言葉と教え

ジャイミニ・バーラタ 5日目

2025年7月15日、プージャ・シュリー・ダッタ・ヴィジャヤーナンダ・ティールタ・スワミジによるジャイミニ・バーラタムの講話の要約

ビーマセーナ、ヴルシャケートゥ、メーガヴァルナは山頂で、湖に馬が現れるのを辛抱強く待ちました。しばらくして、象と馬の大群が湖に向かって進んでいくのが見えましたが、例の馬の姿は見えませんでした。彼らは馬がどこかに隠れていて、連れて来られないことに気づきました。

3人が待っている間、ビーマは時間を無駄にしないことに決めました。彼は幼い甥と孫にサットサンガをさせ、彼らに慈善とクリシュナへのバクティ(信愛)の大切さを説きました。ビーマはヴルシャケートゥに言いました。

「慈善は稀なことだ。ダーナシッディなしにヴァンチャーシッディはない。慈善を行わなければ、願いを叶えることはできない。」

私たちは富を隠すためではなく、困っている人々や、グルセーヴァーのために惜しみなく与えるために富を蓄えます。これは、富から何らかの善が生まれ、私たちに功徳がもたらされることを願って行われます。しかし、ホーマを行う際にドラヴィヤを捧げる際には、

「私はただインドラデーヴァに属するものを主に捧げているだけです。何も私のものではありません。ナ・ママー」と唱えます。

この犠牲の精神において、施しの功徳さえも放棄されます。チャンディ・サプタシャティが、各マントラの最後にスヴァーハーを唱えなければならないことを明確に強調しているのはそのためです。

ビーマは、ヤヴァナーシュヴァに優れた助言者がいることを理解し、その助言に耳を傾けました。解放を望む者はバクティを持たなければなりません。たとえグニャーナ(英知)に恵まれた者であっても、バクティを持たなければなりません。だからこそ、偉大なグニャーニ(英知を備えたもの)であるアーディ・シャンカラチャリヤでさえ「バジャ・ゴーヴィンダム!」と唱えたのです。死の苦しみを終える最後の瞬間、神が私たちを守ってくれるためには、私たちはバクティ(神への信愛)を持たなければなりません。

他人の行いすべてに批判的な人がいます。彼らは幸せを知らず、常に否定的です。どんな大きな仕事に取り掛かっても、ただ欠点ばかり見つけます。否定的な人は幸せを知らないように、クリシュナへのバクティを欠いた人々の人生は無駄です!彼らは解放を得ることができません。

シヴァの寺院に行くと、一方にはハエがいますが、他方にはヴァイバヴァム(神の愛)が多くあります。シヴァは非常に簡素ですが、ブリハディーシュヴァラ寺院やアルナーチャラ寺院のような寺院には壮大さがあります。

ビーマセーナは言いました。

「ミーナ・デーヴィーは最初、シヴァ神を見た時、その姿を気に入らなかった。その後、シヴァ神はパールヴァティー・デーヴィと結婚するために、スンダレーシュヴァラへと姿を変えた。シヴァ神を崇拝しなければ繁栄を得られないように、我々も供儀の馬を持たずにハスティナープラに戻ることはできない。もしそうしたら、栄光ではなく不名誉をもたらすだけだ。シヴァ神を崇拝しない者は、成功も高い地位も得られない。」

しばらくして、そこには王家の象を含む多くの象が現れました。すると、インドラデーヴァの馬、ウッチャイシュラヴァのように堂々とした一頭の馬が現れました。純白の馬、アシュヴァラージャとして知られるこの雄大な馬は湖に向かって歩いていきました。ある人々は馬に傘を差し、ある人々はアシュヴァメーダ・ヤーガで使われるこの特別な馬のためにマンガラーヴァーディヤーをしました。

ラトーツァヴァが終わった後、馬車をはじめとするプージャーの供物はすべて大切に保管し、敬意を払わなければなりません。軽んじたり、踏みつけたりしてはいけません。これはグルの所有物にも当てはまります。ビーマは、この馬がこのような栄誉を受けているのは、これから迎えるバガヴァッド・ダルシャナのためだと感じました。間もなく、この馬はシュリー・クリシュナのダルシャナを受けるために連れて行かれるのです。バガヴァッド・ダルシャナは非常に重要です。誰もが寺院を訪れなければなりません。夕方には子どもたちを連れて寺院へ行きましょう。テレビをつけて連続ドラマを見てはいけません。昔は、ハリカターなどの文化番組が寺院を訪れる信者たちを魅了し、楽しませていました。

メーガヴァルナが馬を捕まえようと落ち着かなくなった時、ビーマは言いました。

「おお、孫よ!お前が情熱に燃えているのがわかる。その理由を教えてくれ。何を考えているのか教えてくれ。実行する前に、お前の計画を聞かせてもらおう。」

メーガヴァルナは言いました。

「おお、祖父よ!あなたのような身分の方が馬を盗むようなことはしません。人々はあなたを悪く言わないでしょう。ですが私はラークシャ(悪魔)です。盗むのは当然です。私に任せて、ラークシャサマーヤでこの馬を静にさせましょう。」

ビーマセーナが同意すると、メーガヴァルナはかつてカトートカジャがしたように、自らのマーヤーシャクティ(幻想のエネルギー)を発揮しました。彼はある場所で雲を破裂させ、別の場所で雷鳴を轟かせ、別の場所では空から石を落としました。すると別の場所では砂嵐が人々の目をくらませ、人々は互いに攻撃し合いました。また別の場所は暗闇に包まれました。別の場所で雷が落ち、人々は皆、突然の天候の変化に苛立ちを覚えました。砂嵐と暗闇の中で何も見えず、人々が目を閉じていると、メーガヴァルナは馬を拾い上げ、空へと飛び立ちました。

神々は、この突然の天候の変化が何によって引き起こされているのかと驚愕しました。通常、インドラデーヴァはこのような変化が起こる前に、神々に知らせていました。神々は説明を求めてインドラのもとへ駆けつけました。インドラが、これらの天候の異常を引き起こしたのは自分ではないと告げると、神々は心配になりました。

「神よ!私たちはクリシュナがマハーバーラタの戦いで、すべての悪魔を倒したと思っていました。どうやらまだ悪魔が生きているようです。もしその悪魔が次に私たちを襲ったらどうすればいいのでしょうか?」

誰がこんなことをしたのかを突き止めようと、インドラデーヴァは使者を遣わして尋ねさせました。神の使者が天空に現れると、メーガヴァルナが姿を現し、自分はビーマセーナの孫であり、シュリー・クリシュナの命により、ユディシュティラ王にアシュヴァメーダ・ヤガを行わせるためにこの馬を盗み出していると説明した。メーガヴァルナは、この気候の変化はほんの一瞬で、自分が立ち去ればすぐに終わると約束しました。

軍勢は事態の深刻さに気づき、馬と共に飛び去るメーガヴァルナを攻撃し始めました。ヴルシャケートゥはビーマの許しを得て、メーガヴァルナを守るため、軍勢に矢を放ち始めました。ジャイミニ・マハルシはここで、ヴァースデーヴァを念じる者の罪が速やかに消滅するように、ヴルシャケートゥの矢は無数の兵士、馬、象からなるヤヴァナーシュヴァの軍勢を瞬く間に滅ぼしたと記しています。

ヤヴァナーシュヴァ王は武器をほとんど持たずにそこへ到着しました。彼はアクシャヤ・トゥニーラヴィッディヤに熟達していました。これは、マントラ・シッディを持ち、一つの矢筒から無限の矢を放つことができる術のことです。標的に命中した後、これらの矢は再び矢筒に戻ります。戦場で一万人の兵士が戦死したという知らせを受けた王は、敵陣には何人の兵士がいるのか尋ねました。すると、わずか三人しかおらず、彼らはまだ戦っていると告げられました。使者は言いました。

「王よ、そのうち戦闘をしているのは一人だけで、もう一人は時折戦闘をしており、三人目は悪魔のように絶えず笑っています。」

これは、ラーヴァナがランカで一人のヴァーナラが大混乱を引き起こしていると知った時と同様に、王にとって驚くべきことでした。彼はシヴァかマハー・ヴィシュヌが来たに違いないと思いましたが、それがラーマドゥータだとは気づきませんでした。

ランカ全土はラーヴァナの悪行によって罰を受けていました。もし一家に、バクティ(神への信愛)を持たず悪行を犯す厄介者が一人でもいれば、一家全員が困難と悲しみに直面して、最終的には滅びなければなりません。ビーシュマは悪行を犯したわけではありませんでしたが、何か恐ろしいことが行われている時、ただ無関心でそこに立ち尽くしていたからです。それでも彼は多くの困難に直面しなければなりませんでした。悪行が行われている時、それを防ぐ勇気と力がなければ、私たちはすぐにその場から立ち去らなければなりません。

ヤヴァナーシュヴァ王は、一人の戦士がこのように自分の軍隊を壊滅させていることを知り、この戦士を自分の目で見てみたいと思いました。老王は、肉体は永遠ではなく、いつかは滅びることを知っていました。運命もまた一定ではありません。人の運命も時とともに変化します。名声だけが残ります。だからこそ、彼はこの偉大な戦士を自分の目で見てみたいと思ったのです。

エジプト人が王や王族をミイラにしたのは、彼らがいつか起き上がることを願ってのことでした。サンスカーラ(最後の儀式)が行われなかったため、彼らは昇天できず、ピラミッドの下に閉じ込められたままです。私たちがこの世を去り、この死すべき肉体を去るとき、残るのは善行による名声だけです。その名声に応じて、神はその人の来世を決定します。ですから、私たちはより多くのサットカルマ(善行)を積むことで、名声またはキールティを確立するよう努めなければなりません。ここで言っているのは名声のことであり、悪行によって得た悪名ではありません。

マハーバーラタのインドラデュムナの物語は、非常に功績のある王が数え切れない年月をスヴァルガローカ(天界)で過ごした後、インドラ神から功徳はすべて尽きたのでブーローカ(地上)に戻らなければならないと告げられるという警告を私たちに与えています。インドラデュムナがスヴァルガローカに住み続ける方法はないのかと尋ねると、インドラは言いました。

「ブーローカへ行きなさい。もしあなたの善行を称賛する人が一人でもいれば、スヴァルガローカに戻ってよい。」

インドラデュムナは地上へ降り、あらゆる場所を探しましたが、誰も彼のことを話していませんでした。彼が亡くなってから何年も経ち、誰も彼のことを覚えていませんでした。池のほとりで落胆して座っていると、二匹の亀が話しているのを耳にしました。インドラデュムナは万物の言語を理解する力に恵まれていました。父亀が子亀に、この池を作るためにこの場所を掘ってくれたことに感謝し、インドラデュムナに祈りを捧げるように言っているのが聞こえました。感謝の気持ちに駆られたインドラデュムナは、インドラデーヴァのもとに戻り、亀が話した内容を彼に伝えました。するとインドラデーヴァは、王にスヴァルガローカでの永住の地を与えました。これこそがジャラダーナ(水の施し)の力なのです!

ビーマセーナはヤヴァナーシュヴァ王が戦場にやって来るのを見て、彼もまた戦いの準備を整えました。しかしヴルシャケートゥはビーマに、代わりに自分が行くことを許可してほしいと頼みました。彼は言いました。

「父上!私はこのセーナ(サンスクリット語で軍隊は女性形で呼ばれる)と結婚しており、彼女はあなたの義理の娘です。もしあなたがそこへ行けば、彼女はあなたを見ると顔を隠して逃げてしまうでしょう。代わりに私を行かせてください。」

ビーマは同意しましたが、

「戦車さえ持たないのに、どうしてお前を行かせることができるというのか?」と言いました。ヴルシャケートゥは答えました。

「旦那さま、あなたはまるで父親のように私を慈しんでくださいました。シュリー・クリシュナの恩寵が私にあります!これより偉大な戦車があるでしょうか?」

それからヴルシャケートゥはビーマの周りを周って、平伏して戦いに向かう祝福を求めました。

ヤヴァナーシュヴァはヴルシャケートゥが戦場に現れるのを見て、目の前にマハーヨーギがいると感じました。真のヨーギーの証は、死への恐怖を含め、あらゆる恐怖を抱かないことです。ムルッテュバヤムです。王は、これほどの大軍の前に勇敢に立ち向かえるのはヨーギーだけだと考えました。王は考えました。

「私はここに、チャトゥランガバラム(四方八方から伸びる我が大軍)を率いて立ってる。四方八方から伸びる我が大軍は、四方八方を恐怖に震え上がらせている。しかし、このヨーギーは揺るぎなく、ただ一人立っている。この若者が誰なのか、私は必ず知らなければならない。」

老王は言いました。

「若者よ、私が王家の戦車に乗っているのに、お前が地面に立っているのは不公平だ。それゆえ、この戦車に乗りなさい。だが、まずお前が誰なのかを教えるのだ。」

ヴルシャケートゥは言いました。

「私は太陽王朝の出身です!私はカルナの息子です。父以上に寛大な者はいません!父はグナーを顧みず、ドラウパディー・マーターとユディシュティラの嘆願を無視して、ドゥルヨーダナを助けることだけに専念した者です。私はそんなカルナの息子です!誰にでも贈り物を惜しみなく与えるインドラでさえ、父に金のイヤリングを頼まなければなりませんでした。父はそれほどまでに名声と富を享受していたのです。父の王国では、牛、木、レンガ、そして石でさえも偉大なマハーダーターでした!これほど偉大な施し主の息子である私が、どうしてあなたの戦車を受け取ることができましょうか?もしあなたの戦車を受け取ったら、明日はあなたの賛美を歌わなければなりません。それは私には受け入れられません。私は地面に立ったままです。戦車などいりません。」

力は無限ではありません。それはほんの少しの力で、どんなに強い者でも疲れてしまいます。小さな物をしばらく持ち上げていると、数分後には山のように重く感じられるでしょう。なぜなら、心はその作業が困難になったと感じるからです。しかし、グル・バクティ(グルへの信愛)を持ち、グルの恩寵を享受する者は、尽きることのない力、アクシャヤバラムを持っています。 ヴルシャケートゥは続けました。

「私はあなたに施しを求めません。なぜなら、私はマハ^・ヴィシュヌの無限の慈悲を享受しているからです。マハー・ヴィシュヌへの信のみをもって、私はこの戦いに挑み、このヤグニャ・アシュヴァを勝ち取ります。」

その後の戦いでヤヴァナーシュヴァ王が倒れたとき、ヴルシャケートゥは悲しみに暮れ、駆け寄って扇ぎました。王が意識を取り戻すと、ヴルシャケートゥがどこにいるのか尋ね、決闘で命を奪おうとしました。その時、王はヴルシャケートゥが王に危害が及ぶことを望まず、自分を蘇生させたのだと悟りました。王はこの行為に深く感動し、幼いヴルシャケートゥと親しくなりたいと思いました。戦いを長引かせたくなかった王は、ヴルシャケートゥにシュリー・クリシュナのダルシャン(謁見)に連れて行くよう頼みました。

マントラの詠唱とナーマ・サンキールタナの間、人は心の中でプラダクシナを捧げなければなりません。ハレー・ラーマ・ハレー・クリシュナ・ターラカ・マハーマントラが唱えられている間、私は心の中でプシュカリニ(スワミジのパドゥカが安置されている寺院)を含むアーシュラマ全体を巡礼しました。そして、ナーマ・サンキールタナが行われている間、ナーダ・アンジャネーヤ・スワミが喜びに舞う姿も見ました。明日は物語の続きで、若きヴルシャケートゥが老王ヤヴァナーシュヴァにいかにして模範を示したかを見ていきます。王は戦争を諦め、ヴルシャケートゥと共にクリシュナのダルシャンを受けることにしました。ヴルシャケートゥのように、すべての弟子はグル・バクティの模範を示さなければなりません。

6日目へ続く

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