余命二日からの回復
更新日 : 2019.7.20
カテゴリー : 体験談
ラクシュミーナーラーヤナ(アメリカ・インディアナ州ニューバーグ)
私たち家族は幸せな家族です。友人たちの多くも同じように感じています。とりわけ友人たちは私たち家族はシュリ・スワミジの恩寵を受けていると言います。私たちはシュリ・スワミジの恩寵を受けて非常に幸運です。非常に平安な人生を送ってきました。ですがサンサーラ(人生)の海はいつも平安というわけではありません。私たちは時に荒い潮を通り抜けて航海しなければなりません。シュリ・スワミジはこの時期を航海することを助けます。シュリ・スワミジが帰依者たちの幸福にも非常に配慮するためです。
妻のスワルナ・ラタは1998年1月から週1回の頻度で病気にかかっていました。1998年2月の中旬までには「聴神経腫」と呼ばれる脳腫瘍と診断されました。何年もの間あった平安は急に消えてしまい、すぐに心配へと引き継がれました。親戚すべてや友人たちも非常に心配してくれました。病院や外科医についてもずいぶん質問しました。そしてナッシュビルのヴァンダービルト大学医療センターに決めました。手術の日程は1998年3月23日に決まりました。娘のアシュウィーナはそのときマイソールのアシュラムにいて、一部始終を伝えました。妻は私にシュリ・スワミジに話してほしがっていました。私は全然気乗りがしていませんでした。娘にただ、シュリ・スワミジに伝えてもらうように頼みました。手術が行われました。私たちにとっては長く過酷な一日でした。医師たちはラタのために14時間も働いていました。しかし腫瘍は完全には取りきれませんでした。医師たちは1週間後にまた手術を行うことを決めました。
ラタは最初の手術の後、素晴らしい回復を見せ、数日後には退院しました。私たちはホテルに滞在しました。ホテルに電話が来ました。その電話はシュリ・スワミジからのものでした。シュリ・スワミジは言いました。
「ラクシュミーナーラーヤナ、すべて見ていましたよ。私は手術室にいました。すべて順調にいっています。落ちついて恐れないようにならなければなりません」
シュリ・スワミジの素晴らしい帰依者で義理の母がシュリ・スワミジと話すのを希望しました。シュリ・スワミジは母に言いました。
「あなたにエネルギーを与えました。ラタをシュリ・スワミジのように扱いなさい」
私はシュリ・スワミジからの電話をまったく期待していませんでした。この電話自体が奇跡でした。私たちは最高に幸せでした。なぜ私はシュリ・スワミジからの電話を待っていなかったのでしょう?1996年にアシュラムでシュリ・スワミジと会ったことを説明したいと思います。
私たちは家族としてシュリ・スワミジと面会をしました。シュリ・スワミジは長い時間話しました。私たちはとても幸せでした。シュリ・スワミジは私たちに
「あなた方は長い間私の帰依者でした。シュリ・スワミジは今から皆さんから距離を置きます。ですが、それは単に肉体的距離です。私の霊的な存在はいつもあるでしょう」
と言いました。私たちはすぐに悲しくなりました。それからシュリ・スワミジは主シュリ・クリシュナが肉体を離れようとしていることをゴーピカたちに話したとき、ゴーピカたちがどう感じたのかという状況を非常に短く説明しました。シュリ・クリシュナとゴーピカたちの話をそのように話し、その大いなる慈悲で私たちは慰められました。この事がシュリ・スワミジからの電話が奇跡だと考えた理由です。シュリ・スワミジはすべては問題ないと言いました。
恐れないでいなさい。この言葉は私の心に突き刺さりました。なぜシュリ・スワミジは私に恐れないように言ったのでしょうか。2回目の手術は1998年4月1日に決まりました。手術が長引かないように期待しました。しかし今回は前回の手術より15時間も長くなりました。ラタは多くの合併症で非常に調子が悪く、てんかんを起こしていました。おそらくほとんど昏睡状態でした。妻を見る事は恐ろしいことでした。医師たちは脳の血圧を抑えるのに奮闘していました。1998年4月3日に緊急手術が行われました。
手術室から執刀医が出てきて非常に危機的な状態にあることを告げました。私は医師に娘のアシュウィーナにインドから戻ってくるように電話できるか尋ねました。医師は間に合わないだろう言われました。余命は2日だと言いました。この時夜7:30でした。娘のスニータにアシュウィーナにできるだけすぐアメリカに戻るように電話してもらいました。その夜は全く眠れませんでした。私はシュリ・スワミジに電話で言われたことをずっと思い出していました。今、シュリ・スワミジがなぜ私に恐れないようにとおっしゃったのかを理解しました。シュリ・スワミジはラタのことはすべて問題ないと言いました。医者は余命2日間を宣告しました。どうやったらシュリ・スワミジが間違うことなんてあるでしょう?私は医者の言葉とシュリ・スワミジの言葉の分析に一晩中を費やしました。このような事態が進むなかで、アシュウィーナはラーダクリシュナの助けを借りて、深刻な状況についてシュリ・スワミジに伝えました。
シュリ・スワミジは、母は良くなるはずだと言いましたが、母を看るためにインドを発つ許可を出しました。シュリ・スワミジはアシュウィーナに特別なティールタ(聖別された霊的な水)も渡してくれました。医師たちは合理的な限界内に血圧を抑えるように奮闘していました。私たちは自分たちの役目を果たそうと思いました。医師にシュリ・スワミジの「癒しと瞑想の音楽」をかけてもらうようにお願いして、許可をもらいました。そして血圧が低くなっていくのを目の当たりにしました。医者の努力とシュリ・スワミジの音楽が血圧の問題を解決する助けになりました。ラタは回復し始めました。外科医はその回復に驚いていました。それはすべてシュリ・スワミジの恩寵によるものだと私たちはわかっていました。
回復はとても遅く長い経過でした。シュリ・スワミジが1998年7月にラタに会いにニューバーグにやって来るというメッセージを秘書のプラサーディが伝えてくれました。シュリ・スワミジはスディール・グラムとミティリ・グラム博士宅に滞在するということでした。私たちはシュリ・スワミジの予定外のプライベートな訪問をしてくださることに非常に幸せでした。ラタはシュリ・スワミジが守ってくれると知っていました。しかしラタはなぜシュリ・スワミジが痛みと苦しみから助けてくれないのかずっと問いかけていました。彼女はこの事をシュリ・スワミジに尋ねるように私に頼みました。私は全ての事には何らかの理由があるに違いないと思っていました。この件をスワミジが解決してくださるように祈りました。シュリ・スワミジがいらっしゃると、何も聞くこともなしにこの問題について持ち出してくださいました。ラタは質問を持ち出すことなくその答えを得ました。シュリ・スワミジは全知です。シュリ・スワミジの予定外のプライベートでラタを訪問したことは、帰依者たちを非常に配慮していることを示しています。