言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第43話

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ヴィドゥラは続けました。「私たちに死が近づいているのがのがわかります。今私たちは正しい知識を授けられています。また、私たちには耐える力があります。すなわち、今が潮時です。すべてを放棄し、世俗的な束縛から脱しましょう。今のところ、あなたは世俗的な束縛と苦難と呼ばれる罠にがんじがらめになっています。あなたがその結び目の一つを緩めれば、また別の結び目に縛られます。この新しい結び目から逃れそうと模索しても、別の結び目の網に巻き込まれてしまいます。あなたはこの結び目を緩めることしかできていません」

いずれにせよ、いつの日か誰もがこの世界を離れる必要があります。それは避けられないことです。このような状況下にあっても、その身体を離れる前に、価値ある行為をしたり、名声を得たいと思うような人はいません。過去には十万人に一人くらいはその欲望を歓待するものがいました。いまとなってはおそらく百万人に一人くらいでしょう。将来的には一千万人に一人程度になる可能性があります。ひょっとすると将来、この地球上には価値のある行為をしたいと思える人がいなくなるかもしれません。

話されていることと、考えられていること、そして為されていることが、完全に一致する必要があります。言い換えれば、思考、言葉、行為が完全に揃ってはじめて、神に向かう道のりの第一歩を踏み出すことになります。

「私の親愛なる兄よ、私の言うことを聴いてください。もう十分でしょう。時間がありません。この世界には、人が死から逃れることのできるメカニズムは絶対にありません。厳しく警告します。死が人間をその手で捕まえた瞬間、その人は人生の中で一番大切にしていた生命の力(プラーナ)から身を離さなければなりません」

この世界で、人にとって最も大切なのは何でしょう。広い視点からみるなら、すべての知人や友人が含まれます。焦点を絞ると、近い親愛なる親戚がこれらの友人よりももっと近しき存在と言えるでしょう。配偶者は、他の親戚に比べて間違いなくより大切にされています。子どもは配偶者よりも重要な存在とみなされます。しかし、その人が獲得した富は彼の子どもよりも重要です。さらに言うなら、財産よりも重要なものは自身の身体です。人間は身体を重要視します。人間は自らの感覚器官と知性に従います。そして最後に、たとえ彼がこれらのすべてを手放そうとしていようとも、人間にとって最も愛されているもう一つの秘密のものがあります。それが人間の生命の力(プラーナ)です。

この生命の力(プラーナ)そのものが彼の元を去っていくとき、残された現世の愛着物にどんな意味がありますか。プラーナと彼は一心同体です。炎そのものが消え去ると、他に何が残りますか。人は金色のランプを所有することができますし、ギー(透明なバター)を買うお金の余裕だってあるかもしれません。ろうそくの芯だって高価な糸を使用しているかもしれませんが、炎そのものが消えてしまったら、何の意味がありますか。私たちが物事を見ることができるのは炎のおかげです。私たちはまぎれもなくその光のために存在します。

その炎は芯に灯りました。その芯は油やギーを吸い上げ、油やギーはランプ本体に蓄えられていました。このような仕組みで、炎はその領域を広げ、どこにでも広がります。私たち人間は、 「私はランプを点灯させる人です」や「これは私のものです」などと信じています。しかし根本は炎だったのです。この世界では、人間は炎以外のすべてを理解することができます。この炎が生命の力です。この生命の力は神によって与えられます。この世界の人々のつながりは、この生命の力によってのみ生じています。財産も家族も親戚といった現存するものは、すべては生命の力が存在するからそこに現れています。あなたがどれほど財産、家族、親戚、自身の身体に愛着を感じていようとも、あなたはいつの日かすべてを手放すことになるのです。

ナーラヤナ!ダッタ・ナーラヤナ!

続く

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