シュリーマド・バーガヴァタム 第384話
更新日 : 2025.7.17
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム
ヒランニャカシプはこう続けました。
「真我(アートマ)は、微細体(リンガ・シャリーラ)、心などと繋がっている限り、カルマの束縛を受けます。この繋がりによって、真我は本来の状態とは異なる姿で現れ、霊的無知などの苦悩がついてきます。
トリグナの結果である幸福や悲しみを現実として見たり、語ったりするのは無駄です。それは全くの無駄でしかありません。夢の中で心が作り出した物体のように、感覚によって捉えられるこの宇宙は、全く非実在のものです。」
スワミジの解説:現実には、感覚もこの世界も実在ではありません。神に「なぜ私を創造したのですか? なぜ私は生まれたのですか?」と決して問いかけてはなりません。あなたはかつて原子のように存在していました。その原子を神と融合させるために、神はそこに生命力を注ぎ込み、私たちはそれを用いて人生を歩んでいます。あらゆる感覚はこのゲームの一部です。私たちは布で身を覆い、それが身を守ってくれることを期待しますが、実際にはそれは感覚器官を守るだけで、私たち自身を守ることはできません。遍在する至高主を守ることはできません。感覚器官を守るこの布も、感覚器官が滅びれば消滅します。至高主は感覚器官にも布にも関係していません。このことから、これらの物質は無常である一方、内なる真我として宿る至高主は永遠であることが明らかです。
“Atha nityam anityaṁ vā neha śocanti tad-vidaḥ
Nānyathā śakyate kartuṁ sva-bhāvaḥ śocatām iti
この創造物における永遠と非永遠の物に関する知識を持つ者は、永遠に存在する真我についても、存在において非永遠である世俗の物についても悲しみません。それらを悲しむ者はただ悲しみ続けるだけで、はかないものを永遠なものに変えることはできません。
スワミジの解説:失った物を取り戻すことも、自分に届いた不要な物を送り返すこともできません。
だからこそ、賢者はこうした無常のものを嘆くことを全くの無駄と考えるのです。昔々、森へ鳥を捕獲するために定期的に通う猟師がいました。彼は網を張り、その下に穀物をまいて、この方法で鳥を捕獲していました。まるで死神が彼を鳥を殺すためだけに創造したかのようでした。
その森には一対のキツツキが住んでいました。猟師がまいた穀物に惹かれ、雌のキツツキは猟師の網に捕らわれてしまいました。網に捕らわれた雌を見て、どんな手段を使っても救出できない雄の鳥は、慰めようもなく嘆きました。
「おお、この遍在する主は無慈悲です。私を深く愛し、大切にしてくれる最愛の恋人こそ、主の慈悲を受けるにふさわしい人です。彼女を取られても何の利益があるというのですか?主は彼女にどんな計画を持っているですか?主の計画に従って、私も連れていかれることを願います。最愛の妻がもういないのに、この人生に何の意味があるというのでしょう?彼女がいなければ、私の一部が死んだも同然です。彼女がいなくなったら、この長寿をどうしたらいいのでしょう? 彼女がいないなら、この体をどうしたらいいのでしょう?
まだ羽も生えていない、このかわいそうなひな鳥たちが、こんなに幼い時に母親から引き離されてしまったのです。彼女がいない中で、どうやって彼らを養い、育てればいいのでしょう? 」このように、雄鳥は大きな嗄れた声で叫びました。その間、近くの茂みに隠れていた死の化身である猟師は、矢を放ち、雄鳥を仕留めました。
おお、愚かな女たちよ!たとえあと100年泣き続けても、この男は生き返りません。なぜまだ悲しんでいるのですか? ― 少年に化けた死の神ヤマは、このように女たちに忠告しました。
ゴーヴィンダーヤ・ナマハ
第385話へ続く