言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第229話

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Namo vivṛddha-sattvāya puruṣāya mahīyase
Yo brahma kṣatram āviśya bibhartīdaṁ sva-tejasā

善なるもの(サットヴァ)の顕現であり、あらゆる生命体の中でも最も至高な存在(プルショッタマ)であるシュリハリに敬意のお辞儀を捧げます!神は、ブラフミンとクシャトリヤの中にその光輝を留めました。そして、彼らを道具として用いて、この宇宙を守護しているのです。

第四巻、第二十一章はこれで終わりです。

第四巻、第二十二章です。

この章では、プリトゥ王が四人のクマーラたちと出会う場面が描かれています。

マイトレーヤ・マハルシは、ヴィドゥラに言いました、「王国の民がプリトゥ王を賞揚していると、勇敢で高潔な存在であり、太陽のような光の持ち主である四人のマハルシが到着しました。

プリトゥ王と従者たちは、天界からやってきて、その眼差しでその場に集った全員を浄化している四人の存在に気が付きました。プリトゥ王はその存在の顔に表れた明るさを見て、彼らを認識したのです。

プリトゥ王は、諸感覚を統御する心が、身体を離れようとする生命力と知覚を引き戻そうとするかのような強い衝動を感じ、立ち上がりました。そして、王の従者たちと儀式に集まった人たちの全員もまた、すぐに立ち上がりました。

プリトゥ王は、この四人の聖者に深い尊敬と敬意の念を持って、即座に彼らの方に向きを変えました。そして、慎み深く、恭しく彼らにお辞儀して、儀礼的に水と席を供しました。四人の聖者が席を受け入れて、つつがなく着席すると、プリトゥ王は彼らを崇拝しました。それから、彼らの足を洗って、髪の毛を濡らすためにその聖水を頭に振りかけました。王は、この至高の行為を行うことによって、高潔な存在のあるべき態度と行動を人々に教えたのです。

この四人のサナカ等のマハルシは、ルドラ神の兄弟です。彼らは金色の席に座り、儀式の炉の炎のように輝いていました。彼らに完全な献身の念を示したプリトゥ王は、四人のマハルシの到着を大変に喜びました。そして、彼らを呼んで言いました、

「私たちはなんと幸運なのでしょう!おお至高の聖者方よ、あなた方がいらっしゃったことは吉祥を意味します。

あなた方のダルシャンを祝福されるとは、私はどんな有徳な行為を行ってきたのでしょうか、考えも及びません。それは、偉大な聖者でも不可能なものなのですから。

ヴェーダの学者、シヴァ神、ヴィシュヌ神、そして、その従者たちを喜ばせた人が、今生と来世で獲得できないものは何もありません。つまり、シヴァ神、ヴィシュヌ神、ヴェーダの学者を喜ばせると、今生と来世で全てを獲得することができるのです。

人は、自らの中に住まい、観賞している真我を認識できません。そして、この宇宙を創造したマハト等の原理を理解できずにいます。同様に、あなた方はあらゆる次元を行き来していますが、普通の人はあなた方を認識することができないのです。

Adhanā api te dhanyāḥ sādhavo gṛha-medhinaḥ
Yad-gṛhā hy arha-varyāmbu- tṛṇa-bhūmīśvarāvarāḥ

家住者は、マハトマが彼らの家を訪ねてきて、聖者に差し出した水を飲む時、幸福を感じます。そして、自分たちのところに腰を下ろしたマハトマに、召使い共々、奉仕することに大きな喜びを感じます。そうした家住者は、たとえ貧しかったとしても、幸運に恵まれます。

ガンジス川は、主シュリハリの蓮華の御足から生まれました。家にあらゆる類のものが豊富にあったとしても、主シュリハリの信奉者の足がその家で洗われることがなければ、そこは蛇のいる木のようなものです。蛇がいる木には、誰も近づきません。果物を摘もうとも思いません。その木は大きく、休む場所としては十分かもしれません。果物も豊富になっているかもしれません。しかしそれでも、その恩恵を活用しなければ、存在そのものが無駄に終わってしまいます。

おお偉大な聖者方よ、私は畏敬の念を持ってあなた方をお迎えします。あなた方は、この上なく叡智に溢れています。生まれたばかりの頃から、あなた方は解放に大きな関心を示し、猛烈に苦行を行ってきました。

おお偉大な聖者方よ、私たちは、感覚的な喜びを享受することが人生の唯一の目標であると信じ込まされています。こうした感覚的な喜びは、私たちにとって、それ自体が人生の四段階の目標(プルシャールタ)です。私たちは、果報を期待する行動に従事し、その結果を刈り取って、輪廻転生という束縛の罠にはまります。人生は、悲しみの倉庫に他なりません。こうした束縛に埋もれている私たちには、解放の望みがあるのでしょうか?

おお偉大な聖者方よ、あなた方は、完全に真我に確立しています。そして、永久に内なる至福を楽しんでいます。あなた方の心の中には、「これは吉祥である、あれは吉祥ではない」という分離感は存在しないので、あなた方に幸せでいらっしゃいますかとお尋ねするのは適切ではありません。あなた方は、弱き者の助けとして働いている至高の人格者です。ですから、私は心の底からあなた方を信じて、私自身の心の迷いをお話ししたいと思います。

Sampṛcche bhava etasmin kṣemaḥ kenāñjasā bhavet
―人がこの世で吉祥を獲得する上での最短かつ最も容易な道とは、何なのでしょうか?

至高の神シュリハリは、生まれることなき御方です。主はあらゆる生命体の中に真我として存在していますが、この宇宙において何が永遠であり、そして、何が一時的なものなのか、まさにその叡智を経験的に獲得した勇敢な人にだけ、その御姿を見せてくれます。そうした人たちだけが、神は自らの内なる真我であると分かるのです。

この神シュリハリは、信奉者に祝福を与えるために、あなた方のような完成に達した存在の姿をして遍在しているのです。これは紛れもない真実です。」

このように、プリトゥ王は威厳を持って、美しく、親しみやすく、聞き心地の良い言葉を話しました。この言葉を聞いて、愛情に満ち溢れ、魅力的で朗らかな顔をしたサナトクマーラ・マハルシは、プリトゥ王に話を始めました。

“sādhu pṛṣṭaṁ mahārāja sarva-bhūta-hitātmanā
bhavatā viduṣā cāpi sādhūnāṁ matir īdṛśī”

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