言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第367話

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ナーラーヤナーヤ・ナマハ

「原因である根本原質(プラクリティ)とプルシャ(真我)を通して、至高主は名前と姿に満ちたこの宇宙全体を創造しました。」

スワミジの解説:神の恩寵は、創造のもう一つの要素です。それぞれの種は、同じ種族の新しい種を生み出します。この創造は、男性と女性の結合によって起こります。これは創造の一種です。しかし同時に、宇宙には他の創造物も存在します。考えてみてください。海はどのようにして生まれたのでしょうか?山、海、土、木などの存在には男女の区別はありません。では、それらはどのようにして創造されたのでしょうか?どのようにして現れているのでしょうか?」

「至高主は、創造の避難所として時間を創造しました。時間は終わりのない流れであり、創造において終わりのない誕生をもたらします。人は他者を通して絶えず創造されます。時間が善なる特質に影響を与えるとき、それはあたかも時間を司る至高主自身が善なる特質に影響を与えているかのようです。

神々を深く愛する主シュリハリの栄光は無限です。神々は善と純質(サットヴァ)の特性に満ちているので、彼らを支えることが不可欠です。悪しき傾向、すなわち悪魔的な傾向は滅ぼされなければなりません。」

スワミジの解説:作物を守るために農薬を使う農家の例を考えてみましょう。害虫や昆虫を殺すことは罪ではないでしょうか?結局のところ、害虫にも命があるのではないでしょうか?はい、その通りです。しかし、もし害虫を駆除しなければ、人間のようなより大きな生命体は食糧不足で死んでしまうでしょう。このことから、ある生物種を救うために、別の生物種が犠牲になることもあるという結論に至ります。同様に、悪魔は神々を守るために滅ぼされる必要があります。もし殺さなければ、悪魔はすべてを、特に善を飲み込んでしまいます。善は創造において終わりを迎えます。だからこそ、悪魔を殺すことは正当化されるのです。

「行為/激質と無知(ラジャス、タマス)の性質が増大し、善の性質を抑制してしまうとき、計り知れない働きをする主は、時と状況に応じて、タマスとラジャスに左右されるこれらの悪魔たちを滅ぼします。」

主は悪魔たちの残虐行為に非常に長い期間耐えます。ヒラニャカシプがプラフラーダを拷問していたとき、なぜ主は沈黙していたのでしょうか?なぜ何年も待たなければならなかったのでしょうか?もっと早く現れ、父の手によって不必要に苦しんでいた信奉者を守ることはできなかったのでしょうか?主は、行動を起こす前に、信奉者のラジャス(激質)とタマス(暗質)が完全に枯渇させなければならないことを覚えておいてください。もし主が時期尚早に行動すれば、信奉者の善なる性質は完全に開花しません。したがって、主の使命は失敗に終わります。

主は時が来れば行動すると言われていますが、努力を止めてただ座って神の介入を待つのは誤りです。人は努力しなければなりません。ただ座ってコーヒーを祈っても、マグカップにコーヒーは入りません。台所に行ってコーヒーを淹れなければなりません。努力すれば、主はあなたの努力が実を結ぶように祝福してくださいます。あなたはコーヒーを淹れ、楽しむことができるでしょう。労働の果実は常に甘美です。人は肉体労働によって庭に咲いた花に深い喜びを感じます。そして、その喜びの中で、その花を主に捧げます。たとえ花を買って主に捧げようと決めたとしても、お金を稼ぐ努力をしなければなりません。空腹の人には、一口一口の食べ物が神々しく感じられます。逆に、空腹でない人には、どんなに美味しい料理でも口に合いません。

真の喜びは、主を待ち望むことにあるようです。主の到来を辛抱強く待つことによってのみ、真の報いが得られます。プラフラーダ、ドゥルヴァ、サクバイ、ルクミニーといった信奉者たちは、主の到来を辛抱強く待ちました。信奉者が待てば待つほど、心は清らかになります!

プラデュムナーヤ・ナマハ

第368話へ続く

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