シュリーマド・バーガヴァタム 第90話
更新日 : 2019.2.25
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム
それでは、ヴィラート・プルシャ・ナーラーヤナが、一つの創造のエネルギーを、三つのエネルギーに分割する方法を説明します。
聖仙シュカは続けました。
「ヴィラート・プルシャ(普遍的な姿)の身体内部の間隙から発散した行為エネルギーの多種の形(クリヤ・シャクティ)から、感覚エネルギー(インドリヤ・シャクティ)、精神的エネルギー、身体的エネルギーの三つに分割され、そして、それらのエネルギーから全行為の姿である生命力(プラーナ・デーヴァタ)が生じました。
王の命令を家来が遵守するように、生命力(プラーナ)の命令に従って感覚が行動を起こし始めました。生命力(プラーナ)がその行動を停止するとき、感覚もその活動を完全に停止させます。
普遍的な姿の腹部にある生命力の運動のために、空腹と渇きが生まれます。ヴィラート・プルシャが食べたり飲んだりすることを欲すると、「彼」は口を開きました。これによって、彼のあごが形成されました。そこから舌が生じました。この後、六つの味覚が生じました。舌は六つの味覚を楽しみます。
ヴィラート・プルシャが話すことを欲した時、話すための器官と主宰神である火の神が「彼」の顔から生まれました。その支配下にある話す力も生まれました。これらが形成された後、ヴィラート・プルシャは長期間にわたって水中にとどまり続けました。
「彼」の中での勢いのある空気の激しい動きために、鼻孔が生まれました。「彼」が匂いを欲した時、鼻と香りを運ぶ主宰神である風が生まれました。
初期には、「彼」の身体は光と視力が欠けていました。そのうち、「彼」は自身を見ることを欲しました。この要求のために、目とその主宰神である太陽が生じました。これによって「彼」は「自分自身」を見ることができました。
ヴィラート・プルシャは、ヴェーダに記載されている「彼」についての説明を聴くことを欲しました。この要求により、聴くための両耳と主宰神ヴァグ・デーヴァタが現れました。
彼は、その軽さ、重さ、繊細さ、熱さ、冷たさなどの物理的特性を確認したいと欲しました。この要求により、肌が作られました。その中には、皮膚の毛穴、樹木のように生えた髪の毛、皮膚の内側と外側の両方の間隙、そして触感覚が生じました。これにともない「彼」は触感覚を発達させました。
彼が様々な行動に関与したいという欲求を強めたとき、「彼」の手が、力強さ、その主宰神であるインドラ、そして行動と共に生じました。
ヴィラート・プルシャは歩くことを欲しました。即座に、二本の脚が現れました。脚の主宰神ヴィシュヌも生じました。
人間は二本の脚で動き回り、手とエネルギーを使って、犠牲の儀式(ヤグニャ)を執り行うのに必要な材料を集めます。
官能的な快楽にふけること、子を作ること、そして最高の贅沢や他の快適さを享受することを目的として、生殖器や生殖器官が生じました。両者は官能的な欲求の加護を受けます。
ヴィラート・プルシャが摂取した食物から老廃物を取り除きたいと欲したとき、排泄器官と肛門、その主宰神であるミトラが形成されました。排泄作用も生まれました。排泄物と排泄器官は主宰神ミトラの加護を受けます。
ヴィラート・プルシャが身体内の各部へ順に移動することを決心したとき、アパーナマールガ(下方に動く空気)を通して身体から出ると、「彼」のへそが形成されました。これを通して、アパーナは生まれました。死は、アパーナの主宰神です。死はアパーナとその主宰神の加護を受けます。
食べたり飲んだりすることを欲したプルシャのために、腹、腸およびナーディが形成されました。それらにとって川と海が主宰神です。適度に食べることと健康を維持することは、その主宰神にかかっています。
幻力(マーヤ)について全体像を知ることを欲したプルシャのために、心臓とマインドと呼ばれるインドリヤ(感覚)、そして主宰神の月が形成されました。これに伴い、プルシャは物体についての完全な知識とそれらへの欲求を獲得しました。
それから、ヴィラート・プルシャの身体に、外皮、そのすぐ下の内皮、筋肉、血液、脂肪、骨、そして骨髄が形成されました。身体のこれら七つの主要な要素は、土、水、そして火から成り立っています。空、風、水の三つの要素を媒体として、生命の力(プラーナ)が作り出されます。
感覚は音や他の物体を捉えます。対象物すべては、自我(アハンカーラ)から生まれました。マインドは、怒り、欲望、嫉妬などの心の動き(動揺)すべての根源です。知性(ブッディ)は対象に関する経験的知識を生み出します。
皇帝よ!私はあなたに土を含む八つの要素に包括される主の粗雑的姿を説明しました。
Ataḥ paraṁ sūkṣmatamam avyaktaṁ nirviśeṣaṇam
Anādi-madhya-nidhanaṁ nityaṁ vāṅ-manasaḥ param
この粗雑体の原因である微細体は、感覚器官による把握の域を超えています。それはいかなる既存の物体とも比較できません。それには初期段階も、中間段階も、最終段階もありません。それは時間の制約を超えています。それは永遠です。それは言葉やマインドによる理解が不可能です。これは主の微細的姿です。
主の粗雑的姿と微細的姿の両方をあなたに説明しました。どちらも主の幻想的な創造物です。それゆえ、知識のある人は、このどちらも至高の主の真の本質として受け入れていません。
至高の主には全く動きがありません。しかし、「彼」が、創造主の姿をとると、あたかも行動に関わっているように見えます。至高の主の姿であるシュリ・ハリは、音と音を通して認識できる対象を作り出しています」
オーム ナーラーヤナーヤ ナマハー!