言葉と教え

ラリタ・サハスラナーマの名の意味391~400

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391. Nityā-ṣoḍaśikā-rūpā ニティヤー・ショーダシカー・ルーパー

意味)彼女は16の永遠の姿で輝いています。

月には16の段階 (太陰暦の2週間の16日間、ティティ) があります。各段階は聖なる母の1つの姿です。聖なる母は各日に異なる名前で礼拝され、ニティヤが最初でトリプランビカが最後です。

392. Śrīkaṇṭhārdha-śarīriṇī シュリーカンタールダ・シャリーリニー

意味)彼女はシュリーカンタの体の左半分です。(シュリーカンタはシヴァです)。これは神のアルダ・ナアレーシュワラの姿で、体の右半分はシヴァのもので、左半分は彼女のものです。

ある時、シヴァ神は世界を救うために毒を飲み込みました。「シュリー」という用語は甘露と毒の両方を表します。カンタは首/喉です。この神が毒を飲み込んだので、彼はシュリーカンタです。この神はマイソール近郊のナンジャングドに住んでいます。ナンジャは毒を意味します。彼女は神の体の左半分なので、毒も彼女の喉に流れました。これは彼らの間の一体性を示しています。 私たちのウパニシャッドは、創造の前にパラマートマだけが存在したと権威をもって述べています。このアートマは二つに分かれて、世界に飛び出しました。一つは男性の形で、もう一つは女性の形で、夫と妻でした。本来、特性 (ニルグナ) であり、形を欠いていたアートマは、今や形を帯びました。一つのアートマ (パラマートマ) が二つに分裂する様子は、アルダ・ナーリーシュワラ・ルーパ (半分男性、半分女性の姿) として表現されています。

ここで『ラリータ・サハスラナーマ』は「プラバー・ヴィディヤ」に入ります。393から404までの名前はプラバー・ヴィディヤに関連しています。

プラバーは輝き、光、または明るさを意味します。この輝きの側面は太陽の特性であり、したがってこの知識はサヴィトリ・ヴィディヤ(太陽に関する知識)として知られています。サヴィタも至高の知識を意味します。光(知識)は暗闇(無知)を払いのけます。

目に見える太陽があるように、私たちのハートの中にも、その光と輝きで私たちを導いてくれる太陽が存在します。私たちは、この2つの太陽は 1 つであり、同じものであることを理解する必要があります。

393. Prabhāvatī プラバーヴァティー

意味)彼女は無限で終わりのない輝き(知識)で輝いています。

よく神や聖者の頭の後ろに、光輪が投影されます。この光の輪は、終わりのない輝きと知識を表しています。プラバーは自らを照らす光です。

彼女は無限の光線で自分を囲んでいる太陽です。光線は私たちが太陽を見るのを妨げます。しかし、これらの光線は彼女から分離しているわけではなく、彼女を囲んでいるわけでもありません。これらの光線は彼女の固有の一部であり、彼女の輝きを引き起こします。彼女は光であると言う方が適切でしょう。彼女は、輝きの背後にある力です。彼女は輝きを引き起こして、私たちが彼女の輝きを見る原因です。

非常に人気のあるヴェーダの言葉があります。「Asavadityo Brahmaアサヴァディティヨー・ブラフマー :目に見える太陽はパラブラフマです。ハートの中には太陽があり、それはパラブラフマに他なりません。この信仰に基づいて、サンディヤの時には太陽神にタルパナを捧げる必要があります。

394. Prabhārūpā プラバールーパ

意味)彼女は光の姿です(上記と同じ)。

395. Prasiddhā プラシッダー

意味)彼女はとても有名です。至高の知識とその輝きは、すべての存在に生来的によく知られています。

すべての存在が持つ最も一般的な誤解は、霊的な知識は未知でほど遠い主題であるということです。しかし真実は、これはすべての存在が持つ生来の知識であるということです。火と熱が切り離せないのと同じように、存在と至高の知識は切り離せません。現実は、存在がパラマートマから分離したため、本来自分自身のものである至高の知識を一時的に忘れてしまったということです。この「無知」により、存在は自分自身を別の存在と見なします。

「無知」から「私 (アハム) 」や「私のもの(ママ)」などの言葉が生まれました。存在は無知から、個人レベルで「私」という言葉を使用して自分のアイデンティティを表現します。同じ「私」が普遍的 (ヴィラート) レベルで使用されると、至高の知識が記憶に戻ります。人は普遍的な一体性を実践して、この創造物のあらゆるものに自分自身を見ることを学ぶべきです。それは普遍的なアハンカーラです。これがサッドグルが生徒にもたらそうとしている変容です。

396. Parameśvarī パラメーシュヴァリー

意味)彼女はこの創造物全体の最高の統治者 (パラマ + イーシュワリ) です。彼女は創造物全体を掌握しているので、彼女はイーシュワリです。

パラマはパラ + マと分割することもできます。ここで「マ」はラクシュミーを表します。つまりパラマは、知性、心、意図の範囲を超えた力であることを意味します。

神は、光 (プラバールーパ) または至高の統治者(パラメーシュワリ)として礼拝されます。前者は形のない礼拝(ニルグナ・ウパーサナ) であり、後者は形のあ​​る礼拝 (サグナ・ウパーサナ) です。光を直接崇拝することは簡単なアプローチではありません。ヘッドライトを強力に点灯して近づいてくる車の例を考えてみましょう。光で目がくらんで、近づいてくる車の種類を把握することさえ不可能です。光が通り過ぎると、それが私たちにとって馴染みのある車であることに気づきます。光がさらに進むと、私たちは車内に座っている親戚を認識することができます。同様に、完全な光は私たちの目をくらませます。したがって、その後に続く形がサグナ・ウパーサナとして礼拝されます。この手順は、礼拝、プージャー、ホーマなどの伝統に従うカルマ ・ヨーギーに適しています。至高の知識に満ちたジュニャーナ・ヨーギーにとって、彼女はプラバーヴァティ (光) です。すべての生き物は、形のある礼拝から形のない礼拝に移行する必要があります。

この輝かしい光を理解することが重要です。それはヴェーダが教えていることです。 『sa brahma sa sivah sendrah so’ksharah paramah svarāt 』

意味)彼はブラフマーであり、ヴィシュヌであり、シヴァであり、インドラであり、永遠であり、至高 (パラマ) であり、すべての主です。彼は自ら照らす光(スヴァラート)です。

397. Mūlaprakṛti ムーラプラクリティヒ

意味)彼女は全創造の根本原因(サルヴァ・カーラナ・カーラナン)です。

「ムーラ」は根本原因を表します。「プラクリティ」はプラ+クリ+ティの三語を結合しています。「プラ」は巨大な/最高のという意味です。「クリ」は創造(シュリシュティ)です。「プラクリティ」は自立して存在する至高の(広大な)創造です。

つまり、「ムーラプクリティ」は、彼女がこの広大な創造の根本的な原因であることを表しています。

ムーラプクリティは、彼女の原理(タットヴァ)の中の第一のものです。『バガヴァッド・ギーター』は、これを「ビンナ・プラクリティ・アシュタダ」、つまり「地、火、水などの八つの姿として姿を現すのは、私の要素(プラクリティ)である」と説明しています。

398. Avyaktā アヴヤクター

意味)彼女は非顕現で不可視の状態です。

これは「ムーラプラクリティ」として目に見えない状態であることと類似しています。

根本的な原因として彼女は不可視で精妙です。例えば、ガンジス川やカーヴェーリ川は、その発生する所では、ほとんど目に見えず、かろうじて認識できるくらいの小さな流れです。しかしそれらは無数の人を養うことができる巨大な川になり、国の広範囲にわたって流れます。

土器は、形成される前は土の姿をしています。それ以前には土さえも存在していない時がありました。さまざまな原子が集まり、土を形成します。「アヴヤクタ」は、この土の粒子のように、形が形成される前の状態について述べています。

399. Vyaktāvyakta-svarūpiṇī ヴヤクターヴヤクタ スヴァルーピニー

意味)顕現・非顕現の両方が彼女の姿です。

彼女は非顕現の状態から顕現になり目に見えるようになります。彼女は霊的探求者(サーダカ)の前に具体的な姿で現れ、探求者はディヤーナ(瞑想)において熟考できるようになります。

誕生前は非顕現の状態です。この世界への誕生は顕現であり、死までの一時的な期間(ヴヤクタ・マディヤー)、その状態が続きます。その後再び、存在は非顕現の状態に戻ります。『バガヴァッド・ギーター』は第二章で述べています。

Avyaktādini bhutāni vyakta-madhyāni bhārata,
avyakta-nidhanāny eva tatra kā paridevanā

意味)全ての存在は誕生前は非顕現の状態にあり、中間において顕現の状態にあり、死において再び非顕現となります。

400. Vyāpinī  ヴヤーピニー

意味)彼女は全てに遍在しています。

死後、魂に何が起こるのでしょうか? 地からなる身体を離れ、存在は無限と一つになります。それは非顕現(アヴヤクタ)の状態であり、全てに遍在するものになります。

全ての執着、怒り、その他の束縛を放棄した人は、この無限と永遠に一つとなることができます。

この名前によって、『ラリタ・サハスラナーマ』は五つ目の覆いへと行きます。

前の覆いの最後の名前は、その次の覆いが教える概念を表しています。

つづく

ラリタ・サハスラナーマの紹介
アンガニャーサとカラニャーサ(身体への神の勧請)
瞑想のための詩句
パンチョ―パチャラ・プージャ(五つの捧げものの儀式)
ムーラグランタ(基調詩節)1-111
サハスラナーマ112-1000

※シュリ・スワミジによる『ラリタ・サハスラナーマ』の詠唱アプリはこちらです。
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