シュリーマド・バーガヴァタム 第366話
更新日 : 2025.7.8
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム
ナーラーヤナーヤ・ナマハ
マハルシ・シュカは続けてこう言います。
「木に本来備わっている火が摩擦によって点火されるように、至高の知識を持つジュニャーニ(英知を備えた者)は深い真我の分析を通して、自らの内なる非我(アナートマ)の感情を捨てて、知性(ブッディ)の中に純粋意識として存在する主を悟ります。こうして彼らは個々の存在を捨て、主に溶け込むのです。」
スワミジの解説:まず第一に、非我の対象(アナートマ、真我ではないもの)は遠ざけるべきです。深い真我探求を通して、学識のある学者たちは、真我(アートマ)とは何か、そして非我(アナートマ)とは何かについて結論に達します。
「至高主が無数の生命体で満たされた宇宙を創造しようと決意された時、根本原質の三つの特質(トリグナ)から成る幻影の力(マーヤー)の助けによって、主は行為の特質(ラジャス、劇質)を喚起します。」
すべての生命体の肉体、誕生、そして運命を決定するのは、主の意図です。主は、その生において生命体が物質的な安楽と幸福を備えるべきかどうかを決定します。特定の人生における運命は、前世における果報的な行為の結果ですが、主の意図はそれに影響を与えます。その生において何を、どれだけ与えるべきかは、主が決定するのです。
主の幻影の力(マーヤー)は、三つの特質(トリグナ)を備えています。その中で、主は創造の初めに、肉体における行為の特質(ラジャス)を喚起します。「プラ」という言葉は、粗大な肉体を指します。言い換えれば、ナガラム、ナガラム・ナガラム・ナーラーヤナ・ナガラムです。この肉体と呼ばれる都市には、多くの扉があります。この都市はどのように築かれたのでしょうか。この都市が歩き、話すのはなぜでしょうか。この都市に座する主はどのように振る舞うのでしょうか。
「主が自ら創造したこの都市(肉体)で遊戯をしようと決めた時、主は善(サットヴァ)の質を活性化させます。」
主が自らを肉体に宿した存在と見なそうと決めた時、つまり人生の経験(遊戯)を経験するために肉体を維持しようと決めた時、主は善(サットヴァ)の特質を重視します。ラーマやクリシュナなどの化身は、肉体を持つ人間の姿で顕現した主の例です。すべての生命体に入るのは主です。
「主が眠ろうと決めた時、主は惰性/無知(タマス)の特質に影響を与えます。」
主は、あらゆる生命体の中に幻想のエネルギー(マーヤー・シャクティ)として宿っていることを思い出してください。主が内に留まり、眠ろうとすると、タマスと呼ばれる特質を刺激します。これらは、惰性、無知、鈍さ、怠惰といった特質です。これらの特質が重要視となると、人は徐々に頭が重く鈍くなるのを感じます。もはや考える気も失い、徐々に深い眠りに落ちていきます。人の眠りもまた、この神聖な主の遊びです。誰も自分の努力で眠ることはありません。生命体は、この眠りにおいても独立性を持っていません。
霊的な無知(アジュニャーナ)とは、「私、私のもの」という感情に満たされることを意味します。真我の知識を得ようと熱心に努力する人だけが、私が今説明しているこの主題を理解するでしょう。そうでない人は理解できないでしょう。
タマスの特質が増大すると、人は眠くなり、物忘れが激しくなります。そして、自分の存在さえも忘れてしまいます。
「原因である根本原質(プラクリティ)とプルシャ(真我)を通して、至高主は名前と形に満ちたこの全宇宙を創造しました」
スワミジの解説:私たちは、男と女の結合が子どもの誕生につながると信じています。しかし、宇宙はどのように創造されたのでしょうか?当時、男も女も存在しませんでした。至高主は、名前と形に満ちたこの全宇宙を創造しました。それは無数の生命体で満ちています。」
私たちの見解では、昆虫、虫、動物、鳥、人間など、いかなる種においても、雄と雌の結合のみがその種におけるさらなる創造につながるとされています。私たちはこれをプラクリティ(女)とプルシャ(男)の結合と考えます。しかし実際には、プラクリティとプルシャの結合という行為自体が主なのです!その結合から新たな創造を生み出すのは神なのです。」
母親は子どもを産むために激しい陣痛を経験します。もし神が存在しないなら、どうして母胎から骨や筋肉、血などで満ちた新たな創造物を産み出すことができたのでしょうか?出産の際には、母体と胎児はともに説明のつかない苦しみを味わいます。9ヶ月間、胎児は尿と便の中で泳ぎ、過度の無知や飢餓などに苦しめられます。胎児は母体を蹴り飛ばします。
ナーラーヤナーヤ・ナマハ
第367話へ続く