言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第227話

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ヤグニャの規律に従って、プリトゥ王は装飾品を身につけず、黒い鹿皮をまとっていました。そのため、王の肉体ははっきりとしていました。

プリトゥ王は日々の義務的な儀式を終わらせて、ダルバの草を手に持って立っていました。そして、儀式に集った人たち全員を美しい蓮の花のような目で見つめ、愛情深い眼差しを向けて、彼らの悲しみを全て払いのけました。それから、その一人ひとりに至福の雨を降り注ぐかのような美しい声で呼びかけました。

プリトゥ王の話す内容は、美しい音楽のようであり、広範囲にわたる数多の経験的な叡智に満ち満ちており、貴重かつ純粋、厳粛で、また、深遠な本質そのものであり、不明瞭なところがありませんでした。王は相手を急がせることなく、穏やかに人々に声をかけました。それはあたかも、自らの経験を全員のために分かち合うかのようでした。

マハリシたちは、私をこの大地を統治する者に任命しました。ですから、私は邪悪な者を処罰して、正義に生きる者を守護します。そして、人々に生活の糧を与えます。それぞれの地位や適性に従って、各々が自分にふさわしいダルマの規則を生きるようにします。それと同時に、自分自身のダルマ(スワダルマ)を生きることに精進します。

神々によれば、スワダルマに従いつつ、自らの義務を果たしていく者は、天上界の惑星に至ると言います。私たちの心の中に住まう鑑賞者である主シュリハリの恩寵によって、私もまた、こうした天上界の価値ある惑星に至るにふさわしい者です。

この大地の民を守護することなく、税金を徴収する王は、自らの功徳(プンヤ)を喪失しつつ、彼らの罪を背負っていきます。

親愛なる皆様よ、どうか、邪悪な方向へと傾いていく気持ちを手放してください。その代わりに、あなた方の心を主シュリハリに結び付けてください。

私たちは、主シュリハリを目に見える証拠や直接的な証拠では理解することはできません。あなた方の王が肉体を離れた後に天上界の惑星に至ることを願うならば、どうか、各々のダルマの義務に従ってください。そうすることによって、あなた方は現に私を祝福しているのです。

おお祖霊、神々、マハリシたちよ、どうか、私が話したありのままの言葉を受け入れてください。ダルマに従う人、ダルマを教える人、ダルマに生きることを積極的に援助する人もまた、その人が天上界の惑星で享受する報いという点において、等しく分け前を獲得するのですから。

おお尊き方々よ、知恵深き人たちは、ヤグネーシュワラの神はあらゆる行動に対してその結果を与えると断言しています。これは疑いようのない真実です。なぜなら、今生と来世の両方において、光り輝く地位を確保できるのですから。

このことから分かるのは、ある一つの大きな力が働いているということです。その力が、各人の分相応にダルマ、物質的な富(アルタ)、欲望の実現(カーマ)、解放(モクシャ)を祝福し、また、肉体を離れた後には天上界の地位の獲得を祝福するのです。手に矛を持つ至高の神シュリハリがその力なのです。

スワヤンブヴァ・マヌ、ウッターナパーダ、ドゥルヴァ、プリヤヴラタ、我が祖父のアンガといった偉大な王たちは、神の存在を受け入れてきました。ブラフマー神、シヴァ神、プラフラーダ、バリもまた、神を受け入れています。

ムルティユの孫ヴェーナは、神の存在を受け入れませんでした。ヴェーナとその取り巻きは、ダルマに従わなかったため、悲しみの避けられない哀れな世界へと落ちていきました。

世俗の苦悩によりもたらされる苦しみを軽減するために苦行や儀式等を行う人たちは、神の蓮華の御足に奉仕したいという思いを日々強くしていきます。こうした思いが、無数の転生を経て積み重ねてきた心の不浄を洗い流してくれるのです。

ですから、人は、神であるシュリハリに奉仕したいという思いを持って、心の不浄を全て洗い流して、その蓮華の御足に全てを委ねなければなりません!そのような人は、欲望から離れていくようになり、やがて真我を実現するのです。こうしてその人の心は強くなっていくのです。そして、悲しみに満ち満ちた輪廻転生から解放されていきます。

あなた方は純潔な存在です。皆さんは、各々の能力と適正に応じて、完成(シッディ)に達しました。どうか、あなた方に与えられた義務を誠心誠意に続けてください。この義務を遂行することによって、神を崇拝してください。心の中で神を瞑想してください。神の栄光を称える言葉を語ってください。肉体があるならば、敬意のお辞儀を神に捧げてください。この神の蓮華の御足が、願望を叶えてくれる牛のカーマデーヌです。彼があなた方のあらゆる願いを叶えてくれるのです。

至高の神シュリハリにはグナによる性質はありません。非二元的です。あらゆる叡智を体現しています。そして、この世界においては、神は、ヤグニャに捧げられるプローダーシャ等の材料、ヤグニャで執り行われる全ての儀式、ヤグニャで唱えられるマントラという形を通して、御身を顕現します。ヤグニャは、たくさんの大切な要素で成り立っています。

神の幻想の力がマーヤ・シャクティです。時間がこの幻想の力の中に騒動を引き起こします。過去の転生の行為の結果として微細に残っている性向(カルマ・ヴァーサナ)、運命(プラーラブダ・カルマ:これまでに積み重ねてきたカルマの一部であり、ある一つの転生で経験すべきカルマ)、マーヤ・シャクティ、そして、時間という要素が一つになって、人の肉体は作られています。

丸太を飲み込んでいく炎は、その木の形をも獲得したかのように見えます。同様に、遍在する神は、形をもったものの中にある個人の知性と一つになります。こうしてあたかも彼は行為の結果を享受するかのように現れるのです。

我が大地の皆様は、確固とした決意を持って自らのダルマに従い、絶えることなくシュリハリを崇拝しています。それが私への祝福です。これこそが私の最高の幸運です。

シュリクリシュナーヤ・ナマハ

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