【スワミジの教え】グル・プールニマの祝福
更新日 : 2025.7.10
カテゴリー : 正しい生き方
ジェイ・グル・ダッタ
シュリーマット・パラブラフマ・グルム・スマラーミ
シュリーマット・パラブラフマ・グルム・バジャーミ
シュリーマット・パラブラフマ・グルム・ヴァダーミ
シュリーマット・パラブラフマ・グルム・ナマーミ
至高の存在であるグルを思い出し礼拝します。
グルの栄光を歌い、グルにお辞儀をします。
グルは至高の至福の化身です。
グルは至高の智慧の化身です。
グルはすべての知性と思いの目撃者です。
グルとは知性での理解を超えており、トリグナ(純質、激質、暗質)の影響を受けません。
なぜなら、グルは至高の至福の姿であり、グルに庇護を求める人に至福を与えるからです。
グルは真我の認識を授けます。
世俗の存在のヒーラーであり、サムサーラ(輪廻転生)の病を取り除きます。
人のゴールは願望をかなえることです。ですが、一つの欲望が叶った瞬間に、別の欲望が出てきます。
この欲望の連鎖に終わりはありません。
すべての欲を書いて、注意して調べると、三つの基本的な欲望にすべて適合してきます。
1、いつでもどこでも、自分が誰よりも優れているべきであるということ
2、自分がすべてを知っているべきであるということ
3、自分がいつも幸せであるべきであること
過去、人はこれらの欲望をかなえようとしてきました。今日でも同じです。
ですから、これらは基礎的な欲望を言われるのです。
数えきれない転生の後でも、これらの欲望はかないません。
これを叶えるために何をすべきなのでしょうか?
グルに庇護を求める必要があります。
そのときだけ、これらの望みは叶うのです。
ある人は言います。「自分はグルは必要ではない。良い教育を受けるのに一生懸命努力した。
学者になった。科学者になった。詩人になった。アーティストになった。
聖典を学んだ。
これはすべて世俗の知識です。生計を立てるためだけに役立つものでしかありません。
それは視野と心を非常に遠くまで広げてくれて、外的な世界だけの情報を明らかにしてくれます。
ですが、内なる真我については明らかにしてはくれません。
神ではなく、それらに信念を置くことで、自分自身から遠のいてしまい、落ち着かなくなります。
しかし、神について教える知識は、霊的知識であり、それとは異なるものです。
視野と心を内に向けさせて、あなたを真我に向かせます。
自分自身を学ぶことに役立ちます。これが霊的知識の恩恵です。
今日では多くの人がたくさんの学位やPhDを取ります。それには感心します。
しかし、彼らは神を明らかにする霊的知識を探究しません。それには信がないのです。
そのため、世俗での素晴らしい成功や学者としての偉業にもかかわらず、
彼らの苦しみは終わりません。内側の不安は無くなりません。
困難や苦しみを取り除くためには霊的知識を得る必要があります。
グルだけが霊的知識を与えることができます。
そのため、誰もがグルに庇護を求めて、高められるべきです。
ある時、信奉者のプラフラーダが父親に言いました。
「父上、私は経済学を学びました。法律を学びました。すべての知識の部門を学びました。」
そして最後には「すべての知識の奥義を学びました。」と言いました。
それは私たちはすべての知識の真髄と奥義を学ぶべきであることを意味します。
それは霊的知識です。
真のグルだけがその知識を私たちに教えることができます。
ですから、誰もがその重要性を認識して、グルに庇護を求めて祝福されるべきなのです。
すべての種類の知識を学びなさい。しかしそれと並行して、神を明らかにする霊的真実も学びなさい。
至高の知識なしに、それ以外のすべての学びはあなたを幻想に陥らせます。
真のグルのみが、そのような危険から守ってくれます。
だからこそ、悟ったグルは社会で本当に不可欠なのです。
ある人たちは「たくさんジャパ(マントラの詠唱)や禁欲をやってきました
慈善、儀式をしました、巡礼に行ってきました。人類に奉仕しました。
人を正しい道に導いています」と言います。
そのような人でも、グルなくして、自分自身を救うことはできません。
その人も悟ったグルに全託しなければなりません。
グルの恩寵によってのみ、人が至高の霊的知識を受け取れるのです。
それとともに生き、解放されなければなりません。
グルに庇護を持つと、喜びと悲しみ、暑さ、寒さという二元性から生じる苦しみは無くなるのです。
二元性は執着と妄想を呼び起こします。
どのように起きるのでしょう?例えを見てみましょう。
ある男が持っているものすべてを犠牲にして、大きな寺院を建てました。
しかし、男は寺院を見つめたままでした。
他の男が大金を寄付して、自分の慈善を何度も宣伝しました。
これらは惑わされた執着と言われます。
他の人は貪欲な執着を持っていました。
「見るものすべては私のものであるべきだ」と考えていました。
「どんな状況でも、誰にも何もあげたくない。
この種の貪欲も妄想と呼ばれます。
この妄想は苦しみです。二元性のために起こります。
これは世俗の存在の海です。
悟ったグルに庇護を求めることで、その二元性は壊されます。悲しみは無くなります。
妄想は無くなります。世俗の存在の海を超えます。
無知は完全に破壊されます。
生まれ変わりに責任を持つカルマは無くなります。
至高の知識と無執着が生まれます。
だからこそ、誰もが良い弟子になるべきなのです。
グルの姿を思い瞑想しなさい。
そうすることはハリとシヴァにも瞑想することになります。
グルの名前の栄光を歌いなさい。
それはハリとシヴァの栄光を歌うことになります。
人間が解放されるのは至高の知識によってのみです。
英知は本を読んだり、講話を聴いたり知的な努力で来るものではありません。
グルの恩寵のみで達成できるものです。
グル・ギーターは「グは暗闇、ルは暗闇を払うもの」と言います。
それは暗闇を消し去るものがグルであるという意味なのです。
グルはつねに、弟子の罪を取り除くことを考えています。
グルがそうするとき、罪は破壊されて、美徳がある人になります。
グルが弟子をつねに褒めていても、弟子は徳高い人にはなりません。
そのため、グルに全託した弟子はいつもグルを賞賛するべきであり、
グルから誉められることを求めるべきではありません。
言葉を変えれば、「私は素晴らしい奉仕をした。寄付をした。礼拝をした。
知識で奉仕した。音楽で奉仕した。たくさんの方法で奉仕した。
だからグルは私をいつも誉めるべきだ。と考えてはいけません。
このように考えれば、弟子の霊的な徳は減ってしまいます。
これがグル・プールニマのメッセージです。
皆がこの教えをハートに持ち、それとともに生き、祝福されるように。
ヴィヤーサ・バガヴァーンとアーディ・グル・ダッタ・スワミの恩寵が注がれますうように。