言葉と教え

バガヴァット・ギーター 第1章 1~2節

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パーンダヴァ族とカウラヴァ族はクルクシェートラの偉大さを理解していて、そこを戦場に選びました。

ヴェーダには、神々と悪魔の戦いがよく出てきます。『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』のマントラ (5-2-3) の解説には、神々と悪魔は他の場所には存在せず、人間の中にのみ存在するとあります。主にサットヴァ・グナ(純質)を持っていても、感覚を統御せずに、快適さに傾倒する人間は神々です。ラジャス(激質) に満ち、過度の欲望を抱いて、他人を助ける心が欠けている人は人間です。タマス(暗質)に満ちて、思いやりに欠けている人は悪魔です。

同じように、『チャンドーギヤ・ウパニシャッド』のシャンカラによる注釈では、人の中の邪悪な感情が悪魔であると言っています。良い感情は神々です。良い感情は常に邪悪な感情に打ち勝つ、とあります。これらの感情が互いに征服しようとする試みは、太古の昔からすべての人間の心の中で起こる戦いです。これがデーヴァタ(神)とアスラ(悪魔)の間の戦争です。


(バガヴァッド・ギーター第一章 第一節)
dhṛtarāṣṭra uvāca –
dharmakṣetre kurukṣetre samavetā yuyutsavaḥ I
māmakāḥ pāṇḍavāścaiva kimakurvata sañjayaǁ 1 ǁ

ここで、ドゥルタラーシュトラDhŗtarāśtraの定義では、マーマカーハmāmakāhは「私の息子たち」を意味し、パーンダヴァーハpāndavāhは「パンドゥの息子たち」を意味します。より深い意味を見てみましょう。

パーンダヴァーハとは「白い人々」を意味します。ドゥルタラーシュトラは「私たちの11のアクショウヒニ軍( 1アクショーヒニは、歩兵、騎兵、戦車、象兵の組み合わせで構成され、膨大な数に達します)を見て顔面蒼白になった者たち」だという意図を持って呼んでいます。
チャ・エーヴァ・キマクルヴァタ Ca eva kiṃ akurvata-は「彼らは何をしているのか?」を意味します。この言葉はも彼の息子に対する偏愛を強調しています。
サマヴェーターハ Samavetāh:は「永遠のつながりを持つ人々」を意味します。
ユユツァヴァハ Yuyutsavaḥ:永遠に戦う傾向がある人々。
マーマカーハ Māmakāh:執着により現れるタマス的な特性。
パーンダヴァーハ Pāndavāh :肌の色が白い善良な性質。
チャ・エーヴァ Ca eva :みんなで、
キマクルヴァタ kim akurvata :彼らはどんな悪行をしたのか?
パーンドゥ Pāndu には「肌の色が白い」、「サットヴィック(純質)」、「パーンドゥ王」の3つの意味があります。
キム Kim には「何か」、「取るに足りないもの」、「堕落したもの」の3つの意味があります。
これらの異なる意味の強調に基づいて、マハルシは両方の意味が当てはまる詩句を創ることができました。

プラスターナ・トラヤの他の2つの道は霊的な問題の解決にのみ焦点を当てていますが、『バガヴァット・ギーター』は霊的な問題に対処し、かつ日常の問題の解決策も提供します。(『ウパニシャッド』、『ブラフマ・スートラ』に『バガヴァッド・ギーター』を併せて〈三つの体系(プラスターナトラヤPrasthānatraya)〉と呼び、ヴェーダーンタ哲学の基本的な文献と見なされる)

異なる道を歩む人々が、同じ灯りを導きとして持つことができるのでしょうか? 『バガヴァット・ギーター』では、クリシュナは1つの道だけを示したのではないことを理解してください。彼はすべての道をカバーしました。また、さまざまな『ウパニシャッド』の教えの互換性を明らかにしました。そのようにすべてのサーダカ(霊的志向者)のニーズを満たしました。彼は最初から、いかなる形の礼拝も非難しませんでした。第9章では「他の神々を礼拝する者も実は私だけを崇拝しているのだ」と宣言しました。こうしてクリシュナはすべての神々が一つであることを強調しました。

このため『バガヴァッド・ギーター』が妨げになると考えた人はいません。むしろ『バガヴァット・ギーター』は、すべての人に機敏性を高め、責任を果たすよう促します。気まぐれな心や、取るに足らない目標を粉砕しながら、最高の目標を示して、そのために努力するよう促します。

しかし、シャンカラーチャーリア・スワミや他の学識ある師たちは、彼らの解説の中で、『バガヴァット・ギーター』の霊的な解釈に極めて大きな重要性を与えています。したがって、今日の学識ある長老たちは、すべての人が状況に応じて自分に適した正しいメッセージを『バガヴァット・ギーター』から得られるようにしなければならないという厳しい現実に直面しています。無力な状態にある人が状況にうまく対処する方法を知ることができるように、意味の多次元的な視点を提供する責任があります。これを念頭に置いてスワミジは、他の解説を否定することなく、新しい解説を提供しています。

Sanjaya uvaca-
dṛṣṭvā tu pānḍavānīkam vyūḍhaṃ duryodhanastadā I
ācāryamupasamgamya rājā vacanamabravīt ǁ 2 ǁ


意味)ドゥルヨーダナ王はパーンダヴァの陣形を観察して、グル・ドローナに近づいて次のように話しました。

両軍は陣形を組んで配置され、指揮官はそれぞれの位置に着きました。ドゥルヨーダナはこの戦いの主たる原因でした。無敵と考えられていたビーシュマが彼の最高指揮官でした。250歳近くだったにもかかわらず、彼は武器の腕前では無敵とみなされていました。指揮官の次の地位にあったのはドローナでした。彼はビーシュマより少し年下でした。バラモンでしたが、武器の腕前は無敵でした。

サンジャヤは、まずカウラヴァ陣営、つまりドゥルタラーシュトラ自身の陣営の報告を語ることにしました。両陣営の戦士を精査したドゥルヨーダナは少し動揺して、敵を攻撃する方法を思いついて、まずグルであるドローナに近づきました。

相談が必要な王は、当然、最高司令官(ビーシュマ)に近づかなければなりません。ですが、なぜ彼は副指令官(ドローナ)に近づいたのでしょうか。ここに神々と悪魔の戦いの鍵があります。

ドゥルヨーダナは象徴的に、人間のラジャスとタマスを表しています。善人であろうと悪人であろうと、すべての人には必ず何人かの教師がいて、それぞれが独自のアドバイスをくれます。ドゥルヨーダナの邪悪な教師の中で際立ったのは、大臣のカニカと叔父のシャクニでした。善良な教師では、ドローナが最も重要でした。

622話に続く

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