言葉と教え

ラリタ・サハスラナーマの名の意味191~200

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191. Duḥkhahantrī ドゥフカハントリー

意味)彼女は全ての悲しみと恐れ(ドゥフカ)を消し去ります。

全ての悲しみはターパトラヤ(三つのターパ)に分類されます。悲しみと苦悩によって身体は緊張し熱(ターパ)を帯びます。三つのターパとは、アーディヤートミカ、アーディボウティカ、アーディダイヴィカです。

アーディヤートミカ・ターパトラヤーは身体的な苦難です。ここでのアーディヤートミカを霊的探求に関する困難と混同するべきではありません。

アーディボウティカ・ターパトラヤーは、熱さや蛇に噛まれるなどの外的な要素による苦難です。予想できない天災による苦難がアーディダイヴィカ・ターパトラヤーで、例えば雨や嵐などです。

彼女は信奉者をこれらの三つの苦難から救います。

192. Sukhapradā スカプラダー

意味)彼女は幸福と至福(スカ)を信奉者に授けます。これは通常の幸福だけではなく霊的な至福も含むものです。

信奉者を苦難から救うだけでは十分ではなく、幸福と至福を授けることがより重要です。世俗的な幸福は一時的であり、神聖な幸福(至福、アーナンダ)が本当の祝福です。

ウパニシャッドはさまざまな進化段階におけるそれぞれの至福を詳細に説明しています。『タイッタリーヤ・ウパニシャッド』の「アーナンダヴァリ」がそれを説明しています。11種の至福があるとされています。それぞれの種類の至福はその上の段階の至福の100分の1しかありません。その喜びの段階の一番下にある人間の至福は次の段階のマヌシャ・ガンダルヴァ(天人の一種)の100分の1です。マヌシャ・ガンダルヴァの至福は次の段階のデーヴァ・ガンダルヴァの至福の100分の1です。このように人間の段階から始まってブラフマーの至福(ブラフマーナンダ)で終わると述べられています。中間にガンダルヴァ、デーヴァ、インドラ、プラジャーパティなどの段階があります。また、「アーナンダヴァリ」はニシュカーマ・カルマ(非利己的で願望のない行為)がこの至福に到達するための鍵だと述べています。

193. Duṣṭadūrā ドシュタドゥーラー
(詠唱の際に、ここから始まる詩句の列は「ドゥシュタドゥーラー ドゥラーチャーラー(合間) シャマニー ドーシャ ヴァルジタ」のように分割して合間を入れるべきではありません。「ドゥシュタドゥーラ」は一つの名前で、「ドゥラーチャーラシャマニー」も一つの名前です。「ドゥラーチャーラ」の後をあけると、意味を否定的なものに変えてしまいます)

意味)彼女は悪い感覚や思い(ドゥシュタ・バーヴァナ)を消し去ります。悪い想念を持ち邪悪である人は彼女に到達できません。

霊的実践は、悪い性質を消し去り個人に変容をもたらすことを純粋に目的としています。全ての人が定期的に自分のサーダナがどの程度の変化をもたらしたか振り返る必要があります。「今日私はどのようにより良い人間になったか?」と毎晩寝る前に自分に問いかける必要があります。

聖なる母はこのように信奉者の中にある悪い思いや意図を消し去ります。

悪い思い、行い、意図では彼女を理解することも推測することもできません。彼女を礼拝したい、あるいは理解したいという願望がそのような心に生じることはありません。

194. Durācāra-śamanī ドゥラーチャーラ・シャマニー

意味)彼女は信奉者のドゥラーチャーラをちぎり捨ててしまいます。

アーチャーラは遵守すべき習慣、慣行、実践、行為規範です。サダーチャーラは代々伝わっている適切で正しい行動の仕方や慣習です。その反意語がドゥラーチャーラです。

聖なる母は無限の恩寵によって信奉者の全てのドゥラーチャーラを消し去ります。
『バガヴァッド・ギーター』は述べています。

Shreyan swa-dharmo vigunaḥ par-dharmāt swanusthitāt
Swadharmē nidhanaṃ śreyaḥ para-dharmō bhayāvahaḥ
シュレーヤン スワダルモー ヴィグナハ パルダルマート スワヌスティタート
スワダルメー ニダナン シュレーヤハ パラダルモー バヤーヴァハハ

どれだけ小さく、あるいは報いがないように見えても、祖先から伝わり課された日々のダルマに従う必要があります。自らの義務(ダルマ)のために死ぬことは最良の道です。別の人のダルマを行うべきではありません。別の人の仕事を行うことは同じ成就をもたらさないからです。

195. Doṣa-varjitā ドーシャ・ヴァルジター

意味)彼女は信奉者を全てのドーシャ(悪習、欠陥、悪い性質)から解放します。

悪い性質のなかでアリシャドヴァルガ(怒り、嫉妬などの六つの内なる性質)がもっとも顕著な悪い性質ですが、私たちの中には、さらに悪い性質が無数にあります。彼女はそれらを根絶し、信奉者を解放します。

196. Sarvajñā サルヴァジュニャー

意味)彼女は全能(全知全能、全ての知識形態の主)です。

全能者以外に全ての知識を持っていると主張できる存在はいません。

197. Sāndrakaruṇā サーンドラカルナー

彼女は信奉者に対して無限の強烈な慈悲(カルナ)を持っています。
「サーンドラ」は「厚い、強い、深い」の意味です。

198. Samānādhika-varjitā サマーナーデイカ・ヴァルジター

意味)彼女の目には全ての存在が等しく映ります。
彼女は何の区別もなく腕を差し伸べ、全ての存在を引き寄せます。それらと一つになることが彼女の唯一の目的です。

199. Sarvaśakti-mayī サルヴァシャクティ・マイー

意味)彼女は全てのエネルギー(サルヴァ・シャクティ)の姿です。彼女はエネルギーの全てです。

200. Sarva-maṇgaḷā サルヴァ・マンガラー
(サルヴァ・マンガラは一つの名です。サルヴァの後に合間を開けるべきではありません。サルヴァシャクティマイー(合間)、サルヴァマンガラーと詠唱します)

意味)彼女は全ての吉祥(マンガラ)の姿です。彼女は吉祥の体現です。

聖典『チャンディ・サプタシャティ』は聖なる母を次のように称賛しています。

Sarva maṇgaḷa māngaḷye śive sarvārtha sādhike
Śaranye trayambakē devi nārāyaṇi namostute
サルヴァ マンガラ マーンガルイェー シヴェー サルヴァールタ サーディケー
シャランイェー トラヤムバケー デーヴィ ナーラーヤニ ナモーストゥテー

意味)全ての吉祥さの中の吉祥の原因(サルヴァ・マンガラ)である女神ナーラーヤニに礼拝します。彼女自身が吉祥であり、保護の源であり、三つの世界の母です。

『ラリタ・トリシャティ』の詩句に見られる聖なる母の名を参照しましょう。「サルヴァ・マンガラー」は主ブラフマーの名の一つでもあります。次の詩句は永遠に吉祥である主ブラフマーを説明しています。

Atikalyānarupatvāt nityakalyānasamśrayāt ǀ
Smartrunam varadatvacha brahma tanmangaḷam viduḥ ǁ
アティカルヤーナプーパトヴァート ニティヤカルヤーナサムシュラヤート
スマルトゥルナム ヴァラダトヴァチャ ブラフマー タンマンガラム ヴィドゥフ

意味)ブラフマーは永遠に吉祥です。彼は全ての吉祥の姿を持ちます。彼について考えるだけで、全ての不吉は消え去り、吉祥が授けられます。

Aśubhāni nirācaśte tanoti śubhasantatiṃ |
smṛti-mātreṇa yat pumsām brahma tanmangaḷam viduḥ ǁ
アシュバーニ ニラーチャシュテー タノーティ シュバサンタティン
スムルティ・マートレーナ ヤトゥ プムサーム タンマンガラム ヴィドゥフ

意味)ブラフマーについて考えるだけで、全ての悪と不吉(アシュバ)は消え去り、吉祥(シュバ)が授けられます。

ブラフマ―はサルヴァ・マンガラ(永遠の吉祥)です。

これで200の名を終えました。二番目の領域(アヴァラナ)を越え、これから三番目の覆い(アヴァラナ)へと入っていきます。この覆いの中で聖なる母は「サルヴァ・サムクショービニ」という名を持ちます。その覆い自体が「サルヴァ・サムクショービニ・チャクラ」という名です。
最初の覆いは「トライローキャ・モーハナ・チャクラ」で、非顕現のものを顕現させるものでした。三つ組(トリプティ)がこの過程で顕現するようになります。二番目の覆いは「サルヴァーシャ・パリプーラカ・チャクラ」です。「サルヴァーシャ・パリプーラ」の語は全ての願いを叶えることを意味します。聖なる母は彼女の子どもたちの全ての願いを叶えます。

願いを叶えられたのに、まだその場にい続ける子どもを次の段階に進ませるのは母親の義務ではありませんか?ここで三番目の覆いである「サルヴァ・サムクショービニ・チャクラ」が来ます。感情の阻害(クショーバ)を引き起こす心の誘因が取り去られ、人は前へと進んでいきます。

続く

⇒ラリタ・サハスラナーマ目次
※シュリ・スワミジによる『ラリタ・サハスラナーマ』の詠唱アプリはこちらです。
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