言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第437話

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ハライェー・ナマハ

主ダッタートレーヤ神は続けてこう言いました。
「私は、自分に降り注ぐどんな運命にも満足する。」

プラフラーダを通して、主ダッタートレーヤは私たちのような普通の人にこの知識を与えてくれています。主がなぜこのような戒律を守る必要があるのでしょうか?主はヨーギーであり、ボーギーであり、ティヤーギであり、ヴァイラーギであり、ウンマッタであり、ピシャーチャなのです。

「私はある時は、むき出しの床や落ち葉、埃や汚れの上で眠る。またある時は、人の要請に応じて、絹のベッドカバーをかけた宮殿のような豪華なベッドで眠る。」

これらすべてがアヴァドゥータの特徴です。

「ある時は清らかな水で沐浴し、白檀の糊で体を飾る。美しい絹の衣をまとい、戦車に乗ったり、象や馬に跨って旅をする。またある時は、幽霊のように裸で歩き回る。

人によって態度は異なるように、私を侮辱する者を呪わない。私を称賛する者を称賛しない。両者を同等とみなす。雨のシャワーも石のシャワーも同じだと考えます。私に花を降らせる者を思い出すことも、敬うことも、称賛することもしない。同様に、石の雨を降らせる者を呪うこともない。花を降らせようと石を降らせようと、私はただ彼らが究極の主と融合(カルヤナ)することを祈る。彼らの解放を祈る。」

霊的修行者は、違い(ベーダ)の感覚を精神的に心の変化(マノー・ヴリッティ)に融合させるべきである。心の変化は、多多種多様な創造の幻想体験を引き起こす心へと融合させるべきである。心はエゴイズム(アハンカーラ)に溶け込あせるべきである。アハンカーラは幻想のエネルギー(マーヤー・シャクティ)に溶け込ませるべきである。

その後、内省を通して絶対真理を探求すべきである。幻想のエネルギー(マーヤー・シャクティ)を精神的に真我の悟りに溶け込ませるべきである。この真我の悟りによって、真我への絶対的な献身(アートマ・ニシュタ)を育み、「私は行為者である」という感情によって生じるカルマの束縛から解放され、外向的な拡大の道(プラヴルッティ・マールガ)を捨て、回帰の道(ニヴルッティ・マールガ)を歩むべきである。

プラフラーダよ、あなたが至高主に完全に服従したので、私はこの最も秘密の物語を明かした。」

主ダッタがプラフラーダにこの知識を授け、そして彼を通して私たちに授けてくれたことは、私たちにとって幸運なことです。プラフラーダは真のバクタ(信奉者)であり、真我の探求を切望していました。自分が悪魔の王であることを気に留めることなく、主シュリハリにのみ集中し、主と一つになろうと決意しました。

「あなたは純粋な人であるから、私の物語をあなたに明かした。それは実際には完全に秘密にされたものである。私のこの物語は、ヨーガやシャーストラの教えを超えている。あらゆる規則や規制を超えている。これらの戒律に従うことで、いかなる生類にも害を及ぼすことはできない。」

このように、主ダッタはアジャガラ・ヴラタの戒律を示しながら、プラフラーダに直接教えを授けました。パラマハンサの集団に属する偉大な聖者たちが守ってきた究極の戒律を学んだことに深く喜びを感じたプラフラーダは、聖者に敬意を表し、礼拝しました。彼は別れを告げ、そして家に戻りました」とマハリシ・ナーラダは言いました。

これで第七巻、第13章は終わります。

第七巻 第14章

この章では、家長の義務(グリハスタ・ダルマ)が説明されています。

ダルマラージャ皇帝は尋ねました。
「おお、デーヴァリシ・ナーラダよ!私のように家長の生き方をとっている者が、容易に真我を悟ることができる最も簡単な方法を教えてください。」

マハルシ・ナーラダはこう答えました。

“Gṛheṣv avasthito rājan kriyāḥ kurvan yathocitāḥ
Vāsudevārpaṇaṁ sākṣād upāsīta mahā-munīn

おお王よ、家長(グリハスタ)は、人生の段階に応じた行いを、すべてを主ヴァースデーヴァに捧げているという信念をもって行うべきです。偉大な聖者に仕えるべきです。義務を全うすると同時に、自由になる時間のすべてを無執着を達成した敬虔な人々と過ごすべきです。そして、深いバクティをもって、主の様々な化身たちの超越的な遊戯と呼ばれる甘露を繰り返し聴くべきです。

肉体、配偶者、子ども、その他の物質的な所有物は、いつかその人から失われます。それでもなお、人は「私」という感覚と、それらすべてへの執着を持ち続けるのです!眠りから覚めると、人は夢の中で見た物から離れ、偉大な聖人たちの影響を受けて、徐々にこれらのすべての物質的な所有物から離れていくべきです。

賢明で知的な人は、自分の肉体と家を、本当に必要な範囲でのみ楽しむべきです。たとえ無執着の状態にあるとしても、社会の中で他の人々と交わる際には、外見上は家庭や家族の問題に非常に執着しているように振る舞うべきです。たとえ完全に無執着であるとしても、親戚、両親、兄弟、子ども、友人の提案には耳を傾けるべきです。

富には三種類あります。時宜を得た雨によって得られる作物は神の富です。鉱山で得られる金やその他の金属、そして予期せず得られる富は、他の二種類の富です。これら三種類の富はすべて、至高主シュリハリによって直接創造されたものであることを認識しなさい。

賢明な人はこの事実を認識して、これら三種類の富を享受しながら、上記で説明した方法に従って、義務を果たすべきです。

人間は、腹を満たすのに必要なだけの富だけを享受する権利を持っています。

ハライェー・ナマハ

第438話へ続く

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