ラリタ・サハスラナーマ1-10の意味
更新日 : 2019.10.20
カテゴリー : ラリタ・サハスラナーマ
1.Śrī Mātā シュリー・マーター
これがまさにサハスラナーマの最初の名であり、非常に多くの重要な意味があります。
1.マータは「母」を意味します。シュリー・マーターは、彼女が全ての母たちの母であることを意味しています。
2. 彼女は、この地上に生きるすべての存在が直面しているもっとも深い悲しみ(ドゥッカ)を拭い去ります。それらは、①ジャンマ・ドゥッカ、②ジャラー・ドゥッカ、③マラナ・ドゥッカです。
ジャンマ・ドゥッカは、意識の上では認識していないこの地上に生まれた悲しみです。ジャラー・ドゥッカは老年への意識的、あるいは無意識的な恐れです。マラナ・ドゥッカは死への恐れです。
3. 「シュリー」の語はたくさんの意味を持ちます。その一つは「言葉」です。このサハスラーナマを創造した言葉の守護神たち(ヴァグ・デーヴァタ)が、母は彼女たちの母(マータ)である、つまり言葉とアルファベットの母(シュリーマーター)であると初めの言葉を述べています。
4. 「シュリー Sri」は、女神ラクシュミー(豊穣の女神)の種字語です。「英知の富」が彼女が授ける真の豊穣です。ラクシュミーとして顕現した聖なる母(マーター)であるために、シュリーマーターと言われます。
5. 聖なる母は、三つの主要なエネルギーであるマハーカーリー、マハーラクシュミー、マハーサラスワティであるために、シュリーマーターと言われます。
6. シュリーは、「蜜」であり「毒」でもあります。彼女は悪い思いといった毒を取り去り、良い思い、つまり知性を教えるためシュリーマーターと言われます。
7. シュリーは、「偉大な」、「至高の」を意味します。したがって、多大な敬意を払って、シュリーマーターと言われます。
8. 「シュリーマーター」の語は、創造の過程(シュリシュティ・クリヤ)を詳述するものです。彼女はこの宇宙の創造者です。
9. 至高の母は男性でも女性でもないことをはっきりさせるために、「マーター」の語が最初に使われています。「マーターmaata」は、「マーネーmaane」に語源(ダートゥ)があり、それは「測る」という意味です。したがって、性別がどちらであれ、測る者が「マーターmaata」です。
下記の詩句は同じ論理を明らかにしています。
Pum roopam vaa samred Devi Stree roopam vaa vibhaavayet
Athava nishkalam dhaayet Sacchidananda lakshanam
この詩句の意味は、
至高のパラブラフマーは男性の姿(pum roopam)でも女性の姿(stri roopam)でも礼拝することができ、形を伴わない光(jyoti)としても礼拝できます。究極の目的は「サッチダーナンダ」すなわち、サットsat + チッドchid + アーナンダananda(真実、知識、至福)へ到達することです。
「マーター」は、シヴァとシャクティ(至高の父と母)が、分離した二つのエネルギーではなく、ただ一つの至高の光輝であることを強調しています。
2.Śrī Mahārājñī シュリー・マハーラージュニー
この名には複数の意味があります。
1. 彼女はもっとも偉大な皇帝の妻(ラージュニー)です。
2. 彼女は創造の維持(スティティ・クリヤ)を守る力です。彼女は全王国(創造)を維持し守る者です。
王の第一の義務は、彼の国民を守ることです。Naa vishnuh prithivi patih 保護し維持する性質(ヴィシュヌ)を持たない者は王であることはできません。また、王は正義をもたらす存在であり、目撃者の話を聞き、何が正しくて間違っているかを決め、良きを守り、悪きを罰します。至高の母は内なる目撃者(アンタルサークシー)であり、事物の中に存在しながら、これらの仕事を行っています。
3. Śrīmat Siṃhāsaneśvarī シュリーマト・シンハーサネーシュヴァリ
この名は多くの意味を持っています。
1. 「シュリーマト」は非常に美しいという意味です。したがって、この名は「彼女」が非常に美しく装飾された玉座(シンハーサナ)に座っている女王(イーシュヴァリ)であることを示しています。
2. 「シンハ」はライオンです。この語のアルファベットを入れ替えると「ヒンサ」になり、それは暴力・加害の意味です。シンハ(ライオン・玉座)の上に座っていることは、彼女がヒンサを抑えていること、つまり彼女がすべての暴力的で否定的な思いを消し去るということを示します。
3. 彼女は創造を彼女へと吸収する力です。
4. 「シュリーマト」はまた、「五つの様相」を意味します。したがってこの名は彼女が補助的に五つの様相を持つ玉座に座っていることを示しています。言い換えると、五つの様相は彼女の支配下にあります。
五つの様相は、五面のブラフマー(パンチャ・ブラフマー)、五大元素(地や水などのパンチャ・ブータ)、五つの方向、五つの行為(パンチャ・クリヤ)、パンチャ・ルドラ、パンチャ・プラナヴァなどに解釈することができます。
パンチャ・プラナヴァとは、アイムAim, フリームHreem, シュリームSreem, クリムKlim, ソウフSouhで、創造、維持、吸収を意味し、また意思(イッチャ)、知識(ジュニャーナ)、行為(クリヤ)も意味します。
注) サハスラナーマの最初の三つの名がすべて「シュリー」から始まっているのは、無限の本質に満ちています。創造・維持・溶解吸収がこの三つの名によって精妙に説明されています。
シュリー・シャンカラーチャーリヤによって創作された『ソウンダリヤ・ラハリ』の最初の三節もまたこの三つの名の真髄を表しています。
『ソウンダリヤ・ラハリ』の第一節は、シヴァはシャクティ(エネルギー)が伴って初めて創造する力を持ち、そうでなければ無力であると述べています。もし人間の身体を「シヴァ」とみなすなら、エネルギー(シャクティ)がなければ、仕事を遂行できないということが明らかです。身体(シヴァ)はシャクティがなければ、シャヴァ(死体)です。
第二節は、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァと全ての神々は、創造、維持、破壊の仕事を、彼女の足の塵によって行っていると述べています。
第三節は、彼女がヴァーラーヒ(猪の姿をした聖なる母)であり、サンサーラに沈んだ人々を、その牙を使って引きあげているということを強調しています。彼女は無知に陥っている人々にとっての太陽の光であり、無知蒙昧(ジャダー)な心を、自己認識の知識を受けるに値するように豊かにします。ここにおける無知とは、教育がないことではなく、英知を持たないことを意味しています。
4. Cidagnikuṇḍa-saṃbhūtā チダグニクンダ・サンブーター
意味)彼女は意識の炎(チット+アグニ)から出現します。
この「サンブーター」は「出現」と解釈されるべきで「誕生」ではありません。なぜなら彼女は永遠の存在だからです。永遠ですが、見えない姿をしています。ミルクに潜んだバターが、十分な努力がなされた後にミルクから現れるように、彼女は厳しい霊的努力(サーダナ)の後にだけ現れます。彼女は神々が完全な信、献身、全託の感覚を持ち、犠牲を払った後にだけ、チダグニから出現します。
この名によって、彼女の精妙な光の姿(チャイタニヤ、ジョーティ)が説明されています。この純粋な意識の姿によって、彼女は無知を消し去ります。
5. Devakārya-samudyatā デーヴァカールヤ・サムドゥヤター
意味)彼女は神々の神聖な原因を満たし促進するため、つまり悪を破壊し解放をもたらすために出現した。
三つの存在の段階があります。
1)パラマートマ・スターナ(至高の神の段階)
2)デーヴァタ・スターナ(神々の段階)
3)ジーヴィ・スターナ(個人の段階)
いつも上へと動くべきです。私たちの行動と生活の仕方によって、人間から神々になろうとすべきです。同様に神々はパラブラフマーの段階を求めて動いています。この上昇の動きは段階的に解放(モークシャ)をもたらします。これが真のデーヴァ・カルヤ、神聖な仕事です。
これまでの名は彼女の精妙な姿を描いています。これから続くいくつかの名は粗大な姿を現します。ラリタ・サハスラナーマはヴェーダに等しいものです。それは至高の真髄(パラマートマ、パラブラフマー)を描写するので、彼女の粗大な姿は頭と頭髪から始まり、足へと下がっていきます。逆に日々の実践においては、神は足から始めて、上へと視覚化して礼拝すべきです。
6. Udyadbhānu-sahasrābhā ウディヤドバーヌ・サハスラーバー
意味)彼女は千の太陽に匹敵する輝きです!
なんと美しい神聖な光輝についての説明でしょう。サハスラ(千)という数字は無限を意味します。そのためこれは想像を絶する限りない光輝を意味します。
悪魔に攻撃され暗闇に陥っていた人が、突然目の前に輝かしい光を見たならばどんな反応をするでしょうか?その光は大きな希望、信頼、自信をもたらします。ホーマの火から現れる輝かしい光は極度の苦境に陥っていた神々に希望を与えました。
7. Caturbāhu-samanvitā チャトゥルバーフ・サマンヴィター
意味)彼女は四本の腕を持っています。
その光の中からゆっくりと四本の腕が見えてきました。それは神々に安心を与え、アバヤ(恐れなくてよいことの保証)を与えるものです。
四本の腕は彼女が四つのプルシャルタ(ダルマ、アルタ、カーマ、モークシャ)、四ヴェーダ、四つの心(マナス[マインド]、チッタ、ブッディ[知性]、アハンカーラ[自我])に以前の栄光を取り戻させることを示します。
人間だけが霊的な修練に最適な腕と体を祝福されています。
五本の指がそれぞれに違っていることには、秘められた重大な意義があります。他の動物は猿を除いてそのような指をもっていません。猿がヴァーナラと呼ばれる理由はここにあります。ヴァーVaa + ナラnara、ナラは人間を意味し、ヴァーナラは「人間と少し似た」という意味です。
8. Rāgasvarūpa-pāśāḍhyā ラーガスヴァルーパ・パーシャーディヤー
意味)一つの腕に、ヌース(輪縄)を持ち、それは彼女の愛(ラーガ)を示します。
ヌースによって彼女は、人間を彼女のほうへ引っ張り、惹きつけるということを示していて、それは彼女の子どもへの愛、優しさ、思いやりです。
彼女が悪魔を倒すために現れたのは疑いないことですが、まず彼女は愛を使って彼らが変容するチャンスを与えることを望みました。彼女の愛は束縛するものではなく、束縛から解放するものです。
9. Krodhākāraṅkuśojvalā クローダーカーランクショージュヴァラー
意味)もう一本の腕にアンクシャ(突き棒、棒)を持っています。突き棒は彼女の怒り(クローダ)を表しています。
象は突き棒を持たない象使いの言うことを聞きません。子どもが従わないとき、母は怒りを道具に使います。これは、彼女が愛を見せたときに、もし悪魔たちが従わなければ、突き棒を使って従わせることを示しています。
10. Manorūpekṣu-kodaṇḍā マノールーペークシュ・コーダンダー
意味)心(マナス)は彼女の手の弓(コーダンダ)で、これは彼女の三番目の武器です。
彼女はサトウキビの弓を手に持っています。サトウキビは彼女が心を統御することを象徴しています。彼女はそれで悪魔たちの心をコントロールします。
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