シュリーマド・バーガヴァタム 第463話(ハラハラの毒)
更新日 : 2025.9.25
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム
ヴァーマナーヤ・ナマハ
すべての生類の幸福を常に願うルドラ神は、最愛の妻パールヴァティーを呼んで言いましした。
「おお、バヴァーニよ!乳海が撹拌されている時に、恐ろしいカーラクータの毒が現れた。これは幻ではないのか?あらゆる生類に計り知れない苦しみをもたらした。彼らは私に命を救ってほしいと懇願している。私は彼らの主である以上、彼らを救うのは私の義務だ。まもなくすべての生類を呑み込もうとするこの毒によって、すべての世界が焼かれつつある。だからこそ、私は介入して彼らを救う必要があるのだ。」
小さな核爆弾でさえ、甚大な被害をもたらす可能性があります。カーラクータの毒は、核爆弾よりもはるかに強力で危険でした。
「指導者の務めは、無力な者の苦しみを和らげることだ。いかなる角度から見ても、彼らすべてを守ることこそが私の務めだ!私の幻のエネルギーに感化される生類は、互いに敵意と憎しみを抱く。高潔な人々だけが、寿命がはかなく過ぎ去ることを知っている。」
プラーナ(生命エネルギー)という鳥は、いつかは必ずこの体を捨てて、飛び立っていきます。たとえ黄金の檻に閉じ込められても、いつかは飛び立ちます。誰がその逃亡を防げるというのでしょうか?感覚器官で構成されたこの粗野な体を守るために、あなたは様々な手段を講じます。寿命を延ばすために、手術や手足の交換などします。それでもなお、プラーナが逃げていくのを防げるでしょうか?たとえすべての扉を閉ざしたとしても、いつかは逃げていきます。何百万ルピーもの費用を費やし、最善の治療を施したとしても、プラーナはいつかは去っていきます。医者でさえ、プラーナを捕らえて縛ることはできません。医者が不死を保証できるでのしょうか?人工呼吸器を通して人工的にしばらくは人命を維持することはできますが、プラーナは失われてしまうでしょう。
「だからこそ、高潔な人々は自らの命を犠牲にしても、他者の命を救おうと努める。彼らは他者の幸福のためなら、限りない苦しみにも耐え忍ぶ覚悟である。」
Puṁsaḥ kṛpayato bhadre sarvātmā prīyate hariḥ
Prīte harau bhagavati prīye ’haṁ sacarācaraḥ
Tasmād idaṁ garaṁ bhuñje prajānāṁ svastir astu me
おお、吉祥の方よ!至高主シュリハリは、他の生命に慈悲の心を示す人をきっと喜ばれるでしょう。他の生類に慈悲の心を持つ人を、彼は永遠に守護するでしょう。」
「ああ!この存在は、私が創造した生類に対して、実に慈悲深い!」と考えて、神は自らその人を守ります。彼らは神にとって非常に大切な存在です。そのような人々が神を呼ぶと、神は即座に応えます。神は夢を通してではなく、直接語りかけます。それだけではありません!神はその人自身になります(非二元的な関係)。あらゆる生類への慈悲の心を育むことは、なんと素晴らしいことでしょう!神は永遠にその人の傍らに住まわれます!神はその人を完全に包み込みます
「主が喜ばれるなら、この創造物におけるすべての動くもの、動かないものと共に、私も喜ぶ。だから愛しい人よ、私はこの毒を飲もう。
おお、バヴァーニ!私はすべての世界を燃やしているこの毒を隠すことはできない。この毒が地球に留まれば、地球は焼けてしまう。毒が海に溜まれば、海は干上がってしまう。私の創造物の中で、私だけがこの毒を飲む必要がある。私の行いがすべての生類の幸福をもたらすように!」
こうして、万物を守るルドラ神は、妻のバヴァーニの許しを得たのです。通常であれば、妻や善意の持ち主は、世界の安寧につながるという理由だけで、人が命を危険にさらすことを許すでしょうか?彼らは激しく反対するか、その人に決断を撤回するよう説得するでしょう。夫のこの説得力のあるメッセージを聞いた母パールヴァティーは、夫の超常的な力と能力を知り尽くしていました。
シヴァは即座に、十方界に広がるハラハラの毒を掌に取り、飲み干しました!
ケーシャヴァーヤ・ナマハ
第464話へ続く