言葉と教え

バガヴァット・ギーター 序文2(621話)

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パーンダヴァ族とカウラヴァ族はクルクシェートラの偉大さをわかって、そこを戦場に選びました。

ヴェーダには、神々と悪魔の戦いがよく出てきます。ブリハダランニャカ・ウパニシャッドのマントラ (5-2-3) の解説には、神々と悪魔は他の場所には存在せず、人間の中にのみ存在するとあります。主にサットヴァ・グナを持っていても、感覚を統御せずに、快適さに傾倒する人間は神々です。情熱 (ラジャス) に満ち、過度の欲望を抱いて、他人を助ける心が欠けている人は人間です。タマス(暗質)に満ちて、思いやりに欠けている人は悪魔です。

同じように、チャンドーグャ・ウパニシャッドのシャンカラ・バシャムには、人の中の邪悪な感情は悪魔であると言っています。良い感情は神々です。良い感情は常に邪悪な感情に打ち勝つ、とあります。これらの感情が互いに征服しようとする試みは、太古の昔からすべての人間の心の中で起こる戦いです。これがデーヴァタ(神)と悪魔の間の戦争です。


dhṛtarāṣṭra uvāca –
dharmakṣetre kurukṣetre samavetā yuyutsavaḥ I
māmakāḥ pāṇḍavāścaiva kimakurvata sañjayaǁ 1 ǁ

ここで、ドゥルタラーシュトラDhŗtarāśtraの定義では、マーマカーハmāmakāhは「私の息子たち」を意味し、パーンダヴァーハpāndavāhはパンドゥの息子たちを意味します。より深い意味を見てみましょう。

パーンダヴァーハは白い人々を意味します。彼は「私たちの11人のアクショウヒニ軍を見て灰色になった人々」を暗示しています。
チャ・エーヴァ・キマクルヴァタ Ca eva kiṃ akurvata-は「彼らは何をしているのか?」を意味します。これも彼の息子に対する偏愛を強調しています。
サマヴェーターハ Samavetāh:は「永遠のつながりを持つ人々」を意味します。
ユユツァヴァハ Yuyutsavaḥ:永遠に戦う傾向がある人々。
マーマカーハ Māmakāh:執着により現れるタマス的な特性。
パーンダヴァーハ Pāndavāh :肌の色が白い善良な性質。
チャ・エーヴァ Ca eva :みんなで、
キマクルヴァタ kim akurvata :彼らはどんな悪行をしたのか?
パーンドゥ Pāndu には肌の色が白い、サットヴィック(純質)、パーンドゥ王の3つの意味があります。
キム Kim には何か、取るに足りないもの、堕落したもの、の3つの意味があります。
これらの異なる意味の強さに基づいて、マハルシは両方の意味が当てはまる詩句を創ることができました。

プラスターナ・トラヤの他の2つの道は霊的な問題の解決にのみ焦点を当てていますが、バガヴァット・ギーターは霊的な問題に対処して、日常の問題の解決策も提供します。

異なる道を歩む人々が、導く同じ灯りを持つことができるでしょうか? バガヴァット・ギーターでは、クリシュナは1つの道だけを示したのではないことを理解してください。彼はすべての道をカバーしました。また、さまざまなウパニシャッドの教えの互換性を明らかにしました。このようにすべてのサーダカ(霊的志向者)のニーズを満たしました。彼は最初から、いかなる形の礼拝も非難しませんでした。さらに第9章では、他の神々を礼拝する者は私だけを崇拝する、と宣言しました。これにより彼はすべての神々が一つであることを強調しました。

このため、バガヴァッド・ギーターが妨げになると考えた人はいません。むしろ、バガヴァット・ギーターは、すべての人に機敏性を高め、責任を果たすよう促します。気まぐれな心や、取るに足らない目標を粉砕しながら、最高の目標を示して、そのために努力するよう促します。

しかし、シャンカラーチャーリア・スワミや他の学識ある師たちは、彼らの解説の中で、バガヴァット・ギーターの霊的な解釈に極めて大きな重要性を与えています。したがって、今日の学識ある長老たちは、すべての人が状況に応じて自分に適した正しいメッセージをバガヴァット・ギーターから得られるようにするという厳しい現実に直面しています。彼らには、無力な状態にある人が状況にうまく対処する方法を知ることができるように、意味の多次元的な視点を提供する責任があります。これを念頭に置いてスワミジは、他の解説を否定することなく、新しい解説を提供しています。

Sanjaya uvaca-
dṛṣṭvā tu pānḍavānīkam vyūḍhaṃ duryodhanastadā I
ācāryamupasamgamya rājā vacanamabravīt ǁ 2 ǁ


サンジャヤ・ウヴァーチャ
ドゥルシュトゥヴァー・トゥ・パーンダヴァーニーカム・ヴューダン・ドゥルヨーダナスタダー I
アーチャーリヤムパサガミヤ ラージャ ヴァカナマブラヴィット ǁ 2 ǁ

意味)ドゥルヨーダナ王はパーンダヴァの陣形を観察して、グル・ドローナに近づいて次のように話しました。

両軍は陣形を組んで配置され、指揮官はそれぞれの位置に着きました。ドゥルヨーダナがこの戦いの主たる原因でした。

無敵と考えられていたビーシュマが彼の最高指揮官でした。250歳近くだったにもかかわらず、彼は武器の腕前では無敵とみなされていました。指揮官の次の地位にあったのはドローナでした。彼はビーシュマより少し年下でした。バラモンでしたが、武器の腕前は無敵でした。

サンジャヤは、まずカウラヴァ陣営、つまりドゥルタラーシュトラ自身の陣営の報告を語ることにしました。

両陣営の戦士を精査したドゥルヨーダナは少し動揺して、敵を攻撃する方法を思いついて、まずグルであるドローナに近づきました。

相談が必要な王は、当然、最高司令官に近づかなければなりません。なぜ彼は副指令官に近づくのでしょうか。ここに神々と悪魔の戦いの鍵があります。

ドゥルヨーダナは象徴的に、人間のラジャスとタマスを表しています。善人であろうと悪人であろうと、すべての人には必ず何人かの教師がいて、それぞれが独自のアドバイスをくれます。ドゥルヨーダナの邪悪な教師の中で際立ったのは、大臣のカニカと叔父のシャクニでした。彼の善良な教師では、ドローナが最も重要でした。

622話に続く

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