シュリーマド・バーガヴァタム 第265話
更新日 : 2025.5.3
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム
カヴィとジャヤンティの他の81人の息子たちは、父の命令に従って、ヤグナ(祭祀)を絶え間なく実行しました。正義の行為を固守することで、これらのヴェーダ学者たちは純粋になりました。彼らはヴェーダを絶え間なく唱えて、資格のあるブラフミンになりました。
至高者の化身であるルシャバは、行動に対しての無執着を維持して、行動にとらわれることはありませんでした。彼は永遠に真我の中に定着していました。いかなる状況でも極端に流されることはありませんでした。平等と平静の感情を維持しました。好き嫌いなどの二元性に影響されませんでした。すべての生命に深い慈悲を持っていました。
至高の化身であるルシャバは、古代のダルマの原則、つまりヴァルナーシュラマのダルマが背景に追いやられていることに気づきました。彼はこのダルマを地上に復活させました。普通の人々に正しい生き方を教えるべく、彼は普通の人間として行動して、必要な正しい行いをすべて行いました。
彼は完璧な家長としての生活を送って、この人生の段階に関係するダルマの原則を厳格に守りました。彼は物質的な繁栄を得て、子どもをもうけ、名声を得て、世俗的な快適さを享受し、解放も得ました。このようにして、人々に家長の人生を送るべき完璧な方法について教えて、その道を歩ませました。
yad yac chīrṣaṇyācaritaṁ tat tad anuvartate lokaḥ-
意味)世界は常に偉大な人々の行動に従う。つまり、普通の人は偉大な指導者の行動を模倣する。
ヴェーダはすべての正しい原則の宝庫です。ルシャバはヴェーダの活動に隠された内なる意味に精通していました。しかし、彼はヴェーダ学者の教えに従って、人々が彼らの指示通りに道を歩むようにしました。
サーマとは「丁寧に説明する」という意味です。ダーナムは「金銭的な手段によって人が命令に従うことを保証する」という意味です。ベーダは敵同士の意見の相違を引き起こして、彼らを支配しようとすること、ダンダとは罰によって人を正しい道に導くことを意味します。ルシャバはこれら4つの政治的手法を用いて、うまく統治しました。
若い頃から、彼はあらゆる機会を利用してすべての聖なる巡礼地を訪れて、祭司たちの助けを借りて、これらすべての場所で忠実に主を礼拝しました。彼はあらゆる種類の宗教的活動を100回行いました。
彼の統治中、いかなる時もいかなる状況でも、正義だろうと不正義の方法であっても他者の富を得ようとした市民はいませんでした。彼らはほんのわずかな物質的繁栄さえも望まず、完全に満足していました。市民は常に彼の愛情を享受することを切望していました。それは彼らの彼に対する愛でした。実際、彼に対する愛は日ごとに増しました。
ある時、ルシャバデーヴァが旅をしていたとき、ブラフマヴァルタとして知られる聖地に到着しました。そこでは多くのヴェーダ学者の会議が行われていました。彼は息子たちに正しい教えを教えたいと思っていましたが、息子たちは皆、彼に対して謙虚さと愛に満ちていました。会議のすべてのメンバーの前で、ルシャバデーヴァは息子たちに語りかけました。
これで第4章は終わります。
第5巻 第5章
この章では、会議中にルシャバデーヴァが息子たちに与えたイニシエーション、彼がアヴァドゥータ・ダルマを受け入れて森へ向かう様子が取り上げられています。
ルシャバデーヴァは息子たちに言いました。「親愛なる息子たちよ、この人間界で感覚的快楽に執着すると、人間は動物のレベルに落ちてしまう。感覚的快楽は人間を困難の泥沼に陥れる。この世で肉体のある存在の中で、人間の肉体を持つ者は感覚的快楽に屈してはいけない。感覚的満足を求めてはいけないのだ。
人間の肉体でのみ、心を浄化して、真我実現を得ることができるのだ!この無限の至福を享受することができる。したがって、この肉体は至高の苦行を行うために使われるべきだ。」
Mahat-sevāṁ dvāram āhur vimuktes tamo-dvāraṁ yoṣitāṁ saṅgi-saṅgam
Mahāntas te sama-cittāḥ praśāntā vimanyavaḥ suhṛdaḥ sādhavo ye
至高の聖者に奉仕することで、何度も生まれ変わることのない解放への扉が開く。邪悪で好色な女性と付き合う人々と付き合うことで、何度も生まれ変わる輪廻転生(サムサーラ)への扉が開く。これは私たちの長老たちが述べていることだ。
マハトマとは、幸福と喜びを同等に考え、すべての人を平等に扱い、忍耐とバクティ(神への信愛)に満ち、怒りがなく、社会の他の人々のために働く人々のことである。彼らは至高の主である私への強い愛に満ちている。これが彼らの人生における唯一の目標なのだ。
さらに、彼らは自分の肉体と富の維持に永遠に従事しているものと付き合うことはない。彼らは、妻、子ども、富、家、その他の物質的な所有物にはあまり関心を示さない。基本的な生活に必要な範囲でのみ、割り当てられた世俗的な義務を果たす。
人間が感覚器官を満足させるために行動を起こすと、その瞬間に識別力を失ってしまう。そのため、その行動の正しさと誤りを認識できず、罪深い行為をしてしまうのだ。これは人生に対する正しいアプローチではない。
存在を常に困難に陥れるこの肉体は、行動することによってのみ獲得されたものだ。人が真の真我を知ろうと努力しない限り、無知に包まれたままである。幻想に包まれている限り、行動しなければならない。行動する限り、過去の行動の精妙な印象が心に刻み込まれ続ける。この精妙な印象のために、人は必然的に別の体をとらなければならない。こうして、人は繰り返される輪廻転生の終わりのないサイクルに縛られてしまうのだ。
このように、存在が無知に覆われている限り、その中に存在する精妙な印象に影響される心は、行動をするように促す。他でもない私であるヴァースデーヴァに対する揺るぎない信仰を育まない限り、その人は何度も生まれ変わることから逃れることはできない。別の肉体を得ることから逃れることはできないのだ」。
トリヴィックラマーヤ・ナマハ