シュリーマド・バーガヴァタム 第269話
更新日 : 2025.5.5
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム
ルシャバ・デーヴァは火に飛び込んで自殺したのではありません。サーダナ(修行)に没頭していたところ、周囲に火が燃え上がりました。彼はその火から自分の体を守ろうとはしませんでした。こうして彼は肉体を放棄したのです。
自殺は恐ろしい罪です。厳しいヨーガの修行に励みながら肉体を放棄することほど、徳高い行為はありません。
アラハンはコーンカ、ヴェーンカ、クタカの3つの地方の統治者でした。ルシャバ・デーヴァの活動に内在する意義を深く理解せずに、彼はそれらの原理を真似て、古代ヴェーダの原理を悪用する無神論者の新しい宗教を作ろうとしました。
「ルシャバ・デーヴァのように、私もあらゆる贅沢を捨てた」と言い、彼はアヴァドゥータの外面的な活動を真似して、ヴェーダの儀式を放棄しました。「私に説明される必要のあるものは何もなく、私の心に触れるものは何もない」と決意しました。
ルシャバ・デーヴァは他でもない至高主シュリハリでした。彼は至高のヨーギーや聖者に人生の歩み方を教えるために、アヴァドゥータとして生きました。彼は常にヴェーダの原理を固く守りました。アヴァドゥータでありながらも、ヴェーダの教えを厳格に守りました。ルシャバ・デーヴァの外面的な活動や、家やその他の贅沢を捨てて各地を放浪して、果てしない瞑想を行い、あらゆるヴェーダとシャーストラを盲目的に拒絶することに心を奪われたこの王は、ヴェーダの原理を悪用する宗教を作ろうとしました。
個人が定められたダルマ(法)を守り続ける限り、恐れることはありません。しかし、カリユガにおいては、アダルマ(不正義)が蔓延します。混乱したアラハン王は、自らのダルマ(スワダルマ)を放棄しました。彼が無神論者の道を広めるにつれ、カリユガの間に、一部の不道徳な人々が影響を受けます。これは、主のマーヤー(幻想)の力の影響によるものです。
彼らは、自らに定められたダルマ(スワダルマ)と、定められた浄化の活動を放棄しました。自分で主張する戒律に固執することで、人間性と規律を失います。好き勝手に振る舞って、神々を嘲笑します。沐浴と浄化の儀式を放棄して、不浄な状態になります。髪を切らずに、伸び放題の乱れた髪で歩き回ります。定期的に自分の髪を抜くようになります。
このカリユガにおいて、無宗教が蔓延して、それが生き方そのものとなっています。それがヨーガ、偉大な成就となってしまっています。バーガヴァタムはこれらすべてを詳細に説明して、私たちが何を信じ、何を信じないかを判断できるようにしています。私たちの生き方はどうあるべきなのでしょうか?
「無宗教のために人々は識別力を失い、ヴェーダ、ヤグナ(祭祀)、ブラフミン、シュリハリとその信奉者たちを永遠に非難します。神を非難する書物さえ書きます。ヴェーダとヤグナを非難する思想に洗脳されてしまいます。大学を建設して、学生たちに何年もかけてヴェーダの原理ではないものを教え込みます。この分野にも独自のグルが存在するのです!」
これらすべてはカリの影響によるものです。彼らのうち、ルシャバがアヴァドゥータになる前の生き方を理解しようとする者は誰もいませんでした。彼は当時、何を教えたのでしょうか?子どもたちに何を教えたのでしょうか?
このカリユガでは、主を非難することがヨーガとされています。主を礼拝しないことがヨーガです。怠惰であることもヨーガです。嘘をつくことがヨーガです。偽りを語ることで繁栄する方法を教える大学が数多くあります。ヴェーダ、神、そしてその信奉者を批判する書物も数多く出版されています。
他者を傷つけることなく質素な生活を送る信奉者もまた非難されます。「ああ、彼らはただ宗教的な信条に流されているだけだ。罪を犯している」と人々は信奉者を見ると断言します。このアダルマの学派によれば、神を批判することによってのみ解放が得られるとされています。彼らはそう信じているのです。自分が地獄に落ちて、死の神ヤマの隣人となることに気づいていません。おそらく彼らにとってはそれが解放なのです。これらすべてはカリユガでは避けられないのです。
カリユガの間、無神論者たちは、無宗教を広めるこの新しい宗教に喜んで従って、義務を放棄して、ヴェーダの原則を捨てた後に、好き勝手、生きるでしょう。
彼らの生き方を見ると、私たちは笑いながら泣きたくなります。彼らの行動に驚いて、恐しくなります。無知な人は、自分の無知を他の人に伝えます。こうして無知は増殖します。この無知のために、人は自分で努力して最悪の地獄に落ちてしまいます。
地獄には、識別力や英知の余地はありません。無知な人の説教に盲目的に従うことは、「アンダ・パランパラ」と呼ばれます。期待できる利益は何もありません。
ルシャバの化身の主な目的は、激情(ラジョ・グナ)の性質に完全に包み込まれた人々を教えて、導くことでした。彼の化身を称える賛歌が数多くあります。
ヴィシュナヴェー・ナマハ
第270話に続く