言葉と教え

ダッタ・スタヴァの唱え方(第八詩句)

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Janma samsāra bandhagnaṃ swaroopānanda dāyakaṃ ǀ
Niḥśreyasa padaṃ vande smaṛtrgāmi sano’vatu ǀǀ
ジャンマ・サンサーラ・バンダグナン・スワルーパーナンダ・ダーヤカン
ニフシェレーヤサ・パダン・ヴァンデー・スマルトルガーミ・サノーヴァトゥ

この句は非常に深い意味のある特別な句です。ダッタ・スタヴァはアシュタカム(八つの句からなる賛美の句)です。これはこのアシュタカムの最後の句です。この句では人間が実際に祈りを通して何を求めるべきなのかを説明しています。

第一詩句で私たちは悲しみ/困難が破壊されて、慰めとともに祝福されるようにと祈りました。この人生で充実感を得るために、私たちは全託の思いで主に祈る必要があります。「おお主よ、この生と死の繰り返しのサイクル(サンサーラ)が私を束縛しています。どうかこの束縛から解放してください」

しばらく笑って、しばらく悲しむのは、このサンサーラの一部です。一瞬楽しんで、次の瞬間には落ち込みます。時には人生は素晴らしいと言い、ある時には人生は重荷だと言います。人生は多くの浮き沈みでいっぱいで、完全に私たちを縛りつけています。

「ジャンマ・サンサーラ・バンダグナン」:彼はこの生と死の繰り返されるサイクルから解放します。

私たちは地上にいる短い間に執着を作ります。一週間前に結婚したばかりの夫婦がもうお互い離れられないと主張します。マーヤでなければこれは何でしょうか? 夫婦は一生離れないと誓います。しかし子どもが生まれた後に離婚の準備をしています。それはいいことですか?二人が一つになったのはパラマートマの意志です。夫婦はどうしてこのように考えることができるのでしょうか?

感情は束の間で一時的なものです。真の愛と感情は見当たりません。「ありがとう」という言葉が、あらゆる本物の感情に置き換わってしまいました。夫婦でさえも、ささいな手助けに「ありがとう」とお互い感謝しています。真の愛はどこにあるのでしょう?これはマーヤ(幻想)です。主だけが私たちの全ての転生の統計的記録を持っています。主ダッタはブレーキを持っています。彼はこのサイクルを急停止させることのできるリモコンを持っています。それが主の偉大なところです。一般的にサンサーラは浮き沈みのある単なる結婚生活だとみなされています。しかし本当のところは、誕生自体がサンサーラです!このサンサーラは永遠の枝と無数の果実と花のある、想像を絶する巨木のようなものなのです。

ラマナ・マハルシは「繰り返される転生自体が癌です。それがいかに危険なものか理解できるでしょう」と言いました。
ブラフマチャーリ(独身者)、世帯主、サンニャーシ(放棄者)にかかわらず、この誕生はサンサーラです。私たちのコントロールを超えたこのサンサーラで、私たちは束縛され問題を得ます。この世俗的なサンサーラのことを心配して、より大きなサンサーラについて考えるのを忘れてしまいます。「おお、私には子どもがいない、十分な利益を稼いでいない」このように嘆いて、一時的なささいなサンサーラの心配と執着で時間を食い尽くします。自作自演をして、その責任を神に押しつけようとします。神と口論しようとしないでください。「あなたが与えたために襲われている」それは間違っています。主は「あなたがそれを頼んだから与えたのです」と言うでしょう。
同時に決して死なないようになろうとするサーダカ(霊性修養者)もいます。これも間違っています。サーダカは生まれ変わることを免れるように祈ることはできますが、死から逃れようとしてはいけません。その人が選択しようがしまいが、死は避けられません。生まれ変わることは逃れることが可能です。そのため生まれ変わらないように祈ることが適切です。長い時間生きた後に、人はこの人生に飽きます。ならばどうしてこの体で600年から800年も生きれるのですか?

ナーマデーヴァは「おお主よ、生まれ変わることが必要ならば、サーダカ(霊性修養者)の中に生まれるようにしてください。あなたのことを思う機会が必要なのです」と祈りました。
贅沢を楽しむためだけに生まれ変わることを求めないでください。生まれてきたからには、この人生を神へのセーヴァ―(奉仕)に使ってください。「すべての転生で私はあなたの召使でいる必要があります。おお主よ。あなたの熱心な僕であり続ける限り、どれだけ生まれ変わっても構いません」このように祈るべきです。できるだけ生まれ変わることを望むべきではありません。人を束縛するのは誕生(ジャンマ)です。死は決して人を束縛しません。全ての束縛は私たちが生まれるのを決意したために始まります。実践、決意と良い交流を持つことで、悪習は克服できるかもしれませんが、ジャンマ(ジャンマ・サンサーラ)と呼ばれる束縛はそう簡単には断ち切れません。
自助努力でこの状態になることは不可能です。主ダッタだけが終わりをもたらすことができます。そのためにこれを授けてもらえるように懇願する必要があるのです。

「スワルーパーナンダ・ダーヤカン」:彼は本来の私たち自身である本物の内なる至福を授けます。

ジャンマ(誕生)と呼ばれる束縛が断ち切られると、残る全てのものはアーナンダ(至福)であり、それは全ての存在の本来の状態です。
おいしいマンゴーを味わうとき、舌は言い表せないほどの至福を楽しみます。その人はしばらくの間この至福に浸ります。良い音楽も神聖な至福を耳にもたらします。他の人があなたのことを大いに称えると、心はその至福に浸ります。「全て自分の知性/能力のおかげです。私の能力を認めてくれてありがとう。少なくともあなたは気づいてくれました」人をそう言います。普通人は、自分たちが媒介になって神が仕事を完遂したことを認めません。その中の神の役割を公然と心から認めません。「私を褒めないでください。神を称えてください」とは誰も言いません。

人から褒められることはエゴを煽るので、そうさせてはいけません。しかしこのエゴが煽られることは心に至福を与えます。三種類の至福について話してきました。舌が楽しむ至福、耳と心が楽しむ至福です。心が至福を経験しているときは、舌が楽しむ至福は存在しません。言い換えれば至福の一つの形を愉しんでいるとき、ほかの至福の形は存在できないということです。耳がどうやっておいしい食べ物を楽しむでしょう?同じように舌は良い音楽を楽しめません、五つの感覚は、それに直結しているものからだけ至福を引き出します。

では人が自分自身を得る/知ることを決意した場合に、何が起こるのでしょうか?自分の本当の自己を知った時点でその人は真の至福(アーナンダ)が自然な状態(スワルーパ)だということに気がつきます。この幻想と悲しみが拭い去られた時点に残るもの、その全てはその人の本当の姿です。この姿とは至福(アーナンダ)です。様々な証拠だけではなく、直接の体験として、至福が本来の性質であることを理解します。主ダッタは私たちをこの至高の状態であることを体験するようにしてくれます!そのため「スワルーパーナンダ・ダーヤカム」と呼ばれます。彼は私たち生来の状態(スワルーパ)が本当の至福(アーナンダ)であることを示してくれます!私たちの本来の姿(スワルーパム)が至福(アーナンダ・ダーヤカム)を与えてくれるのだということがわかります。

「ニフシュレーヤサ・パダン」:この真の至福を得ることはニフシュレーヤサムです。言い換えると解放です。これはモークシャ、ニルヴァーナ、カイヴァルヤ、アートマイキャと多くの名前で知られています。

この段階は、そこに達するまではわかりません。言い換えると、ダッタ自身がニフシュレーヤサと呼ばれるこの究極の状態なのです。彼は解放です。
これは少し奇妙に聞こえるかもしれませんね。主ダッタを礼拝することを通して人は解放に達すると言われるならば、おそらく理にかなっていますが、どうやって主ダッタ自身が解放だと言えるのでしょうか?目的地に着くために電車に乗ります。電車と目的地は同じものですか?同じようにダッタと解放は同じものであるはずがないと人は主張します。
ここで陶芸家が土鍋を焼いているとします。土鍋は粘土に他なりません。粘土は鍋になった、あるいは、鍋は粘土でしかありません。同じようにダッタを礼拝することで、人はダッタになります。これは「アハムグラホーパーサナ」と呼ばれます。この状態に達するために、ダッタ・ウパーサナ(念拝)を行う必要があるのです。

ウパニシャッドでは「サダー・ダットーハ・アスミーティ」と言われます。自分自身をダッタートレーヤだと信じて、この堅固な信念をもって愛情込めて振舞う人はサンサーリ(輪廻にある人)ではないという意味です。ここではそのような人々はサムサーラ(誕生と死)のサイクルから出る十分な機会があるのだと解釈すべきです。

「私はダッタである」と本当に信じて、この信念をもってウパーサナ(憶念)をする人は、解放に達する機会があることを理解しなければなりません。ブラマラの蜂を完全な恐れと集中を持って見る虫がブラフマの蜂に変容するように、ダッタ・ウパーサナをずっと行う人は、ダッタに変容するのです。その人のアートマはダッタになります。その人はパラマートマの姿になります。ウパニシャッドはこの状態は「ナ・サンサーリ」または「モークシャ」だと宣言しています。

このウパニシャッドの声明から、「ダッタになること」と「解放に達成すること」は同じものであることがわかります。粘土が鍋や様々な粘土の製品になるように、ウパーサカはダッタに変容します。この物が壊れるとき、壊れた破片は粘土になります。粘土だけが残ります。これがモークシャと呼ばれています。
これが最後の賛美句(アシュタカム)です。このアシュタカムは全ての悲しみと困難(アシュタ・カシュタ)を破壊します。この最後の句は人間の誕生の最後の目的地を説明しています。

「ヴァンデー」:この主に敬意を捧げます。
「スマルトルガーミ・サノーヴァトゥ」:呼べば即座に応えてくださる主が私たち皆を守ってくださいますように!

次に最後の締めの句について話します。このマントラを唱えることの成果について説明しています。これはマンガラ・ヴァーチャカ(吉祥の言葉)です。

<続く>

☞ダッタ・スタヴァ(全詩句)
☞ダッタ・スタヴァ 音声(英語表記あり)

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