憎しみを捨てる
更新日 : 2024.7.23
カテゴリー : 7日間の神への賛歌
(サンキールタナ・サプタハ 2018年11月 シュリー・スワミジの講話)
【詩句】
Dŗṣṭipūtam nyasētpādaṃ Vastrapūtam jalaṃ pibēt
Satyapūtaṃ vadēdvācaṃ Manaḥ pūtam samācarēt
意味: 足を踏み入れる前に周囲を徹底的に観察する (飛び込む前によく見る)。一滴一滴の水を飲む前に濾過する。話す言葉は濾過し、真実の言葉だけを発すること。心によって濾過された考えだけを行動に移すこと。
嫌悪の感情がどのように私たちを騙すのかを簡単に理解しましょう。憎悪/嫌悪はすべての悪習慣の中で最も恐ろしいものであり、人を完全に破滅させる力を持っています。私たちはそのような感情を克服したいと思っても、それは思ったほど簡単ではありません。内側から嫌悪の感情を破壊しようとする最善の努力さえも完全に無駄になります。その力はあまりにも大きいので、それらを排除するためには至高の主に頼らなければなりません。それは取り返しのつかない損害を引き起こします。その影響の強さは計り知れません。
自分が他人に対して嫌悪感を抱いていることに気づいている知的な人は、注意を払わなければなりません。嫌悪している人と会話をするときは、自分の中の考えや感情を内省する必要があります。善悪を慎重に区別した後、適切な正しい言葉を注意深く発しなければなりません。その後、神に重荷を委ねなければなりません。これが嫌悪に対抗するのに取られるべきステップです。
嫌悪している人のあらゆる行動や側面に欠点を見つけるのはごく当たり前のことです。その人のあらゆる行動は批判的な目で見られています。彼の発する言葉はすべて誤って解釈されます。私たちはその人を非難する方法を探します。その人の名前を口にするだけで頭に血が昇るほどです。さらに、恨み、怒り、嫉妬などの感情が私たちの中に湧き上がって、憎しみの感情をさらに強めます。
そのような場合、時と状況に関係なく、私たちは識別力と英知を失いがちです。内省する能力を失います。考えはすべて、嫌悪する人に集中し、それが今度は私たちの心を完全に汚染します。仕事は完了することなく不適切に行われます。私たちは目標から遠ざかります。日が経つにつれて、行動と会話に変化が明確に現れます。行動自体が完全に変わってしまいます。こうして私たちは完全な自己破壊へと突き動かされます。
シュリーラーマに対して完全な嫌悪感を抱いていた悪魔ラーヴァナは、家族、友人、従者とともに恐ろしい最期を迎えました。敵意はしばしば完全な破壊を引き起こします。それは、一つ屋根の下で調和して暮らすはずだった人々が剣を取り、お互いを攻撃する原因となります。何年も着実に育まれてきた愛情、愛着、深い絆の感情が突然破壊されます。心を支配していた優しい感情はひどく打撃を受けます。心は説明できないほどの苦痛を味わいます。敵意は、時には一時的には良い結果をもたらすように見えますが、長期的には災いをもたらすことになります。
ドゥルヨーダナは幼いころから従兄弟のパーンダヴァ兄弟に憎しみを抱いて、彼らの本来の気高さと高潔さを見抜けなかった。彼らの善良を認めることができず、あらゆる行為に欠点を見つけました。嫌悪と嫉妬に満ちた彼は、この世に敵がいない(アジャータシャトル)ことで有名な、徳の高い従兄弟のダルマラージャ(最年長のパーンダヴァ)の偉大さに気づいていませんでした。
ドゥルヨーダナの嫌悪は終わることがありませんでした。生涯の中で、あらゆる機会に、多くの著名なマハリシ(聖者)が家まで押しかけて、正義を説きました。彼らは彼に光を見せようとしました。外見上は謙虚に振る舞い、理解しているふりをしましたが、その教えを吸収したり、彼らのアドバイスを行動に移したりする感性に欠けていました。こうして彼は自ら没落の責任を負いました。従兄弟たちとの恐ろしい戦いに巻き込まれ、命も含めすべてを失いました。彼らの血統を断絶させる原因となり、悪名を馳せました。
嫌悪は芽のうちに摘み取らなければなりません。長老の仲介者の助けを借りて、互いの最終的な幸福を念頭に置いて、双方は平和的な和解に取り組まなければなりません。彼らは最終的な目標を念頭に置いて、互いの懸念を見逃す成熟さを持たなければなりません。
覚えておいてほしいのは、敵意と憎しみが強まっているところでは、これらの相互和解の試みはどれも効果がないということです。根深い敵意は間違いなく破滅につながります。敵意は精神的健康を損なうだけでなく、身体的健康も損ないます。敵意は人を暴力的行為へと駆り立ててそれによって幸福と繁栄を阻害します。
自己反省と恨みの抑制を助けてもらえるように主に祈ってください。社会のあらゆる人々からそのような感情を根絶するよう主に祈ってください。
憎しみと敵意は悪魔的な傾向です。忍耐と他者への愛は神的な傾向です。神聖な資質が培われると、悪魔的な傾向は抑えられます。吉兆が流れ込み、幸せで平和な生活を送ることができます。
Śataṃ vihāya bhōktavyaṃ sahasram snāna mācaret
Laksham vihāya dātavyam koṭim tyaktvā hariṃ bhajēt
100の仕事を抱えていても、適切な時間に食事を取らなければなりません。1000の仕事に没頭していても、定められた時間に入浴しなければなりません。慈善活動に従事するには、10万の仕事を脇に置かなければなりません。1000万の仕事でさえも、瞑想のためには脇にどかさなければなりません。
今世と来世の両方で至福を楽しむには、主について瞑想することが不可欠です。「主よ、どうか不純性を完全に滅ぼしてください」と祈ってください。あなたの人生は祝福されるでしょう。
原初のグル・ダッタがあなたのすべての願いを叶えてくれますように!ダッタがあなたに素晴らしい叡智を授けてくれますように!
続く