シュリーマド・バーガヴァタム 第289話
更新日 : 2025.5.15
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム
感覚的な快楽への飽くなき集中によって、人は悲しみに沈んでいきます。無一文になっても、切実に欲するものを手に入れる方法を常に考え続けます。他人から盗み、そしてまた奪われたお金を取り戻そうと、懸命に努力します。こうした経験を重ねてもなお、無執着は生まれません。正当な手段であれ不正な手段であれ、金銭を所有したいという欲求に執着し、その試みによって屈辱を受けます。
富を得たいというこの強い欲望のために、人は他者との間に敵意を抱きます。それでもなお、精妙な過去の印象が強いため、敵と結婚したり、その他の同盟を結んだりします。しかし、その友情は長くは続かず、やがてその人たちから距離を置きます。
マハトマたちは、この人生の旅の最終目標はシュリハリ神との融合であると親身に宣言します。それは究極的かつ完全な目標です。この宇宙全体は神から生じました。宇宙のあらゆる生命の総体は、商人たちの集団によって代表されます。この集団は、この輪廻転生が続くのに不可欠な外向的な拡大の道(プラヴリッティ・マールガ)を歩み、その道の途中で遭遇する障害や困難に苦しみます。
この道から離れ、帰還の道(ニヴリッティ・マールガ)を歩んだ者たちは、主シュリハリの蓮華の御足に到達しました。過去にはこの道を歩んだ者が数多くいました。しかし、近世の存在は、概ね商人たちの集団としか言いようがありません。その数は非常に増加しています。
旅の途中で、これらの商人たちは死んだ仲間と、深い苦悩に陥った仲間を残していきます。それは非常に奇妙な旅です。生まれたばかりの赤ん坊もこの集団に受け入れられます。この集団全体は、常に悲しみと苦しみを抱えながら旅を続けます。彼らは時として、その苦痛に耐えきれず、気を失います。彼らは時に震え、互いに争い、涙を流し、喜びの時には大声で歌います。
サドゥ・サットサンガ(善良な人の交流)から遠ざかってしまったため、今日に至るまで目的地に辿り着くことができていません。この旅を止めさえすれば、シュリハリ神の蓮華の御足に辿り着くことができるのに。しかし、彼らは旅を止めようとはしません。彼らは無常、不幸、死、暗闇、そして悲しみへと向かう旅を選びます。たまに、幸運な人だけが森から出てきます。
これらのグループのメンバーは、揺るぎない信仰心を育もうとせず、目的地へと導くためのジュニャーナ(英知)を獲得しようともせず、果てしなくこの旅を続けています。彼らは霊的な経典を完全に無視して、軽蔑しています。「一体、それで何の利益があるというのか?」と彼らは問いかけます。あるいは、それを重苦しいものとみなして、脇に置いてしまうのです。
しかし、そのグループの中には、平和を愛し、穏やかな気持ちでいるメンバーも少数います。シュリハリの御名を永遠に唱えるこれらのサーダカたちは、世俗的な快楽には全く傾倒していません。アヒムサー(非暴力)を実践して、ハートの内に宿るシュリハリを得ます
海の近くの砂粒のように、このグループのメンバーは無数で、数え切れません。しかし悲しいことに、これほど巨大なグループでさえ、神と一体化する資格を得るのはたった一人か二人です。これを聞いたあなたは、自分が神に辿り着く可能性はあるのだろうかと疑問に思うかもしれません。しかし、落胆してはいけません。落胆はあなたを何の道にも導きません。真の献身者は決してそのような考えを抱きません。そのような考えは彼らの頭に浮かびません。彼らは自分の能力を疑うことさえありません。それ自体が、彼らの資格を示すのです!
かつて、ある聖者がドゥルヴァに尋ねました。「ドゥルヴァ、あなたはシュリハリに会ったでしょう。私がいつ解放されるのか、彼に尋ねましたか?」ドゥルヴァは答えました。「あなたはこの大きなタマリンドの木の下に座っています。この木は季節ごとに葉を落とします。あなたは、この木が6つの季節で落とす葉の数と同じ数の生を終えた後に、解放を得るでしょう。」聖者は陽気に踊りました。彼は、自分の名前が融合するのに値する人のリストに載っていることに感謝していました。
無数のヤグナ(儀式)を遂行して、方角を征服する強大な王たちは、広大な土地の所有者であるという傲慢さを内に秘めています。そのような強大な王でさえ、敵意に屈し、他の王と戦争を起こし、死に至ります。こうして、そのような王はシュリハリに到達できません。土地を求めて戦う者たちは、最終的にこの土地を離れ、他の次元へと旅立たなければなりません。これは周知の事実であるにもかかわらず、誰もが自分の土地を守るために奮闘しているのは皮肉なことです。
トリヴィックラマーヤ・ナマハ
第290話へ続く