ラリタ・サハスラナーマの名の意味181~190
更新日 : 2022.10.1
カテゴリー : ラリタ・サハスラナーマ
181. Mṛtyu-mathanī ムルティユ・マタニー
意味)彼女はムルティユ(死)を攪拌します。彼女は死の恐怖を和らげます。
多くの場合、この名は至高の母が信奉者を死と呼ばれる悲惨さから解放することを意味すると解釈されています。では信奉者は永遠にこの地上で生きるべきなのでしょうか?しかしそれは起こっていません。この名のより深い意味を掘り下げていく必要があります。
全ての存在が幼児の頃から潜在意識に死への恐怖を持っています。そのような恐れは私たちのサンスカーラ(過去からの印象、傾向)に起因します。多くの人が自分が眠っている内に死ぬのではないかと眠れぬ夜を過ごしています。
この子どもたちの死への恐れを拭い去るために、聖なる母はムルティユ・マタニーなのです。死への恐れを持たないのははかりしれない恩恵です。
聖典『バーガヴァタム』は死への恐れから生まれました。七日内に死ぬと呪われた皇帝パリクシットの心中で死への恐怖が増大していました。この恐怖を和らげるため、シュカ・マハリシが『バーガヴァタム』の全てを彼に教えました。
これを聞いてパリクシットは恐れることなく死を迎えました。この恐怖の克服は並大抵の成就ではありません。
『マハーバーラタ』には重要な三つの部分があります。「サナト・スジャティーヤム」「バガヴァッド・ギーター」「ヴィシュヌ・サハスラナーマ」です。それらの中で「サナト・スジャティーヤム」はムリティユ(死)との洗練された討議を含んでいます。その中で、死とはスムルティ・ラーヒティヤム(記憶の喪失)に他ならず、内なる存在が長い間まとっていた身体を忘れるというプラマダムだと述べられています。
死の恐怖を和らげるためにムリティユジャヤ・スワミがマントラを通して礼拝されます。
Aum tryambakam yajāmahe sugandhiṃ puśṭi-vardhanaṃ |
Urva rukamiva bandhanan mṛtyor – mukshīya māmrutat |
オーム トリャムバカム ヤジャーマヘー スガンディン プシュティ・ヴァルダナン
ウルヴァ ルカミヴァ バンダナン ムリュティヨール ムクシーヤ マームルタトゥ
意味)おお主よ、あなたは甘く香り(スガンディ)、健康を授けます。いともたやすくあなたは死の恐れを消し去ります。どうか私をこの死の恐れから自由にして、アムリタ(甘露・至福)を経験させてください。
182. Niṣkriyā ニシュクリヤー
意味)彼女は行為(クリヤ)を超えています。
彼女はカルマ(行為)・アカルマ(無行為)・ヴィカルマ(違反行為)を超えています。
この名はニルグナ(無属性)の視点から彼女を見ています。無形の存在として彼女は全ての行為をただ目撃します。自らの身体を認識しない真我を知った人々はカルマを作りません。
183. Niṣparigrahā ニシュパリグラハー
意味)彼女は何も必要としないため、何も受け取りません。
パリグラハは慈善(ダーナ)を受け取ることを意味します。永遠に与え続ける彼女は何も受け取る必要がありません。
『バガヴァッド・ギーター』第五章は述べています。
Nādatte kasyachit pāpaṃ na caiva sukrtam vibhuh
Ajnānenāvritaṃ jnānaṃ tena muhyanti jantavah
ナーダッテー カスヤチット パーパン ナ チャイヴァ スクルタム ヴィブフ
アジュナーネーナーヴリタン ジュナーナン テーナ ムフヤンティ ジャンタヴァハ
意味)主は何も受け取りません。また全ての存在の恩恵(プンヤ)も罪(パーパ)も受け取らず、与えもしません。利益と不利益を生むのは私たちの行為だけです。
ヴラタを行っている間に他者から何も受け取らないという「アパリグラハ・ヴラタ」は非常に功徳がある誓戒です。実践者は森から果実を取って集め、それを地に落とします。彼らは一切身体に所属せず、そのことに純粋に固執しています。
184. Nistulā ニストゥラー
意味)彼女は比類ない存在です。真我の姿(アートマ・スヴァルーパ)として、彼女(その美、その至福)は何も比べられません。
『ソウンダルヤ・ラヒリ』は彼女を称賛しています。
Tvadīyam soundaryaṃ tuhinagiri-kanyē tulayituṃ
kavīndrã: kalpante kathamapi virinchi-prabhrutayah
トヴァディーヤム ソウンダルヤン トゥヒナギリ・カンイェー トゥライトゥン
カヴィーンドラハ カルパンテー カタマピ ヴィリンチ・プラブルタヤハ
意味)おお聖なる母よ!おお雪をかぶったヒマラヤの娘よ!あなたの美しさは比類ないものです。ブラフマーやその他の存在たちがあなたの美しさを描写し推し量ろうとしますが、比べることができるものを見つけることができません。
「トライトゥン」の語は「はかりしれない」の意味です。身体的な美しさだけではなく、彼女の至福(アーナンダ、ソウンダルヤ)も比類ないものです。
ここまでで彼女の至高の真髄が様々なすばらしい方法で称揚されてきました。この一連の名は彼女が全ての面で比類ない存在(ニストゥラ)であるという最終的な宣言で終わります。ここまでのいくつかの名で分かち合われた教えと知識の深さは比類ないもので、はかりしれないものです。それらの名の価値を見積もったり推し量ったりすることはできません。
この後のいくつかの名では、ドゥルガーとしての彼女を礼拝する方法が教えられます。ヴェーダンタの教えから礼拝の道(ウパーサナ・マルガ)と彼女の粗大な姿(ヴィグラハ・ルーパ)へと戻っていきます。
185. Nīlacikurā ニーラチクラー
意味)彼女は長く黒い髪を持っています。
再び彼女の身体的側面の表現です。この名は「チャンパカーショーカ・プンナーガ・サウガンディカ・ラサト・カチャー」の名における彼女の髪の黒さを繰り返しています。
黒い髪は死の恐れと無知を消し去ることを象徴しています。
186. Nirapāyā ニラパーヤー
意味)彼女は危険・危機(アパーヤー)を超えています。彼女は破壊されません。
彼女に達したならばもう危険はありません。聖なる母は志向者をサーダナ(霊性修養)の過程で起こる危険から引き揚げます。
「ウパ―ヤ」は「計画、方向づけ」を表し、「アパーヤー」は「危険」を表します。すべての計画(ウパ―ヤ)は関連する危険(アパーヤー)を見積もるべきであり、そのようにして仕事が始められるべきです。しかし霊的な過程においてはこのルールが適用されません。それは危険から自由であるからです。
『バガヴァッド・ギーター』第六章で主は述べています。
na hi kalyana-kṛt kascid durgatim tāta gacchati
ナ ヒ カルヤナ クルトゥ カスチド ドゥルガティン タータ ガッチャティ
意味)良い行いをする者は決して悪によって惑いません。
霊性においては、修養に向けたほんの些細な努力やささやかな奉仕も無駄になりません。
187. Niratyayā ニラトヤヤー
意味)彼女の命令に逆らうことはできません。
グルの命令(アージュナ)は、それが冗談のように気軽に言われたとしても、どんな時、どんな状況であっても守らなければなりません。グルへの信はそのようにあるべきです。誰も彼の命令を無効にする権限を持ちません。
これに関連する短い話を思い出しましょう。ナヴァナータは神の特別なメッセンジャーであり、ダッタの伝統に従っています。最初のナヴァナータはマツイェーンドリナータで、二番目はゴーラクナータです。
不妊の女性が助けを求めてマツイェーンドリナータに近づき、彼は彼女にヴィヴ―ティ(聖灰)を渡しました。彼女はその価値がわからずにゴミ箱に捨ててしまいました。このヴィヴ―ティから小さな子どもが生まれ、12年間、牝牛(ゴー)が彼を養いました。その後マツイェーンドリナータが彼を連れていきました。マツイェーンドリナータに連れていかれた後、彼はゴーラクシャナータ、あるいはゴーラクナータとして知られるようになりました。彼はマツイェーンドリナータの弟子でした。
ある日、グルと弟子が放浪し町のはずれに辿り着き、そこで数日間野宿をしました。ゴーラクナータは町にビクシャ(乞食)に行きました。彼は集めたビクシャ(食べ物)の全てをグルに捧げました。マツイェーンドリナータはそれを全部食べてしまい、気軽に「もっと食べたい」と言いました。すぐにゴーラクナータは食べ物をもらった同じ家に戻り、自分の師のために婦人にお願いしました。彼女はためらいながらも食べるために準備していた食べ物を渡しました。マツイェーンドリナータはそれを全部食べると再び「このおいしい食べ物をもっと食べたい」と言いました。グルのたった一言でゴーラクナータは躊躇うことなく同じ家に戻っていきました。しかし、今回は婦人は食べ物の見返りを求め、ゴーラクナートに片目を要求しました。躊躇することなくゴーラクナータは片目を切り取り彼女に捧げました。彼は師への奉仕が遅れてしまうことのほうが心配でした。彼は目を布で覆っていましたが、師は失われた目に気づきました。弟子が渡したビクシャを受け取ると師は目を覆っている布について尋ねました。ゴーラクナータは師が尋ねないように努めていましたが、最終的にすべての真実を語らなければなりませんでした。グルは言いました。「そうなのか?傷を見せてみなさい」。ゴーラクナータは布を取りました。驚くべきことが起こりました!彼の目は傷ついていませんでした!この出来事はゴーラクナータに大きな変容をもたらし、彼を霊的進歩のより高い段階へと導きました。
188. Durlabhā ドゥルラバー
意味)彼女はとても到達し難い存在です。
この惑星に住む何百万という存在のなかで、ほんのわずかな選ばれた幸運な人だけが彼女を知ろうとし、彼女に到達します。このことだけで彼女がドゥルラバ(到達し難い、得難い)であることを十分に証明しています。これは信奉者の心に恐れを起こそうとしているのではなく、彼女に到達するためにどれだけ努力が必要かを教えようとしています。
189. Durgamā ドゥルガマー
意味)
1)彼女は物理的身体が届く範囲を超えています。
「ガマ」は「旅の道」を意味します。この霊的な旅路は物理的な身体で歩いていくことはできません。心(マナス)と知性(ブッディ)がこの道を進まなければなりません。物理的身体はこれを助ける重要な道具です。
彼女は内的な礼拝(アンタル・ヤーギャ)によって容易に到達できます。外的な礼拝は内的な礼拝を助けるだけで、それ自体が目的ではありません。外的な礼拝に心と知性が伴っていなければ何の結果も得ることができません。
2)彼女は悪魔ドゥルガマ(ドゥルガマースラ)を討伐し、そのためドゥルガマーとして知られます。
190. Durgā ドゥルガー
これは聖なる母のもっとも顕著な名の一つです。
意味)
1)常に悲しみ嘆いている人は彼女に到達できません。
彼女に到達するための礼拝を行うとき、心が悲しみにあるときは成果を生みません。それは心(マナス)と知性(ブッディ)が悲しみに焦点を置き、彼女を熟考していないからです。
ドゥルラバ、ドゥルガマ、ドゥルガーの三つの名は、彼女に到達しようと望むならば精神的な努力が非常に重要であることを教えています。
2)ドゥルガーは信奉者が完全な信と献身で礼拝すると、全ての問題、障害、悲しみを破壊します。
次の『チャンディ(ドゥルガー)サプタシャティ』の詩句で、聖なる母が称賛されています。
Durge smrta harasi bhitimaśeśa jantoḥ
Swasthaih smrtamati matīva shubhām dadāsi
Dāridra duhkha bhayahārini kā twadanya
Sarvopakarkaranaya sadādrachittā
ドゥルゲー スムルタ ハラシ ビティマシェーシャ ジャントホ
スワスタイヒ スムルタマティ マーティヴァ シュバーム ダダーシ
ダーリドラ ドゥフカ バヤハーリニ カー トワダンヤ
サルヴォーパカルカラナヤ サダードラチッター
意味)おお母よ!最も困難な障害や状況も、あなたの名「ドゥルガー」を呼べば簡単に消えてなくなります。そのような保護が人間だけではなく全ての生類に与えられています。あなたは恐れを消し、自信を与えます。あなたは良い知性と知識をそれを本当に求める人に授けます。貧困(ダーリドラ)、悲しみ(ドゥッカ)を追い払うあなた以上の力はありません。それはあなたのハートが愛と慈悲(ダヤ)に満ちているから可能なことです。
これが彼女の名の力です。これがドゥルガーの名の本当の意味です。
旅のはじめにドゥルガーに祈るのがほとんどの地域で一般的な慣習です。彼女が道の全ての障害を解決し平和で安全な旅を確実するということが、この慣習の背後にある信念です。このような慣習は電車や飛行機の移動にだけ限定すべきものではありません。人生は旅です。この旅の中で彼女が道の全ての障害を取り除き、私たちが安全に目的地に到達できるように祈るべきです。
ドゥルガー・デーヴィは悪魔を討伐するために自らを九つの姿に分けました。これらの姿はナヴァ・ドゥルガーとして知られています。
Yasyām bimbita ātmatattvamagamāt sarveśwarākhyām śubhām
Yā viśwat jagadātmanā pariṇatā yā nāma rūpāshrayā
Yā mūla prakrtir gunatrayavatī yā nanata śaktih swayam
Nitā vrutta navātmika jayatu sad Durgā nava kārinī
ヤスヤーム ビムビタ アートマタットヴァマガマート サルヴェーシュワラーキャーム シュバーム
ヤー ヴィシュワト ジャガダートマナー パリナター ヤー ナーマ ルーパーシュラヤー
ヤー ムーラ プラクリティル グナトラヤヴァティー ヤー ナナタ シャクティヒ スワヤム
ニター ヴルッタ ナヴァートミカ ジャヤトゥ サド ドゥルガー ナヴァ カーリニー
意味)私たちは全員が彼女の姿です。彼女は私たち自身の写し鏡であり、そのようにして世界は存在します。彼女が彼女を宇宙に変えました。彼女がこの創造の原因です。この姿と名に満ちた創造において彼女はある姿を持ちます。すべての見られるもの(プラクリティ)は彼女の姿であり、そのため彼女はすべての物質の無尽蔵の供給者であり、源です。五大元素(パンチャブータ)も彼女の姿です。彼女は限りないエネルギーであり毎日一瞬を刷新しています。彼女は無限で永遠に若く活気に満ち、常に強力です。彼女はナヴァ・ドゥルガー(ドゥルガーの九つの姿)です。
次の詩句はアーディ・シャンカラチャリヤが作った『ダクシナムルティ・ストートラム』の第九詩節です。
bhūr-ambāmsi-analo-nilo-(a)mbaram aharnātho himāmśu: pumān
iti-ābhāti carā-cara-ātmakam-idam yasyaiva mūrti-ashṭakam
ブーラムバームシアナローニロームバラン アハルナートー ヒマームシュフ プーマーン
イティアーバーティ チャラーチャラートマカミダム ヤスヤイヴァ ムールティアシュタカム
この詩句は彼女が自分を八つの姿に分けたのでアシュタムルティとして知られると述べています。『ラリタ・サハスラナーマ』も聖なる母をアシュタムルティと述べています。これらの八つの姿と彼女のアートマ・スワルーパ(真我の姿)で合計が九です。そのため彼女はナヴァ・ドゥルガーとして知られています。
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