言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第225話

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プリトゥ王は続けました、「おお宇宙の主よ!女神ラクシュミーは、永遠にあなたの蓮華の御足に仕えています。今、私もそのような奉仕をあなたに捧げたいと思っています。女神と私が、あなたへの奉仕をめぐって競争するのは確実です。あなたは弱者に哀れみ深き御方ですから、弱き者のささやかな奉仕を受け入れて、高く評価してくださいます。おお神よ、あなたは完全であられ、御身の根源の姿に喜んでおられます。それなのになぜ、あなたは、女神ラクシュミーを必要とされるのでしょうか?

おお神よ、あなたは、トリグナによる活動を超越しておられます。このため、マハトマは悟りに至った後でさえも、あなたに奉仕し続けるのです。彼らは、あなたの蓮華の御足に奉仕すること以外には何も求めません。おお神の中の神よ、あなたは、召使いにすぎない私に恩恵を求めるように言われました。あなたがそうした言葉を投げかけると、人々は惑わされます。彼らはそれに当惑するのです。人はヴェーダによる指図という縄につながれて、何らの報酬を求め、果報を期待する行動を繰り返し行うのです。」

欲望を抱く、その欲望を実現するために行動する、その過程で困難に陥る、その難局から抜け出すために再び、新たな欲望を抱く、そして、それに向けて適当な行動を起こす―このように、終わることのないサイクルで回っているのです!たとえ欲望の全てを実現したとしても、人はそれを止めることはありません。

人はすぐに新たな欲望を抱きます。欲望が実現しないと、神から離れていきます。そして、「望みを叶えてくれないのなら、神を崇拝しても何の役に立つというのだろうか」と、声高らかに言うのです。その結果、さらに低い次元へと落ちていきます。

「ですから、おお主よ、どうか、私たちをお救いください。欲望が次から次へと心に浮かんでこないようにしてください。どうか、私たちがこのような終わりなき欲望から離れることができるようにしてください。私たちが欲望を抱くと、それを叶えるか否か、あなたがお決めになります。欲望が叶えられた場合、私たちはさらに多くの欲望を抱くようになります。そして、欲望を叶えられなかった場合には、私たちはあなたから離れていきます。この両者は、どちらも、健全な姿ではありません。どちらもあなたに対して失礼です。ですから、いかなる欲望も抱かないのがふさわしいのです!

あなたは、私の望みを叶えて、最高の報酬を与える決定を下したとしましょう。あなたは、何を下さるのでしょうか?あなたは、地上で最も裕福な人の家庭や、王家の血筋、非常に影響力のある一族に私を転生させます。私は名声を獲得します。そして、私は、完全に利己主義になって、最悪の過ちを犯し、その結果、転落していきます。また、自分のプライドが邪魔をして、あなたのことを忘れてしまいます。そのプライドのために、悪魔的な性質を帯びるのです。ですから、自分の欲望を実現することによって、さらに利己主義に走るのです。

私は、新たな欲望が出てくる度に言います、「おお神よ、これが最後の欲望です。これ以上の欲望はありません。」 そして、あなたが私の欲望を実現しようとしまいと、私は困難な状況に陥ります。どうか、私が恩恵を求めるようなことをなさらないでください。そもそも、私はこの欲望に近づきたくないのです。

どういった理由から、私は、屋敷、家族、身体的苦痛、苦悩、家庭の仕事に関する限定的な思考の中を動き回っているのでしょうか?私はそこから抜け出すことができないのです。おお神よ、私が自分の人生や家族に関係した欲望を叶えてくれるようにお願いすると、あなたはいつでもすぐにそれを実現してくださいます。しかし、その最大の利点は何なのでしょうか?私は、この世俗の束縛につながれたままであり続けているのですから。

おお神よ、私が称賛に価する活動を数多に行ってきたがために、あなたはここに足を運ばれ、私の目の前に立っておられます。こうした活動のおかげで、あなたを自分のところへ引き寄せることができたのです。あなたが来てくださったのですから、取るに足らない望みを叶えてくれるように求める必要などありましょうか?とにかく、あなたは、私に何かを授けるために来られました。ですから、至高の望みを求めることはできませんでしょうか?」

残念なことに、こうした知恵は生じてきません。これが、プリトゥ王が神に対して言おうとしていることです。あなた方に分かるように、私は現代の言葉で同じ内容を説明します。

「おお神よ、愚者はあなたの幻想に惑わされて、自分の根源なるものから離れて、それを忘れてしまいます。そして、肉体が自分であると思って、身体的かつ世俗の欲望の実現を求めます。愚者が求めるものは、それ以外にはありません。」

スワミジの説明:「おお神よ、右膝が痛いです。この痛みがなくなったら、解放です」と、人は祈ります。この望みが叶わなかったら、その人は言うでしょう、「祈りが何の役に立つというのか?あなたは、私の祈りに耳を傾けてくれない。あなたは石ころだ。心無しの無能者だ。」―このように呪いをかけて、彼は地獄に落ちていきます。仮に右足の痛みがとれたとしましょう。そして、祈るのです、「おお神よ、最近は左足が痛みます。どうか、お助けください。」

言い換えれば、あなたは、神/グルに奉仕していないのです。神/グルがあなたに奉仕することを求めています。あなたは、神のそばによって、わずかなお金を供する時、神が合掌して、あなたに奉仕することを期待しているのです、「おお信奉者よ、どうか、私にお申し付けください。私は何を致しましょうか?私はあなたの言いつけ通りに動きます。」 実際には、あなたは、あなたが神にお辞儀するのではなく、神があなたにお辞儀することを求めているのです。あなたが供する花やお金に神が喜び、そして、神通力を使って、あなたの世俗の問題を解決してくれることを期待しているのです。これは神との取引以外の何ものでもありません。金額によらず賽銭する度に、あなたは望みが叶うことを期待しています。そして、何らかの問題解決を期待しています。

このように言う人はいません、「おお、神よ、あなたにお会いできて祝福を感じます。あなたを崇拝する機会に恵まれて幸せです。あなたが私に祝福してくださったものは何でも、あなたにお返ししたいと思います。」

プリトゥ王は言います、「おお神よ、あなたが私に恩恵を求めるようにおっしゃるとすぐに、私は幻想の罠にはまります。恩恵を求めれば、再び、この世界に捉えられてしまうでしょう。その欲望の実現のために、これまでの苦行の全てが水の泡になってしまうのです。何千もの人たちが、このヤグニャが行われている間にマントラを唱えて、際限なく膨大な苦行を行いました。この全ては、ある一つの欲望の実現のためだけにあるのです。インドラ神の地位でさえも、はかないものです。永遠ではないのに、どうしてそれを求めましょうか?おお神よ、私は、あなたと一つになるという永久の地位を望みます。その究極の至福を求めているのです。」

残念ながら、誰もこのようには祈りません。まず人は、自分が抱える問題を全て語ってから、最後に解放を求めて、祈りを終わらせます。この話を何度も聞いた後でさえも、私たちは問題が全て解決することを恥じらいもなく求めて、その後、最後に解放を求めるのです。問題が一つ片付けば、また別の問題が生じてくることが分からないのでしょうか?これが最後の問題だという保証は何なのでしょうか?この問題には解決法があるという保証は何なのでしょう?あなたが求めているのは、解決できない問題の解決法なのです。あなたは、その問題に関する経験をやり抜けるよう定められているのです。

人は欲望という罠に陥って、自らの根源から離れている状態にあります。これは絶対的な真理です!そうでなければ、神と一つになることを求めずに、何故に欲望の実現を求めるのでしょうか?あらゆる問題や痛みを忘れて、人は常にこのように祈らなければなりません、「おお神よ、私が求めるのは、あなただけです。私はただ、あなたと一つになりたいだけなのです。」 グル/神のところへ何度足を運ぼうとも、この祈りを繰り返さなければなりません。おお神よ、私がこのように祈ることができるよう、変容することはできますか?

私はあなたから離れているため、様々な活動に巻き込まれています。これは、まだ花婿が見つかっていないのに、結婚の取り決めを全て行って、準備万端の花嫁がいて、結婚式場の予約をするようなものです」

ハライェー・ナマハ

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