、私はどのようにして、破壊されることのないあなたを気づき、理解することができるでしょうか。愚かな者は演じるために着飾った俳優に気づきません。同じように、身体(デハービマーナ)に自己中心的な執着を持っていたり、それに夢中になっている人々は、あなたを至高の主パラマートマであると気づくことができません。

悟り(パラーマハムサ)の最も高い状態にいて、全く純粋な精神を持ち、至高の識別力を持つ選ばれたヨーギたちでさえ、献身(バクティ・ヨガ)を通して主を崇拝します。あなたの生まれ変わりは、まさにここを目的としています。至高の主パラーマハムサのようなヨーギでさえもあなたを完全に理解することができないのに、どのように私たちのような普通の女性達が主の元となる形に気づき、理解することができるでしょうか。

あなたは、アシュヴァッターマンが放った恐ろしい武器から私たちを救いました。その保護によってのみ、私たちは今生きられているのです。おお主よ、バガヴァッド・ギータを説いた主よ!おおこの世の主よ!私たちは、いつも困難が私たちの上にやって来るように祈っています。それは、そのような困難な時に、あなたのダルシャンを受けるからです。」

みなさんはこれを理解できますか?真に献身している人々は、困難が取り除かれることを祈っているのではありません。苦難が取り除かれるように祈っている人は、真の献身ではありません。彼らは献身の価値に執着しているのです。それは取引です。それは取引として終わります。取引として解消するのです。真の献身者は、苦難が彼らの元にくるように祈るのです。プランダラダサ・キールタナにおいてもこれは見ることができます。「おお主よ、あなたの慈悲心があれば十分です。その他は重要ではありません」と祈りは言います。

オーム スリーマン ナーラーヤナ!

続く

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