言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第281話

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第五巻、第十二章

この章では、疑念が払拭されないラフーガナ王がジャダバラタにさらに質問し、ジャダバラタが返答しています。

ラフーガナ王は尋ねました。

“Namo namaḥ kāraṇa-vigrahāya svarūpa-tucchīkṛta-vigrahāya
Namo ’vadhūta dvija-bandhu-liṅga- nigūḍha-nityānubhavāya tubhyam

おお、マハーヨーギーよ!あなたはカーラナ・ジャンマ(過去のカルマではなく、目的のために生まれる聖なるお方)です。真我の知識によって、あなたは区別を捨て去りました。常に、あらゆる状況において真我に定着しておられます。しかし、あなたのブラフミンの装いは、あなたの至高の超越的境地を隠しています。私は何度もあなたに敬意を表します。

熱病に苦しむ者にとっての解熱剤のように、灼熱に苦しむ者にとっての冷水のように、罪人にとってのガンガーの水のように、あなたの言葉は、この汚れた体に「私、私のもの」という感情に溺れている私にとって、まさに薬です。肉体へのこの傲慢さは、猛毒のように私の知性を破壊しました。このような状態において、あなたの甘露のような言葉は、まさに強力な薬のようです。

この件については、後ほどさらに疑問を提示します。あなたは、霊的な道に関する事を、見事に私に説いてくださいました。私はその事をもっと学びたいと切望しています。ですから、どうか、私が明確に理解できるよう、分かりやすくご説明ください。

おお、マハーヨーギーよ!過去の行為の結果は、喜びや悲しみの経験という形で現れます。直接的にも推論的にも証明できるものであり、現実のものとして現れます。現実のように見えるこの世界にとって、これらの経験は根源的なものであり、その存在を支えています。

しかし、あなたはカルマの結果(カルマ・パラ)は、名前、姿、そして純粋に幻想から生じたその他の行為にのみ適用され、至高の角度から見ればそれらは実在しない、と仰いました。私はこの事を完全に理解していません。どうかこの点を明確にしてください。」

ジャダバラタは答えました。「王よ、この人間の体は何らかの支えを得て地上を歩きます。それでもなお、この体は地(地の元素)が変化したものに過ぎません。不活性です。実際、この体は足から成ってており、足首、ふくらはぎの筋肉、膝、腿、腰、臀部、胸、肩、首が乗っています。様々な肢体の集合体に過ぎません。これ以外に、体と呼ばれる独立した実体は存在しません。

肩には木製の輿が載っています。その中には、ソウヴィラ王と呼ばれる名前と姿が座っています。この名前と姿の中で、あなたは「私はソウヴィラ王である」という確固たる思いでいっぱいです。あなたはシンドゥ県の王であるという自尊心によって、盲目になっています。

大変な努力をしているこの労働者たちは、哀れな境遇にあります。あなたは恥知らずにも、何の慈悲もなしに、彼らに自分の荷を担いでもらうために給料を払っています。それなのに、あなたはすべての市民を守っていると豪語しています。あなたのようなうぬぼれの強い者は、偉大なるジュニャーニ(英知を持つ人)の集まりにおいて、光を放つことはできません。

動くものも動かないものも、すべての生命体は地から生まれ、土に還ります。この境地において、すべての物は土によって変化したものに過ぎないことが明らかであるとき、「名と色」が実体とは異なると主張するのは誤りです。

どうかよく理解しなさい。
この土でさえ、それが起源となった原子とアヴィヤクタ(非顕現)に融合します。したがって、「土」と呼ばれるこの「形」が実体とは異なると考えるのは正しくありません。

これらの原子はすべて、心の無知によって創造されたものです。それらはすべて一つの場所に集まり、地と呼ばれる、はっきりと目に見える幻想的な存在として現れます。二元性と差異に満ちたこの世界では、物体は細い、太い、小さい、大きい、無生物、生物、原因、結果など、様々な差異をもって現れます。これらの差異はすべて幻想です。地と同様に、これらすべての差異は「名と形」に過ぎないことを理解してください。

幻想のエネルギーは五大元素へと変化します。また、様々な生命体の行動、サンスカーラ(思いの傾向)、時間、過去の行為の結果などにも現れます。それらは本来存在しないにもかかわらず、人はそれらが存在すると信じてしまうのです。

Jñānaṁ viśuddhaṁ paramārtham ekam anantaraṁ tv abahir brahma satyam
Pratyak praśāntaṁ bhagavac-chabda-saṁjñaṁ yad vāsudevaṁ kavayo vadanti

この多様な世界、すなわちこの本質そのものがパラブラフマです!それは非二元の真理です。「私は行為者である」「私は享受者である」といった不純性から解放されており、それゆえ差別化されない至高の知識です。

ここで言う「私は行為者である」という行為者意識や、「私は享受している」という思いが、いかなる任務にも存在しないことを意味します。それは一種の啓示です。それは内と外といった差異から自由です」

スワミジはこう説明しています。「初めに、霊的な無知についてその形、無知がどう存在するのか、無知が真我を捕らえる方法などについて詳しく説明しました。今、至高の知識の住処、その執着のない性質などについて説明されています。」

「人に極めて近い姿であり、変容することがないものこそがパラブラフマである。それは神として知られている。至高のマハトマたちはそれをヴァースデーヴァと呼ぶ。

おお、サーダカよ!おお、ラフーガナ王よ!この至高の真理は、厳しい冬の間、深い水の中に立つ苦行によっても、真夏の盛期に五つの火の中に立つ苦行によっても、ヤグナ(祭祀)によっても、アンナダーナ(食べ物の寄付)やその他の慈善活動によっても、子孫をもうけ、家長としての義務を果たすことによっても、得られるものではない。」

第282話へ続く

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