ラリタ・サハスラナーマの紹介
更新日 : 2019.8.18
カテゴリー : ラリタ・サハスラナーマ
『ラリタ・サハスラナーマ』は、聖なる母の千の名前の比類ない詩文です。至高の母の真髄、完全な姿、聖なる遊戯(リーラ)、偉大さ、力(シャクティ)、マントラ、ヨーガのさまざまな手法と手順、崇敬的な愛の真髄、アドヴァイタ(非二元論)についての大切な事実、そしてその他のことを教える聖典(シャーストラ)です。
この詩文の著者だと主張できる人はいません。聖なる母自身が、ヴァグ・デーヴァタたちを通して、これを詠唱しました。ヴァグ・デーヴァタは話し言葉の守護神で、私たちに話す能力を吹き込み、授ける存在です。
話し言葉の神々(ヴァグ・デーヴァタ)は、サラスワティ・デーヴィ(知識の女神)の現われで、世俗的・霊的両方の全知識の守護神です。
この話し言葉の守護神たち(ヴァグ・デーヴァタ)は、彼女の千の聖なる名を含む賛歌の作詞を指示されました。ヴァグ・デーヴァタたちは何百万ものそのような作詞をしましたが、それら全ては拒絶されました。最後の手段として、ヴァグ・デーヴァタたちは、詩人の中の詩人、聖なる母に完璧な全託の感覚を持つ作詞家の主ガナパティに助けを求めました。聖なる母は神々の聖なる集会(デーヴァ・サバ)を招集し、この詩文を詠唱するように言いました。そのようにして、この聖なる詩文『ラリタ・サハスラナーマ』はこの聖なる集いにおいて初めて詠唱されました。
聖なる母の礼拝において、もっとも重要とみなされる三つの言葉があります。「シュリ・マータ」、「シュリ・チャクラ」、「シュリ・ヴィディヤ」です。この「シュリ・マータ」―「シュリ・チャクラ」―「シュリ・ヴィディヤ」の順序、あるいは逆の順序を維持するのが不可欠です。「シュリ・ヴィディヤ」の知識を通して、「シュリ・チャクラ」の媒体を使って、「シュリ・マータ(至高の聖なる母)のヴィジョン(ダルシャン)に到達します。
「シュリ・ヴィディヤSrividya」とは何でしょうか?至高の母(シュリーSri)についての知識(ヴィディヤVidiya)、この自然(プラクリティprakriti)の背後にある秘められた真髄(タットヴァtattva)、創造・維持・破壊の秘密が「シュリ・ヴィディヤ」です。それは私たちに神聖な光(チャイタニヤChaitanya)と真髄(タットヴァtattva)を教えます。それはタントラ的な礼拝ではなく、純粋な知識(シュッダ・ヴィディヤsuddha vidya)です。「シュリsri 」の語は男性でも女性でもありません。これは「ストリ(女性)・ヴィディヤstri vdiya」ではなく、「シュリ・ヴィディヤSrividya」です。
それは純粋に内的な礼拝であり、なんらかの外的物質を必要としません。そしてヨーガに比類するものです。チャイタニヤ(Chaitanya)は、至高の光、あるいは知識であり、すべての存在の中の本来的な秘められた輝きです。
この偉大な知識を理解するために二つの方法(クラマ)があります。
1.シュルシティ・クラマSristi Krama(創造sristiに基づいた方法)
2.サムハラ・クラマSamhara Krama(破壊layaに基づいた方法)
「シュリシティ・クラマ」とは何でしょうか?これは創造過程に秘められた秘密を深く掘り下げていくプロセスです。これはボトムアップのアプローチ(シュリ・チャクラの底から頂上へと動いていく)で、存在から非存在への動きです。例えば、この広大な創造世界はどのようにして存在するに至ったのでしょうか?この創造における最初の産みの親は誰なのでしょう?この疑問は子どもたちを含む全ての心の中に存在するものです。これはすべての心の内の絶え間ない問い、あるいは燃えるような願望(タパトラヤtapatraya)になるべきです。バジャン賛歌の「トラルプラーグラ・ヴァーセ」(CD『Tripra』に収録)はこれを要約したものです。
もう一方はトップダウンのアプローチで、それが「サムハラ・クラマ」です。「サムハラSamhara」の語は吸収、溶解(結合)であり、破壊と混同されるべきではありません。私たちは「死んだ後どうなるのか」と問います。死んだ後、どのような世界(ローカ)へ行くのでしょうか?人は無限へと統合されるのでしょうか?そうではないなら、なぜでしょう?この肉体は真実のものでしょうか?どうやって絶対的な存在と一つになるのでしょう?このようなアプローチで、私たちはシュリ・チャクラの頂点(ビンドゥbindu)から、吸収・統合(プララヤpralaya)の底へと降りていきます。
「スシュプティSushupti」は、人間が名前、性別、姿、あるいは存在すら忘れている時の深い眠りのことです。この日々に割り当てられた眠りを通して神は人に現実についての深い真実に気づかせます。私たちは「眠っているのは誰か?」と考えべきです。手でしょうか?それとも足、お腹などでしょうか?死と眠りの背後には偉大なる秘密が隠されています。
ここで、『ラリタ・サハスラナーマ』はその真髄の全てを完全に教えるということに注目するのは大切なことです。『ラリタ・サハスラナーマ』は、この宇宙と創造に関する科学的秘密が埋め込まれた偉大なる科学なのです。
『ラリタ・サハスラナーマ』は九つのチャクラ(九重の覆い、九つのアヴァラナavarana)に分割されています。最初の百の名は、聖なる母の(粗大な、微細な、至高の)姿を描いています。そして残りの九百の名で礼拝が彼女に捧げられます。これらの九つのチャクラは、私たちの身体における九つのアヴァラナ(覆い)です。
「シュリ・マータSrimata」から「ビサタントゥ・タニーヤシBisatantu Taneeyasi」の最初の111の名は、ムーラ・グランタ(土台、主題の基礎)です。残りの889の名はそれについての解説です。
千の名の真髄への理解に取り掛かる前に、このサハスラナーマの起源となる背景を理解することが重要です。なぜ聖なる母はヴァグ・デーヴァタを通してサハスラナーマを詠唱させたのでしょうか?
かつて、シヴァの義理の父親であるダクシャが、とても壮大なヤグニャを開催し、シヴァを除く全ての神々が招待されました。夫であるシヴァの頼みを心に留めずに、妻のサティはヤグニャに参加しに行きました。サティは父親によって非常に自尊心を傷つけられ、夫に対する中傷に我慢できませんでした。そしてその場所で彼女は自分自身をいけにえとして捧げてしまいました。怒り狂った主シヴァとその従者たちがその場所に来て、ヤグニャを完全に破壊し、ダクシャの首をはねました。ダクシャは慈悲を請い、命乞いをしたので、ヤギの頭がつけられました。
サティとの別離はシヴァに大いなる悲しみをもたらし、彼は彼女の死せる体を肩に背負って世界をさまよい始めました。シヴァの悲痛を緩和するために、主ヴィシュヌは彼の武器である円盤を使ってサティの体を五十一の部分に切り分けました。その五十一の体の部分は地に落ちて、五十一の巡礼地になりました。これらの巡礼地は非常に霊的な中心地になり、「パンチャダシャ・シャクティ・ピータ」として知られています。
それでもシヴァは寂寥感を持ち、ヒマラヤへと出発しました。シヴァはそこで厳格な苦行をしました。ヒマラヤは純粋な真髄(シュッダ・タットヴァsuddha tattva)を表します。
「プラクリティPrakriti」は、「ヴィクラティvikrati(変化)」がありません。これは自身がデザインした神の創造物をいかなる変化もなく観察していることを意味します。シヴァはプラクリティの本来の姿(変化のない姿)を表しています。彼の装い、乗り物、住処、宝石(アバラナabharana)は、すべて、本来の「あるがまま」を表します。彼は腰に虎の皮を巻き、蛇を装飾品として首にかけ、牛の乗り物に乗り、体に灰を塗っています。
変化のあるプラクリティは、「ヴィクリティVikriti」になります。例えば、私たちは自分の望みしたがって神を飾り(自分の味覚に合わせて変更する)、そのようにして神を称賛します。
なぜシヴァはヒマラヤで瞑想したのでしょうか?彼は誰を瞑想しているのでしょう?彼は自分自身を瞑想していました。彼は私たち(彼の帰依者)のために瞑想をしていました。なぜでしょう?このように瞑想しなければ、彼は力を持たないのでしょうか?私たちはシヴァが生ける模範を通して道を示しているのだろうと理解するべきです。彼は私たちに瞑想することを教えているのです。
彼が深い瞑想の中で座している間、残忍な悪魔タラカの行いによって、天界と地上界の両方に激震が走っていました。タラカは、シヴァの息子のよってのみしか殺されないという恩寵を受けていました。タラカを倒すためには、シヴァの再婚が必須でした。神々はこのことを徹底的に議論し、結論に至り、シヴァを結婚させる計画を立てました。神々は山々の主であるヒマヴァンの娘パールヴァティに近づき、深い瞑想状態に入っている主のところに行き、彼に仕えるよう懇願しました。パールヴァティはシヴァのところへ行き、恭しく仕えました。そのようにして年月が過ぎました。しかしシヴァは彼女の存在にさえ気がつきませんでした。
ここに大いなる秘密があります。シャクティShakti(エネルギー)がなければ、シヴァには動きがなく、彫像のように止まっています。またシヴァがなければ、エネルギー(シャクティ)は無力で無用なものです。両者の結合だけが、行為(クリヤKriya)を創造します。その場合にだけ、目的が実現します。シヴァの意志がなければ、デーヴィは彼を勝ち取ることができません。
計画が不発だったことを悟り、インドラ(神々の主)は別の計画を考案しました。インドラは欲望の主であるマンマタに近づき、シヴァをパールヴァティに魅了するように命じました。
マンマタは自身の力によって過度にうぬぼれていました。エゴによってマンマタはシヴァに難なく打ち勝つことができると自信を持っていました。しかしヒマラヤに近づくにつれて、弱気が忍び寄ってきました。もし彼が自信過剰でなく、神を信頼していたら、恐れることなく前進することができたでしょう。しかし彼はうぬぼれていました。奇妙な恐怖がその心を掴みました。「どうやったら自分の弓で、偉大な主を射ることができるだろうか」と恐れました。彼の友人であるヴァサンタとマラヤマルタがこの作戦に加わりました。マンマタは木の後ろに隠れ、欲望(カーマkama)の矢でシヴァを射る機会をびくびくしながら待っていました。
マンマタはそれほど長く待つ必要がありませんでした。パールヴァティが日課としてシヴァに仕えるためにそこにやってきました。これを最大のチャンスと捉え、マンマタは弓をとり、矢を構えました。彼の矢は非常に強力でそれが放たれる前からさえ、シヴァに変化が起こっていました。これまで自分に仕えるその女性にまったく気がつかなかった彼が、今、彼女の顔を見ました。プラクリティ(母なる自然)を礼拝したいという欲望が彼の心に生じました。彼はその欲望の背景となっている原因を考え、弓を手に木陰に隠れているマンマタを見つけました。マンマタを見つけるやいなや、アグニ(炎)がシヴァの第三の目から放たれ、マンマタを灰にしてしまいました。
マンマタの破壊(マンマタ・ダハナムMammatha dahanam)は、全ての欲望、意図(サンカルパsankalpa)の破壊をその言葉において象徴します。すべての存在がもはや欲望、思考、意図がない状態に変わったことを意味します。
パールヴァティは何が起こっているかわかっていませんでした。シヴァは、ヒマラヤ自体が汚れてしまったので、デーヴィと彼の従者たちが気づく前にそこから姿を消すことを即座に決意しました。彼は従者たちを残して、完全に姿を消しました。
シヴァが創造物(ブラフマンダ)を越えて行ってしまったことは、マインドを越えることを意味します。「ヤトー・ヴァチョー・ニヴァルタンテーYato vacho nivartante」つまり、言葉も心も届くことができない場所です。神々はおおいに不安になりました。パールヴァティ・デーヴィはシヴァを夫として得るために厳格なタパス(苦行)を行いました。そしてもちろん、その苦行に喜んだシヴァが彼女の前に現われ、彼女の花婿になるという願いを叶えたことは、よく知られていることです。しかしこの過程には六万神年がかかりました。これは神々の時間による計算です。
この六万年の間に何が起こったかを見ていきましょう。シヴァの従者たち(シヴァ・ガナ)はシヴァが突然姿を消したので、大いに不安になりました。従者(ガナ)の一人であるチトラカルマは主の不在による新たな自由を使って、マンマタの灰が散らばっているところに来ました。彼はその灰を集めて人形を作り、以前に学んでいたサンジーヴァニ・マントラ(死者を蘇らせる術)を使って、人形に命を吹き込みました。これを見ていた主ブラフマーは彼を止めようとして、その行いは主シヴァによって承認されていないと警告しました。チトラカルマはその助言に耳を傾けませんでした。ブラフマーは「バンダ、バンダ、バンダBhanda,bhanda,bhanda」と嘆きました。それは「だめだ、だめだ、だめだ」や、「愚かな、愚かな、愚かな」という意味です。そのためこの存在物は「バンダ」という名になりました。その悪魔的な性質から、アスラ(悪魔)がその名前の後について、彼は「バンダースラBhandasura」となりました。
マンマタは死後の儀式が行われませんでした。そのため悪魔的な傾向が顕著になっていました。
全ての存在、蚊やバクテリアなどの目に見えない存在も、マインド(マナスmanas)や知性(ブッディbuddhi)を持っています。それは飢餓を感じたりし、思考さえ持っています。
マンマタの邪悪で悪魔的なエネルギーは、ヴィシュクラとヴィシャンガという二体の仲間、あるいは二体の悪魔を形成しました。ヴィシュクラは、世界の全てから中身(サーラsaara、真髄)を抜き去る者という意味です。ヴィシャンガは世界から仲間の集い(サンガsanga)をなくす者を意味します。これは、サットサンガsatsanga(良い仲間の集い)だけが消されたと理解すべきです。
これらの悪魔たちによってはなはだしく苦しめられた神々は、シヴァを思い出し、彼を瞑想し始めました。そのためシヴァは神々にシュリ・ヤーギャSri yaagaを伝授しました。シュリ・ヤーギャ、あるいはチッド・ヤーギャChid yaagaは、至高の知識(ジニャーナJnana)を知ること、知識をもってヤーギャ(霊的な儀式)を行うことを意味します。
そのときになって神々は至高のエネルギーについて完全に忘れていたことに気づき、熱心に聖なる母を礼拝し始めました。それは普通の火の犠牲の儀式ではありませんでした。チッド・ヤーギャの炎に対して、神々は自身の肉や体の部分を捧げました。それは彼らがエゴを放棄し、身体や痛みへの執着を手放すことを意味します。
このヤーギャは何年も続きました。彼女が現れないことに失望し、神々は彼ら自身を完全にヤーギャの火の中に全託しようと思いました。まさに彼らが火に飛び込もうとしたそのとき、炎の中から、輝かしい光とこの上なく美しい姿があらわれました。それは千の太陽が昇るようでした(ウッディヤトゥ・バーヌ・サハスラーバUdyat bhanu sahasrabha)。チッド・ヤーギャから出現したので、「チッダグニ・クンダ・サンブータChidagni kunda sambhoota」と呼ばれます。神々は彼女を称賛し始めました。
至高の母は神々に彼女による保護(アバヤ・ハスタabhaya hasta)を与え、彼女が悪魔たちに攻撃をしかける間、常に彼女を思い続けるように言いました。戦いは四日間続きました。至高の母は、シャマラ、ダンディニ、マントリニ、バーラトリプラ・スンダリなどの女神を創造し、世界を救う責任を割当てました。サプタマトゥルカ、アシュタマトゥルカ、ナヴァドルガーなど、さまざまな姿が至高の母から現れました。ちょうど大きな炎から、小さな閃光が現れるように、これらすべての女神たちが、神聖なエネルギーから出現しました。四日間の戦いによって、バンダースラは倒されました。
その後、至高の母はシュリナガラという聖なる都市を作りました。それはマニドウェーパ、マニ・マンタパとしても知られています。
このバンダースラの討伐の後に、シヴァとパールヴァティの結婚が行われました。この間に六万年の時間差があります。
神々は自分たちの住居に戻り、幸せで満足していました。神々は自分たちを助けた聖なるエネルギーへの感謝の念を持ちませんでした。自分たちの幸せのなかで、彼女を思い出すことさえしませんでした。聖なる母はこのことによって何も失うことはありませんでしたが、今後もそれが続くと、未来において神々が敗北することを知っていました。良いときに神のことを忘れてしまうのは人々にとって普通のことです。しかし神は私たちが忘れていても、私たちのことを忘れず、正しい道に戻そうと努めます。
そのため彼女は神聖な意図を持ち、自分の腕のなかに神々を引き戻そうとしました。彼女は神々の集会(デーヴァ・サバ)を開き、そこで神々に完全な至高の真髄を教えました。そこで話し言葉の守護神たちが『ラリタ・サハスラナーマ』を初めて詠唱しました。
『ブラフマンダ・プラーナ』、『レーヌカ・プラーナ』、『トリプラ・ラハスヤ・プラーナ』によれば、聖なる集会において、何十万ものブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァのなかで、このサハスラナーマが初めて詠唱されたとされています。何十万ものブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァは、過去・現在・未来のすべての主たちが招聘されたことを意味します。
ヴァグ・デーヴァタたちが最初の四行を詠唱し終えるまでに、神々は過去に起きた全ての出来事を思い出し、同時にサマーディ状態に入って、身体と存在の意識を失いました。神々はそれがもっとも至高の詩文であることを悟りました。それは無限のエネルギーの宝庫であり、無数の秘密が含まれています。神々は詠唱が終わるのを待ち、聖なる母に、それに含まれる秘密(ラハスヤrahasya)を説明するように願いました。
ここで神々は媒介に過ぎず、真のメッセージと非常に貴重な知識は人類へのものでした。神々は諸々の秘密を知り高揚し、この知識が彼らのためになったように他の存在にも伝えられるよう懇願しました。
すぐにデーヴィはヴィシュヌのことを考えました。ヴィシュヌは、うんざりするような戦いの後で、彼の顎を自分の弓「シュルンギ」の上において休めていました。至高の母は、ブラマラという昆虫を作り、ヴィシュヌを起こすために送りました。
その虫はヴィシュヌところへ行き、弓の糸を引きました。その時、弓の糸は非常に引き絞られていました。そして強い力で弾かれ、ヴィシュヌの頭を切り落としてしまいました。頭をなくしたヴィシュヌの姿を見て、神々は恐怖しました。聖なる母は彼女の住まいマニドゥエーパからハヤグリーヴァHayagreeva(馬の頭)を送り、それをヴィシュヌの体につけるように言いました。馬の顔には非常に多くの意義があります。ハヤグリーヴァ・スワミは知識をあらわします。ハヤグリーヴァの詩文は次のものです。
Jnaananandamayam Devam nirmalas sphatika kruteem
Adhaaraam sarva vidyanaam Hayagreeva mupaasmahe
ジニャーナンダマヤン デーヴァン ニルマラス スパティカ クルテーン
アダーラーン サルヴァ ヴィディヤナーン ハヤグリーヴァ ムパースマヘー
意味:彼は全ての知識の主。彼は純粋な水晶(スパティカ)のよう。私はこの知識を支える主に祈ります。
ダクシナムルティ、ハヤグリーヴァ、サラスワティは私たちのグルでもあり、毎日、祈りを捧げられるべきです。知識は、それを教えた神々を知らずに獲得されても無意味です。もし教師(グル)たちについて考えないならば、感謝(クルタグナkrutagna)を持っていないことになります。それは重い罪を負うことになります。
ハヤグリーヴァは創造されるとすぐに、新しく偉大な詩句とマントラを詠唱し始めました。創造、吸収(プララヤ)に関する偉大な秘密などがハヤグリーヴァによって語られました。では、誰がこのようにさせたのでしょうか?結局のところ、彼は聖なる母によって贈られた頭をつけています。この至高の教えと伝道が彼を通して他の人々へと伝えられるという母の望みだったのです。
ハヤグリーヴァ・スワミは多くのビージャクシャラbeejakshara(種字語)とシュリ・ヴィディヤのウパーサナ(礼拝)の主です。彼の弟子たちのうち、もっとも卓越した一人は聖仙アガスティヤです。アガスティヤとローパムドラ・デーヴィはハヤグリーヴァを礼拝し、彼にシュリヴィディヤの伝授をお願いしました。主ハヤグリーヴァはこの知識を直接伝える代わりに、ハヤグリーヴァという名前の聖者を彼の中から創造しました。この聖者ハヤグリーヴァがアガスティヤに『ラリタ・サハスラナーマ』をシュリ・ヴィディヤを礼拝する方法として伝授しました。
これをさらに詳述するために、主ダッタが至高の母についての一万六千のスートラからなる『ダッタートレーヤ・サンヒター』を編纂しました。パラシュラーマはこの知識を主ダッタから伝授され、パラシュラーマがこれを六千のスートラに編集し、『トリプラ・ラハスヤ』を書いた聖仙スメーダに教えました。この『トリプラ・ラハスヤ』は三つのパート(カンダkhanda)、チャヤ・カンダ、マヒマ・カンダ、ジニャーナ・カンダだけが読めます。『トリプラ・ラハスヤ』はこのサハスラナーマから来ています。これらの詳細は、私たちの古代の聖典、『ブラフマンダ・プラーナ』、『トリプラ・プラーナ』に書かれています。
ジャヤグルダッタ
⇒ラリタ・サハスラナーマ目次
※シュリ・スワミジによる『ラリタ・サハスラナーマ』の詠唱アプリはこちらです。
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