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ヨーガ・ダルパナ第一章について

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パタンジャリの四章から成る『ヨーガ・スートラ』の第一章です。サマーディSamādhiとは、絶対的な瞑想、もしくは熟考される対象と完全に一体化することであると定義できます。サマーディのような最終段階に一気に到達できる人はほとんどいませんので、多くの人は、段階的かつ系統的に進める必要があります。第一章では、主題に対する理論的根拠を示し、次章では到達点を見据えた実践的な方法を解説しています。

聖仙パタンジャリは、論文『ヨーガ・シャーストラ』において、まずヨーガの定義から始めます。有名な格言である「ヨーガハ チッタ ヴルッティ ニローダハ Yogaḥ chitta-vṛtti nirodhaḥ (心の作用を止滅することが、ヨーガである)」は、本章の第2詩句に出てくる格言です。第2詩句と第3詩句の格言は、ヨーガの付随的・本来的な特徴、とヨーガを達成した人の状態を示しています。第四詩句の格言は、まだヨーガに達成していない人が、心の変異と一体化する場合によく見られる状態を示しています。最初の四つの詩句(スートラsūtra)は、全経典の核心部を含んでいます。全経典の根源的な理解のための手がかりであり、主題を把握するために大前提にされるべき言葉です。

心の変異のすべては、第5~11詩句の格言が示唆する五種類に分類できます。第12〜16詩句の格言では、いかに心の変異の動乱が、厳しい実践(アビャーサabyāsa)と無執着(vairāgyaヴァイラーギャ)によって制御可能かが説明されています。上記の通り、サマーディとは結果的に生じるものです。これらの段階については、第17〜19詩句の格言で説明されます。

ヨーガの険しい道を踏破できない一般の人々の運命とはいかなるものでしょうか。至高の目標に到達する資格がないのでしょうか。聖仙パタンジャリは第20~22詩句の間でそういった疑問を呈し、ヨーギでない人々がサマーディに到達する道筋を説明します。読者は、献身が近道であることに同意するかもしれません。また、このことは第23詩句で明らかにされています!至高の主であるイーシュワラに関する紹介は、第24〜26詩句でなされます。オームマントラ(オームカーラOmkāra)の至高性は、第27〜29詩句で紹介されます。

全ての人がヨーガの道に入ろうと望んでいますが、何らかの力がそうさせないようにしているように見えます。結局、ヨーガの道を歩むこと、それは神聖な主に通じる上り階段へと我々を直接連れて行く道であり、主の祝福が絶対に必要なことです。ヨーガの道で出会う様々な障害とそれらをいかに乗り越えるかについては第30〜32詩句で紹介されます。一意専心には多くの利益があるだけでなく、もっと重要なのは、それがサマーディへの基本的手段であるということです。一意専心なくして、いかにしてサマーディに到達できますか?
一意専心(エーカグラタekagrata)の実践により生じる特質については、第33詩句で説明されています。第34〜39詩句では、様々な集中の実践方法が説明されています。

以上のような根本原理すべてについて解説した後、パタンジャリはサマーディといった主題に焦点を合わせます。第40〜51詩句では、サマーディに関連した様々な話題が扱われます。

(続く)

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