言葉と教え

シュリーマド・バーガヴァタム 第105話

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ナーラシンハーヤ・ナマハ

聖仙マイトレーヤは説明を続けました。

「ヴィシュヴァルーパ(普遍的な姿)の中にチット(意識)が現れました。マハトの主であり全エネルギーであるブラフマーは、すぐに彼の一部分「チット・シャクティ(意識の力)」と一緒にそれに入りました。このチット・シャクティ(意識の力)の恩寵により、人は英知(ヴィジュニャーナ)を獲得することができます。

ヴィシュヴァルーパ(普遍的な姿)の頭部から、天が現れました。「彼」のへそから空が現れ、そして「彼」の足から地が現れました。それらの中で、本性の三属性(トリグナ)間の変容のために主宰神たちが現れました。

それらの中で、善と純粋の特質(サットヴァ・グナ)の優位性のために、デーヴァタ(神々)は天に達しました。行動や情熱(ラジョ・グナ)の特質の割合の高い人間は、牛や家畜とともに、大地を獲得しました。主ルドラの諸相であるブータ・ガナは、専ら無知と惰性の特質によって支配されています。普遍的な主のへそから現れた空は、天と地の間にあります。ブータ・ガナは空に留まっています。

ヴィドゥラよ!ヴェーダと共に、ブラフミン(聖職者の一族)が普遍的な主の顔から現れました。彼らが「彼」の顔から現れたように、ブラフミンは社会の階層の一番上に分類され、他の階級のためのグル(教師)とみなされます。

クシャトリヤ(戦士の一族)は、普遍的な姿の手から現れました。彼らは諸国の王となり存在の次元を公正に支配することを義務付けられたました。彼らは泥棒や他の脅威から民を守ります。

普遍的な主の太ももから、ヴァイシャ(商人・農民の一族)が生まれました。社会の存続のためにこの職業は最も重要です。これらの人々は農業、商売、牧畜などの仕事を引き受け、そして市民に雇用の機会を提供します。

普遍的な主の足からは、他の全てのダルマ(正義)の結実へと導く、奉仕(セヴァ)のダルマが生まれました。このダルマから、シュードラ(四番目のカースト)が生まれました。このセヴァ・ダルマ(献身的な奉仕を提供すること)は、普遍的な主に究極的に近しきものです」

後々、これらについてより詳細に説明するつもりです。特定の階級が、特定の身体の部位から生まれたのはなぜでしょうか?これらの社会階級はそれらの時代に適していました。状況に応じて創造が起こります。

Ete varṇāḥ sva-dharmeṇa yajanti sva-guruṁ harim
Śraddhaya-ātma-viśuddhy-arthaṁ yaj-jātāḥ saha vṛttibhiḥ

「このようにして普遍的な主から生まれた四つのカーストすべての人々はあらゆる面で平等です。主シュリ・ハリは、四つのカーストに属するすべての人々にとってのグル(教師)です。四つのカーストの人々は、自らが属するカーストと人生の段階によって定められた義務を勤勉に履行することを通して、純粋さを獲得し、主シュリ・ハリを崇拝し続けます。

至高の主は、時間、生物としての運命、その生来のエネルギーと共に、ヴィシュヴァルーパ(普遍的な姿)として現れるために超越的な力を用いています。それそのものを完全に記述することは誰にも不可能なことです。

それでも、私はグル(師)から学んだことに従って、そして私の限界を超えずに、私の能力の及ぶ限りで、主シュリ・ハリの栄光について説明しましょう。そうすることによって、不適切な使い方のために不純になる私の口述は、純粋なものへと変わるでしょう。

Ekānta-lābhaṁ vacaso nu puṁsāṁ suśloka-mauler guṇa-vādam āhuḥ
śruteś ca vidvadbhir upākṛtāyāṁ kathā-sudhāyām upasamprayogam

至高の主は最も純粋な名声のある人々にとっては王冠の宝石です。彼の活動を賛美することは、人々の会話に吉兆をもたらします。至高の聖人やパラマハンサによって語られている至高の主の栄光を傾聴することは、耳に幸福をもたらします。これは疑いようのない真実です。これがマハートマ(偉大なる魂)の云うことです。

原初の詩人である主ブラフマーは、千年間にわたる厳しい苦行によって熟達した知性を得ました。しかし、この熟達した知性を手に入れた後でさえも、自己の姿である至高の主の栄光を完全に理解することはできませんでした。

超越した力が至高の主自身にも幻想を起こしていると言えます。これは、至高の主シュリ・ハリ自身が彼の幻力の動きを測り知ることができないからです。これ以上他に何を言う必要がありましょう?

口述では至高の主を完璧に説明するには至りません。マインドは主の無限の能力の理解には至りません。アハンカーラ(自意識)と他のデーヴァタ(神々)も至高の主の偉大さを理解するには至りません。そのような主に私は奉仕を捧げます」

この祈りによって、第三編第六章は終わりを迎えます。この章を祈りで締めくくるには理由があります。この章で語られた主題は最も秘められたものです。理解しやすいかのように思われるかもしれませんが、実際にはそうではありません。それゆえ、この祈りを通して、私たちが主題を把握し、自己を認識によって祝福されることを可能にするであろう必要な信愛(バクティ)を私たちに与えてくださるように主に祈ります。こうした理由から、この章はこの祈りで締めくくられました。

第三編第七章

元来、特質と行動を持たない主からその二つが出現したことに対するヴィドゥラの質問、それに対する聖仙マイトレーヤの返答、そして、この主題に関するヴィドゥラのさらなる質問についてこの章でお話します。

普遍の主に関する説明を聴いた後、ヴィドゥラはさらに聖仙マイトレーヤに次のように質問しました。

「至高の主は純粋な意識です。彼の内部にはいかなる変化も見られません。彼には特質がありません。彼の内部では、行動や特質といったものへの関与は、わずかでも不可能です。では、この至高の主はどのようにして特質や行動に関わったのでしょうか。いかにして起こったのでしょうか?このことの詳細の説明をお願いします」

ナーラシンハーヤ・ナマハ

続く

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