言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第356話

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至高主は続けて言いました。

“Labdhveha mānuṣīṁ yoniṁ jñāna-vijñāna-sambhavām
Ātmānaṁ yo na buddhyeta na kvacit kṣemam āpnuyāt

この創造において、人間だけが真我を理解し、本来の境地を実際に経験する稀有な機会を持っています。しかし、人間として生まれた後も真我を理解できない存在は、心に平安がありません。」

シュリー・スワミジの解説:人間として生まれた時、私たちは真我実現を得ることができます。真我を知るための試みは、まさにこの瞬間から始まるべきです!『私は誰なのか?』『真我と非真我とは何か?』『なぜ、どうやって私たちは真我と非真我を区別しているのか?』人間として生まれた時に初めて、私たちは真我について探求する能力を得ます。しかし、真我を理解できない人は、どこにいても心の平安を得られません。

果報的な活動に従事することは、肉体的な努力の無駄であるだけでなく、期待に反して、最終的にはその人に惨めさと悲しみをもたらすだけです。欲望を完全に放棄したときにのみ、真我実現が得られます。この至高の真理を理解している賢明な人は、欲望の充足を求めて果報的な活動に従事すべきではありません。

この世の人々は、幸福を得、悲しみを消し去るために果報的な活動を行います。しかしながら、これらの活動は悲しみを消し去ることも、幸福を得ることにも役立ちません。自分を知的だと考えて、果報的な活動に従事しますが、それは最終的に否定的な結果しか得られません。

この無益さに気づいた人は、感覚の知覚を超えた内なる真我を探求すべきです。

覚醒状態、夢、熟睡の状態を照らすのは真我ですが、それらとは別の存在れあることを維持しています。したがって、人は知性を用いて、この世で目にする物質的な安楽や、耳にした別の世界の安楽に対しての執着を捨てるべきです。真我を知り、真我を悟り、私への献身を貫くべきです。

カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)の実践を通して、霊的修行者は心を研ぎ澄ますべきです。そして、あらゆる可能な方法で、自らの内なる真我として存在する至高主を実際に体験するよう努めるべきです。そして、プルシャールタ(四つの目標)を達成することこそが人生の唯一の目的であることを理解すべきである。

おお王よ、この助言を忘れてはならず、この教えを心にしっかりと刻みなさい。これにより、あなたは速やかに真我実現と、究極の解放を得るでしょう。

至高の真我に他ならないは宇宙の至高の父は、チットラケートゥに指示を与えて、王が見守る中、姿を消しました。

こうして第六巻 第16章は終了します。

第六巻 第17章

この章では、チットラケートゥが呪いを受けて、悪魔ヴルッタとして生まれる様子が語られます。

マハルシ・シュカはパリクシット皇帝にこう言いました。
「チットラケートゥ王は、主シャンカルシャナが姿を消した方向にお辞儀をしました。その後、彼は自らの意志で宇宙を自由に放浪しました。」

1000億年の間、チットラケートゥはすべての山の王であり、生じる無数の欲望を満たすメール山の谷間を旅しました。これほど長い歳月を経てもなお、この偉大なヨーギーは感覚の強さと神秘的な力において比類なき存在でした。

チットラケートゥの地位は高く、マハルシやチャーラナーたちは彼の栄光を称えました。彼に感化されて、ヴィディヤーダラ星の女性たちはシュリハリ神を崇拝しました。

ある日、シュリハリから授かった天界に座り、自由に旅をしていたチットラケートゥは、成就したシッダやチャーラナーたちから崇拝されているシヴァ神が、偉大な聖者たちの集まりに座り、膝の上に座るパールヴァティー女神を抱きしめているのを偶然目にしました。

チットラケートゥは彼らに近づきました。チットラケートゥは母なる女神パールヴァティーが同席していることなどお構いなしに、嘲笑しながらシヴァを叱責し、こう言いました。

「ここには全宇宙の父でありグルである彼が、すべての人々にダルマを説いている。この荘厳な集会を主宰する彼が、公然と妻を抱きしめている。長い三つ編みをし、厳しい苦行に励み、著名なヴェーダ学者たちが主催する集会を主宰するこの主が、今日、恥知らずにも妻を膝の上に座らせ、皆の前で公然と抱きしめている。凡人でさえ、情事にふけるために人里離れた場所を選ぶというのにだ。」

この言葉を聞いて、その意図は理解を超えている至高主であるシヴァは、笑い、沈黙しました。集まったすべての客もシヴァの行動に倣い、沈黙しました。しかし、母なる女神パールヴァティは、チットラケートゥの言葉を聞いて激怒しました。彼は、自分の心と感覚を征服したという自尊心にすっかり酔いしれて、シヴァ神の至高の本質を理解できなかったのです。彼女は言い返しました。

「おお、彼は今や恥知らずな振る舞いをする我々を支配し、罰する主となったのですか?ブラフマー神をはじめ、ブリグ、ナーラダ、そして他の心から生まれた息子たち、マハルシであるサナット・クマーラ、カピラ、マヌといったダルマに関する権威者たちが、シヴァの恥知らずな振る舞いを一度も疑わなかったのはなぜでしょうか?

eṣām anudhyeya-padābja-yugmaṁ
jagad-guruṁ maṅgala-maṅgalaṁ svayam

彼らが決して疑わないのは、万物の父でありグルであるシヴァ神の蓮華の御足を永遠に瞑想しているからです。吉祥に吉祥をもたらすのはシヴァ神なのです!

この忌まわしいクシャットリヤ(戦士)は、非常に傲慢で自惚れ屋です。他者を尊重することなく、シヴァ神を自ら罰しようとしています。だからこそ、彼は罰せられるべきです。彼は自分が最高だと思い込み、傲慢になっています。ですから、高貴な聖者たちが仕えるシュリハリ神の蓮華の足元に近づく資格などありません。

アドークシャジャーヤ・ナマハ

第357話へ続く

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