シュリーマド・バーガヴァタム 第32話(ビーシュマのクリシュナ讃美)
更新日 : 2018.1.4
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム

ビーシュマは続けました。
「まさに命を放棄しようとしている時、主クリシュナが、ダルシャンで祝福するためにいらっしゃった!私はなんと幸運なのか!私のところへ歩いて来られて、ダルシャンで私を祝福されている。私は至高主クリシュナ彼御自身を見ている!その限りない慈悲について、これ以上何を語ることができるだろう?ダルシャンを与えるのが非常に稀である主が、私の横になっている場所まで歩いて来られ、祝福されている。
Bhaktyāveśya mano yasmin vācā yan-nāma kīrtayan
Tyajan kalevaraṁ yogī mucyate kāma-karmabhiḥ
肉体を離れる時、主クリシュナに心を完全に固定し、崇敬の念とともに彼の御名を歌うヨーギーは、成果を求める行動の束縛とその行為(何らかの成果を期待する行動)から引き起こされる行動から解放される!至高の主のダルシャンによって、すべての迷妄は消え去る。
主クリシュナとして、全ての神の主であるシュリマン・ナーラーヤナが私の前に立たれる時、美しく輝く蓮のような顔と赤い目で私を快く見守っている時、私はこの体を放棄する」とビーシュマは言いました。
ビーシュマはなんと幸運なのでしょう!
これを聞いてユディシュティラは、そこに集まった何千人もの聖人の前で、さまざまな正義の規則(ダルマ)について教えてくれるよう、矢のベッドに横たわっているビーシュマに尋ねました。
「どうぞダルマ・スークシュマを私に伝授してください。スワミ」と彼は祈りました。
この知識の権威者であったビーシュマは、カースト(ヴァルナ)および人生の段階(アーシュラマ)に応じた要件に基づいて定められた規則を、細部に至るまで教えました。彼はこうして、愛着(束縛)と無関心(ヴァイラーギャ)と呼ばれる精神段階にそれぞれ適した、プラヴリッティ(現世的または物質的拡張の道)とニヴリッティ(帰還、放棄の道)という二つの道に基づいたダルマをユディシュティラに教えました。
彼は、行動に囚われること、行動を放棄すること、行動を扇動する背後にある知識を教えました。個人のカーストと人生の段階に基づいて、あらゆる状況の詳細な規則を説明しました。加えて王に適用されるダルマ的規則と役割について、広く教えました。寛容と慈善について語りました。解放への道を開くシャマ・ダマのダルマについて、極めて詳細に説明しました。女性の義務と、至高の主にとても大切にしているエーカーダシー・ヴラタのような儀式(ヴラタ・ダルマ)に関する規則について語りました。さらに、多くの物語や歴史を通して、プルシャールタ(ダルマ、アルタ、カーマ、モークシャの人生の四つの目的)を達成するためのさまざまな方法を説明しました。
このようにして祖父のビーシュマは、矢のベッドの上に横たわっている間、彼が知っているすべてのことを細かく詳細にユディシュティラ王に教えました。彼はまた、これらの正義の原則を容易に守ることができるさまざまな方法を教えました。
賢明な存在であるビーシュマは、死の時を選ぶことができるという恩恵を持っていました。今すぐ自分の命を放棄するのか、もっと長く生きるべきなのかの選択が、彼の手中にありました。ビーシュマが知識をユディシュティラに授けている間、ウッタラーヤナの吉祥な時間が到来しました。これは、ビーシュマが熱望していた時間でした。
この吉祥な時間が訪れてすぐに、戦争の間いっぺんに何千人もの御者を扱っていた熟練の戦士ビーシュマは、突然話を止め、まぶたも閉じずに、心をただ完全に主クリシュナに集中させました。彼は多くの時間を無駄にしたくなかったので、まぶたを閉じるのを待つことさえしませんでした。これは時間と状況にかかわらず、主の神聖な御名を唱えることができるという証拠です。目を開いた状態で、彼は主に心を完全に集中させました!
主クリシュナはその時、起源の神であるアーディ・ナーラーヤナとして彼の前に現れました!四本の腕と明るく輝いた黄色のピータムバラの衣装で輝いていました!ビーシュマは主の素晴らしく神聖な姿を見て、それは彼の普遍的な姿と同様に輝いていました!断片的な人間としての姿でない、主の完全な姿を見ました。
これらの世俗的な束縛の傾向が全くなかったビーシュマは、心を主に完全にひとつにさせました。
率直に言って、ビーシュマはこれら世俗的な束縛の傾向に、決して心が向いたことがありませんでした。吉祥な時が訪れ、主が彼の前に直接立った今、彼はこの絶好の機会をどうして無駄にすることができるでしょうか?やはり彼は非常に知的で賢明な存在でした。彼は心を主に溶け込ませました。
至高の主に対する神聖な黙考の結果として、ビーシュマに残っていた傷や欠陥は、完全に洗い流されました。彼の中に些細な欠陥があったそしても、今洗い流されたのです。「これは私の責務だ。これは私のダルマだ。これは私の義務だ。」たとえ頑固さから出たそのような無知(モーハ)が彼の中にあったとしても、それさえも消し去られました。
「もしこのダルマに従わなければ、私は間違っている」「おお、この規律はクリシュナがとても大事にしているものだ。どうしてそれから離れられよう?それを固守するならば、彼は喜んでくれるだろう。」そのような考えさえも完全に追い出されました。何も残っていません!まったく何もありません!もはやダルマは残っていません。彼は知識を完全に授けました。教えることもまた何も残っていませんでした。
一人ひとりにいくつかの欠陥があるのは当然のことです。欠陥に満ちたこの世界に脚を踏み入れた時、クリシュナとラーマでさえ、これらの欠陥を免れなかったと言われています。
ビーシュマは、たとえ欠陥があったとしても、バクティの王国に完全に没頭している人を、至高の主がいかに救済するかを示す唯一の証です!たとえ行為(カルマ・ドーシャ)によって生じ、行為(カルマ)によってのみ解消できる欠点が内面に存在したとしてもです。
ビーシュマの欠陥が洗い流されただけでなく、戦争の負傷による体の痛みも完全に無くなりました!身体は白檀のペーストを塗ったかのように落ち着きました 。このすべてが至高主、神のダルシャンの結果でした!
十万の矢がビーシュマの体を貫きました。その痛みのために、彼がどれくらい苦しんできたのかを想像できますか?主はビーシュマのこの肉体への束縛を解き放とうとしていたのではないでしょうか?もしビーシュマが痛みを受けながらその体を離れることになっていたなら、肉体的苦痛を和らげる別の体が必要だったかもしれません。しかし今、主クリシュナは体の痛みを完全に消し去っていました。
あらゆる苦悩から解放されたビーシュマは、至福の境地に達しました。四方八方に走りがちな感覚を内に引き戻し、肉体を離れながら、至高主シュリーマン・ナーラーヤナを称える賛歌を歌いました。
シュリマン・ナーラーヤナ!

