言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第287話

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人は時に、金銭の貸し借りというビジネスに携わることがあります。そのような状況では、他人を騙したり、金を盗んだりし、その結果、他者と敵意を募らせます。

さらに、この輪廻の道においては、喜びや悲しみ、恐れ、好き嫌い、自我、自尊心、過ち、愚かさ、夢中、執着、貪欲、焦り、復讐心、侮辱、飢え、渇き、精神的・肉体的な病、生、老い、そして死といった障害や困難が生じます。

無知な人は、女性の姿をした幻影(マーヤー)に抱かれます。彼女は、柔らかいつる植物のような腕で彼を抱きしめます。その腕に安らぐと、彼は正しい行いと間違った行いの識別力を失います。彼は、実際には幻影に過ぎない彼女のために家を建てようと躍起になるでしょう。彼の心は、彼女に住まいを与えたいという切迫した思いに屈服するのです。

息子、娘、嫁、そして幻想から生まれた孫たちも、この家に身を寄せます。そして彼は、妻と子どもたちのおしゃべりに大いに喜び、子どもたちのいたずらにすっかり夢中になります。彼の感覚は世俗的な取引をこなすことに完全に集中して、心の統御を完全に失ってしまいます。こうして、彼自身が地獄と呼ばれる、深く暗く果てしない霊的無知の淵へと堕ちていく原因を作ったのです。

目に見えない小さな原子から始まり、時間は計り知れないほど大きくなり、ブラフマー神の寿命、すなわち1000劫に及びます。この円を描く時間は、時の輪として知られます。この時の輪は、永遠であり遍在する神の円盤です。目に見えない速度で果てしなく回転して、一本の草から創造主であるブラフマー神に至るまで、あらゆる生命体の心を、彼らが見ている間にも奪い去っていきます。ここで理解すべきことは、すべての生命体が見ている間にも、時間が彼らの寿命を奪い去るということです。

それでもなお、無知な人間は時間(死)を恐れません!至高主イーシュワラのもとに安息を求める代わりに、ヴェーダの教えに反する道を歩むフクロウ、ハゲタカ、鶴のもとに安息を求めます。不義に安息を求めることで、彼は正義を捨てます。ヴェーダの裏付けのないタントラこそが、神の道から逸脱したこれらの宗教が存在する原因です。そのような宗教にはヴェーダの証拠がありません。パーカンディとは、自らを欺き堕落した者たちを指します。彼らは今度は、自分たちに近づく人たちを欺きます。これらのパーカンディに欺かれた無知な者は、主の熱心な信奉者である真の至高の知識を持つヨーギーに近づきます。彼は彼らと共に生活し、交流し始めます。

ブラフミンは、聖紐の儀式をはじめとするすべてのヴェーダのカルマを厳格に守ります。彼らは毎日、ヤグナ(祭祀)の体現者であるシュリハリを欠かさず礼拝しています。この無知な人は、こうしたヴェーダの儀式のすべてに違和感を覚えます。そのため、この一団から離れ、不義の道を歩む者たちと関わります。

ヴェーダの道から外れたこれらの人々は、不純な生活を送っていきます。家族を養い、性欲を満たすことだけが彼らの人生の目的です。まるで動物のように生きていると言えるでしょう。そこでは、男も女も互いを称え合い、性欲を満たすことに人生を費やします。この無知な人間は、そのような不純な人々とつき合うことを好みます。そこでは、何の制約もなく自由をフルに行使して、思うがままに振る舞います。彼は恐れることなく不義の道を歩んでいます。実際、この道において、彼は他の人たちを置き去りにしてきました。

彼は死が急速に近づいていることを理解していません。目に見える世俗的な安楽こそが人生の総体であると信じて、目、耳、舌、皮膚、鼻を通してそれらを最大限に享受しています。そのため彼は、木の実だけを食べて時間を浪費する猿によく似ています。妻子に深く愛着を持つ彼にとって、感覚的な喜びは人生の究極の至福をもたらすかのように思われます。

スワミジはこう説明しています。無知な人間の全生涯は、商人の物語という形で説明されました。霊性において悟りを開いたラフーガナは、ジャダバラタが語る寓話に隠された意味を理解することができました。しかし、パリクシットは理解できず、隠された象徴を教えてもらえるように求めました。マハルシ・シュカは今、これを説明します。物語に登場する蜂、蚊、ニシキヘビ、猿、白鳥は、彼が実際に経験した出来事です。ここで語られているのは、まさに私たちの物語なのです。このような詳細な説明がなされているのは、我々の理解のためです。

第288話へ続く

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