シュリーマド・バーガヴァタム 第42話
更新日 : 2018.7.31
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム
通りを歩く人が偶然に「クリシュナ! クリシュナ! ゴーヴィンダ!」と神の名前を耳にするだけで、その人は純粋になります。この上ない幸運です。同様に、ヴィドゥラが川や池で沐浴した時、それらは功徳を積んだのです。
ユディシュティラは続けました。「シュリー・クリシュナを主とするヤーダヴァ族は、私たちの友人というだけでなく、親愛なる親戚です。彼らの誰か一人にでもお会いになりましたか?何か便りをお聞きになりましたか?彼らは自分たちの街で幸せに生活しているでしょうか? 」
これらの質問に答えるために、ヴィドゥラは完遂した巡礼での体験の詳細を説明しました。しかし、彼はすでに滅亡していたヤドゥ族については言及しませんでした。
常に慈悲深いヴィドゥラは、他者の悲嘆を見過ごすことはできず、ヤドゥ族の滅亡の知らせを告げませんでした。それは一般の人々にとって耐え難いことであり、また、こうした滅亡は必然的に起こるものであったからです。この無限の宇宙と、最高主の無限の戯れの中で、その滅亡は自ずと起こりました。ヤドゥ族はパーンダヴァ兄弟にとって非常に大切な存在であり、彼らにとって耐えられないだろうと、ヴィドゥラは告げなかったのです。
非常に長い時間留守にした後に、皆と再会したときに悲しい知らせを伝えるというのは、正しいことではありません。 ヴィドゥラの帰還までには数年経っていました。誰もが彼の帰還を喜んで祝いました。そんな時には、この深刻な知らせを彼らにつきつけるのは間違っていたのです。
ヴィドゥラのこの行為は、虚偽を語ったことと同義ではありません。人々の平安を維持することは彼の義務(ダルマ)でもありました。 もし故人の知らせが伝えられ、人々がショックを受けて自らの命を絶ってしまうなら、それは誤りではないでしょうか?そういった知らせは、頃合いを見計らって人々と共有する必要があります。
ユディシュティラはヴィドゥラを神と同等に考え、それ相応の態度で扱いました。ヴィドゥラはしばらくそこにとどまり、彼の兄ドリタラーシュトラに至高の本質(タットヴァ)を説き、彼に幸福をもたらしました。彼はそこにいるすべての人に幸福をもたらし続けました。
聖仙マンダヴァに呪われたヤマ(死の神)はヴィドゥラとして生まれました。 彼はシュ―ドラ(最低階級)として生まれ、100歳まで生きました。 当時、アーリャマが、死の神に任命されていました。正義(ダルマ)によって縛られた、アーリャマは邪悪な者を罰する任務を正当に果たしました。
ヴィドゥラはマハーバーラタにおいても、非常に特別な位置を占めています。『ヴィドゥラ・ネーティ』(ヴィドゥーラの金言)という書は、マハーバーラタの中でも重要な聖典です。最も偉大な学者でさえ、この神聖な言葉を崇拝し、深い尊敬の念を抱きます。ヴィドゥラは、最低の階級に誕生したものの、その言葉は非常に崇高なものです。
人々に価値をもたらすのは、その人のカーストではなく、知識です。これが私たちの古代インドの教義です。常にこのことを念頭に置いてください。
ある人が何者であっても、価値のあることを教えたり、良い知識を誰かと共有したりするならば、他の人に対してよき理解を示すのならば、人に価値のある善行を勧めるならば、その人は尊敬されるべきです。私たちがマイクを通じて講義を聴いているとき、私たちにとって重要なのは講義の内容が聴こえるかどうかであり、そこからメッセージを受け取ることです。なぜ私たちはマイクのメーカーのブランドについて気にしなければならないのですか。同様に、私たちに貴重な教訓を示す全ての人は、至高主クリシュナの信奉者です。
ユディシュティラは、彼の孫である後継者パリクシットを育てることに加えて、世界の守護神のような弟たちと一緒に賢明に国を治めました。彼は王族の贅沢を享受して幸せに生きました。
このように、パーンダヴァ兄弟は行政、宮殿の贅沢、そして富に没頭し、時間を忘れていました。そうするうちに彼らの寿命は終わりに近づいていました。絶対に克服できない死が彼らに近づいていました。
誰もが死を迎えなければなりません。これはパラマートマが私たちに与える最後のマハー・プラサーダ(偉大なる恩寵)です。私たちは死を恐れるべきではありません。しかし、いつか死が私たちを襲うという恐怖を抱きながら、私たちは神性を悟ろうと努めるべきだとされています。一方、死を心配することなく、喜びと熱意をもって神について学ぼうとするなら、必ずや至高の知識を得るでしょう!
死ぬことを心配している人が、この知識を得ることを急いでいるのなら、それは何の意味がありますか。それは心が仮面をかぶっているに過ぎません。それ以外には何の益もありません。知性はいくらか変容したでしょうが、心の奥底にある心は変容しなかったでしょう。「そろそろ逝く時だから、すべての慈善活動を早く終わらせよう」 この言葉は何に役に立ちますか。あらゆる慈善活動においては、人は心から参加すべきだと言われています。
死は想像を絶するほど巨大な井戸であり、すべての生類はそこに落ちていくと言われています。逃れることはできません。泳ぐことも、飛び越えることもできません。死の時が来れば、それはただ襲いかかるのです。死を恐れることなく、心を神への奉仕に捧げることが大切です。
死は偉大なパーンダヴァたちにも近づきました。これを予見できるヴィドゥラは、ドリタラーシュトラに言いました。 「偉大なる王よ!あなたを打ち負かすために死が到来していることに気づいてください。 世俗的な束縛と呼ばれる罠から今すぐ逃れて、ヴァーナプラスタ(林住期)を探究してください。」
無執着(ヴァイラーギャ)は、人がそれについて完全な知識(ジュニャーナ)を得た時に獲得すべきです!中途半端な知識から得られる無執着に何の役に立つでしょうか?極度の老齢になってから無執着を得ようとしても無駄です。人は健康で賢明な時に無執着を獲得すべきです。死が訪れる前であっても、慈善活動を行うべきです。これこそが神について学ぶ一つの方法です!
「今すぐに森へ修行に出発してください。あなたが所有しているすべてを与えて無関心になってください。あなたの孫たちにそれを残すか、あなたを守った人たちに与えてください。社会の福祉のために財産を放棄してください。急いでください。生きている限り、死を免れることはできません。逃れる手段はありません。そのような死は今私たちに近づいています」とヴィドゥラはドリタラーシュトラに警告しました。

