九つの信愛
更新日 : 2020.5.10
カテゴリー : スワミジの言葉
2020年4月30日・5月1日バクティTVにおけるシュリ・スワミジの講話
Śrīmahāgańapatayénamaha
Śrīsarasvatyénamaha
Śrīpādavallabhanarasimha sarasvati
Śrigurudattātréyāyanamaha
ジャイ・グル・ダッタ。
九つのバクティ(信愛)について話します。神を礼拝する九つの形があります。バクティ(信愛)の形ごとに、優れている帰依者が一人ずついます。それぞれについて学ぶと、神を礼拝する方法も学ぶことができます。
『シュリーマド・バーガヴァタム』は、パリークシット王の物語から始まります。狩りをしている間に彼は喉が渇き、水を探しに行きました。彼はタパス(苦行)をしていた聖仙のアシュラムに到着しました。一般的にパリークシット王は人格者であることが知られていますが、このとき意外な行為に及んだのは、カリ時代の影響だったのでしょう。王は弓で死んだヘビを拾って、それを深く苦行に没頭していた聖仙シャミーカの首に投げました。王は聖仙が自分の到着に気づかなかったことに怒っていました。聖仙は瞑想で気づきませんでした。外の世界で何が起こっているのか、彼はどうやって知ることができたでしょう?もし彼が気づいたら、瞑想の主旨は何でしょうか?
マハートマたちがプージャを行うとき、彼らはパラマートマ(普遍的な真我)への礼拝に没頭しているので、彼らがあなたの到着に気づくことは期待できません。グルが私たちを見なかったり、気づいたりしなかったことを決して気にしてはなりません。
聖仙の息子がやって来て死んだヘビを見たとき、彼は激怒し、「父親を侮辱した人は一週間内に、ヘビにかまれて死ぬだろう」と宣言しました。騒動を聞いた聖仙シャミーカは瞑想から戻ってきました。何が起こったのかを理解した聖仙はパリークシットに、一週間しか生きれないので、自分を救って、人生を価値あるものにしなければならないという言葉を送りました。パリークシット王は一週間で解放を与えることができるグルを探しに行きました。
聖仙シュカは、牛から牛乳を搾れるくらいの時間だけ、その場所に留まることが知られていました。そのような聖仙がバーガヴァタムを七日間でパリークシットに伝えました!パリークシットはそのような抜き差しならない状況で話を聞いたので、七日間でモクシャ(解放)に達しました。
コロナの時代に、なぜ今この話を語っているのか不思議に思うかもしれません。パリークシットは、数分以上その場所にとどまることがなかったグルからのイニシエーションを授かり、明らかに最も祝福されたのです。彼は非常に祝福されていましたが、間違いを犯して呪われてもいました。
私たちもまた大きな間違いを犯しました。私たちは空気、空、川を汚染することで母なる地球を不当に扱いました。春は自然が最高のはずですが、ここ数年の春がどうなってきたのか見てきました。木々は色を失い、すべてがとてもどんよりしていて疲れているようでした。今の春を見てみてください(Covit-19に対応するロックダウンの状況にある)。木はとても緑が多く、実が沢山なっています!かつて見たことのない鳥たちがようやく隠れてていたところから姿を現しました。動物たちが楽しそうに道を歩き回っています。私たちが動物たちの領域を乗っ取り、道路や建物を建てたとき、動物たちは深く悲しみました。河川、湖、さらには海も汚染されています。空には雲が見えず煙しかありませんでした。今この1か月で、母なる自然はとても幸せです!
「アースデー」の日には、すべての工場、空、海、道路のすべての車両通行の丸一日の完全な封鎖に皆さんが従って祝われることになっています。しかし、誰がこれに従ったでしょうか?私が最後にそのような澄んだ空と多くの星が夜空でキラキラ光るのを見たのは、戦争が勃発する恐れがあった何十年も前のことです。私たちは自分たちの利己的な利益のためだけに自然を毒し傷つけてきました。私たちはなぜ自然とすべての存在が以前は幸せそうではなかったのかを今、理解しています。
川、山、自然が今どのように見えるかを紹介してくれたテレビチャンネルに感謝します。誰もが自分たちの生活をとても怖がっています。お祭りやお祝いはありません。シンプルな結婚式が今どのように行われているか見てください。なぜこれが以前にできなかったのでしょう?非常に多くのお金が節約できたはずです。婚約がオンラインで行われていて、結婚式が家で行われていて、家族五人だけが出席していて、全員がお互いに離れて座っていることを嬉しく思います。これまで結婚式はとても騒々しく、騒音と大気汚染を生んでいました。科学者たちは、すべての工場と車を丸一日は完全に停止する必要があると嘆いて言っていました。そうしなければ、地震と津波は止まらないでしょう。今私たちは、起こっていることはすべて私たち自身がしていることだと気づいています。
パリークシット王も間違いを犯したため、結果に直面しなければなりませんでした。しかし彼の過ちによって、『シュリーマド・バーガヴァタム』がすべての人に祝福として与えられました。私たちの過ちのために、自然は今日平和です。観察すると、広い庭のある大きな家は、木や花でいつも清浄になります。自然を愛し尊重する人はいつでも幸せになります。私たちの多くはアパートに住んでいるため、木を植えるスペースはありませんが、少なくともベランダには鉢植えの植物をいくつか置くことができます。
「バーガヴァタサプターハム(七日間のバーガヴァタ講話会)」を聞いて解放を得たパリークシットのように、私たちもシュラヴァナ・バクティ(聞く信愛)を培う必要があります。言われている良いことを聞く力を養う必要があります。最近のほとんどの人は電話で忙しいので、聞く時間がないのです!一部の人々は携帯電話に夢中になっているため、誰かが空港でバッグを盗んだかどうかさえわかりません。ロバが蹴ってきても、彼らはまだビデオを見たり、電話で誰かとチャットしたりします。
座って聞くことを学ぶ必要があります。マインドをあらゆる方向に彷徨わせずに主題に焦点を当てることができるはずです。このロックダウンにより、すべての人が一カ所に座ることができるようになりました。スワミジによって与えられた『ムーラ・バーガヴァタム(バーガヴァタム原本の講話)』をすべて聞く必要があります。これをヴラタ(誓願)として行いなさい。
聖仙シュカは聖仙ヴィヤーサによって『バーガヴァタム』を伝授されました。聞いている間、聖仙シュカは非常に話に没頭していたので、眠りについてさえも物語を覚えていました。彼は周りのすべての人に物語を語りました。『バーガヴァタム』を説明している間聖仙シュカは、サマーディに二度達しました。彼は自分の体の感覚をすべて失い、物語で説明されている場所に運ばれました。『ラーマーヤナ』を聞くとき、私たちはその話に参加していなければなりません。聖仙シュカは二つめのキールタナ・バクティ(物語の信愛)の典型です。
三つめはスマラナ・バクティ(思い返す信愛)です。プラフラーダはこの最も良い典型です。彼は母親のお腹の中で聖仙ナーラダがナーラヤナについて教えているのを聞きました。これが、私が母親に良い音楽を聴くようにして、家族との口論を避けることを常に勧めている理由です。嘘をついたり、盗んだりしてはいけません。五カ月を過ぎると、子宮内の赤ん坊は外で起こっているすべてを拾い上げるので、善行だけを行って、良書を読む必要があります。
プラフラーダの話については、後で詳しく説明します。プラフラーダの母親は、夫がいないときを待って息子にシュリハリについて知っている話を何でも伝えました。夫のヒラニヤカシプは自分が神だと宣言したため、王国の誰もシュリハリについてあえて話そうとしませんでした。しかし、どんなに多くの危険に直面しても、プラフラーダは主の名を唱えることを決してやめませんでした。彼は不屈の勇気をもっていました。
この時勢(Covit-19を防ぐための封鎖下)で私たちも不屈の勇気を実践しなければなりません。空腹で食べ物を必要としている人がたくさんいます。私たちは彼らに物資を提供しようとしていますが、皆さんは自分が持っているもので何とかする習慣を身につけなければなりません。第二次世界大戦中、人々は七年間毎日豪華な食べ物を食べていたと思いますか?カンジ(インドの発酵飲料)やでんぷんを1日2回飲んで、私たちの祖先は毎日を生き抜きました。米や食料を寄付するとき、マサラドーサを作るための野菜や食材を求める人がいます。寄付している人は、利用可能なものだけを寄付することができます。私たちは、生き残るために必要不可欠なものを調整して何とかすることを学ぶ必要があります。お米しかない場合は、でんぷんを用意し、塩を少し加えて飲むことができます。米のでんぷんはエネルギーとタンパク質が豊富です。これで簡単に生きることができます。
インド北部では、シーク教徒が数千万枚のロティ(平たいインドのパン)を作って配っています。彼らがこの素晴らしい奉仕のために祝福されますように。ロティと水で簡単に生きることができます。今はおかずとアルパラサ(インドのパンの一種)を求める時ではありません!カンジを飲む習慣をつけなければなりません。多くのアメリカ人は森にキャンプに行き、テントを張ってそこに数日間を過ごします。それは彼らにサバイバルスキルを教えます。
プラフラーダのように、私たちはどんな逆境にも立ち向かうことを学ばなければなりません。ナラシンハ・スワミは、プラフラーダの祝福であるプラフラーダ・ヴァラダーとして呼ばれるのが大好きです。これがスマラナ・バクティ(思い返す信愛)の素晴らしさです。プラフラーダが断食し、カンジを与えられたとき、彼はそれを拒否し、「スワミのナーマスマラナ(主の御名を思い返すこと)が必要な全てだ」と言いました。
四番目のパーダセーヴァナ・バクティ(師の御足に仕える信愛)は、女神ラクシュミーによって象徴されています。すべての富を具現化した女神ラクシュミーは、主ヴィシュヌの胸の中にいるため、主ヴィシュヌはシュリニヴァーサとして知られています。しかし女神ラクシュミーは主の御足に仕えることを好みます。実際、彼女はすべての富はパーダセーヴァナ(御足に仕えること)の結果にすぎないと述べています。これは簡単な道ではありません。このような信愛の念は一つのユガ(時代)に一人の帰依者だけに祝福されます。
五番目のアルチャナ・バクティ(礼拝の信愛)またはプージャナ・バクティ(儀式の信愛)は、プリトゥ王によって例証されています。彼はマハーヴィシュヌのために多くのヤジュナやプージャ(儀式儀礼)を行いました。彼の献身に満足して、主は大地を絞って得たラサー(ジュース)をプリトゥ王に与えたと言われています。次に、プリトゥ王は、大地全体を牛に変え、牛乳をヤグニャに提供したと言われています。これが大地がプリティヴィとして知られている理由です。
六番目はヴァンダナ・バクティ(称賛の信愛)です。花、アビシェーカム(洗礼の儀式)の間に捧げられる材料はすべて主に属します。私たちは単に主が与えたものを主に捧げているのです。ですから捧げるかどうかにかかわらず、主は私たちのバクティ(信愛)のみを受け取ります。私たちは花・牛乳・水を受け取ったので、アビシェーカム(洗礼)として捧げるのです。私たちはバクティのための捧げ物を間違えてはなりません。主が受け入れるのは、私たちが奉仕する信愛の念だけです。
アクルーラはヴァンダナ・バクティ(称賛の信愛)の良い例です。彼が戦車でバララーマとクリシュナを連れていたとき、アクルーラは彼らに仕えることができてとても祝福された気持ちでいました。戦車を運転しているとき、太陽が沈み始めたので、アクルーラは川で沐浴するために戦車を止めました。アクラーラが水中でバララーマとクリシュナを見たとき、彼は言葉にならないほど驚きました。戦車に座った二人を残して離れたとき、彼らはどうやって川の中に現れたのでしょうか?アクルーラは戦車に戻って確認しました。二人はそこに座っていました。再び彼は川に戻ってそしてまた水中で二人のダルシャン(謁見)を持ったのです。アクルーラは、シュリ・クリシュナがナーラーヤナご自身であることに気づいて、水そのものにひれ伏して、バジャン(賛歌)を歌いました。『バーガヴァタム』は、なぜアクルーラだけが主のそのようなダルシャン(謁見)を受けて祝福されたのかを言及しています。水から出ると再び二人にひれ伏しました。ヴァンダナ・バクティ(称賛の信愛)はアクルーラにとっての解放の道(ムクティ・マルガ)になりました。
バクティ(信愛)の七番目の形はダースヤ・バクティ(従者の信愛)です。これは即座にアンジャネーヤ・スワミを思い出させます。私たちはこれらの帰依者のそれぞれの物語を一日中振り返っていることができます。それほど彼らのバクティ(信愛)は素晴らしいものです!アンジャネーヤ・スワミはとても強力でしたが、傲慢になったことは一度もありませんでした。彼は主ラーマに仕えるためだけに生きました。
ダーソハムコーサェーンドラスヤdāsōhamkōsaléndrasya。彼は自分はいつもシュリ・ラーマの僕だと言っていました。彼はダーサーンジャネーヤdāsānjanéyaとしても知られています。
アルジュナはサキャ・バクティ(友情の信愛)を教えてくれています。彼はいつもシュリ・クリシュナを友だちとして見ていました。シュリ・クリシュナはまた、アルジュナに多くの自由な振る舞いをとらせました。どちらも聖仙ナラ、ナーラーヤナのようなものです。アルジュナはクリシュナを友人として崇拝していました。シュリ・クリシュナは『バガヴァッドギーター』を友人として説明しました。アルジュナがヴィシュワルーパ(普遍の姿)を見たとき、シュリ・クリシュナを友だちと見るのは間違っていたのではないかとと思いました。しかし、クリシュナは一度もこの信愛の念を気にしませんでした。
サキャ・バクティ(友情の信愛)は素晴らしいですが、自由度が高すぎると罪を犯しがちになります。ですから私たちは、パラマートマとサッドグルに対して自由に振る舞わないように注意しなければなりません。私たちは快適になりすぎると、ドーシャ(欠陥・罪)をもたらすあらゆる種類のことを言います。
主ヴィシュヌの住まいの門番をしていたジャヤとヴィジャヤは、主に近くにいたために非常に気安くになり、聖仙サナカとサナーディたちを認知できなかったときに呪われました。
グルの近くにいる帰依者と寺院の神にセヴァ(奉仕)を捧げる主たる祭司は、非常に注意しなければなりません。
九番目はアートマ・ニヴェーダナ(自己犠牲)またはシャラナーガタ・バクティ(全託の信愛)です。バリ・チャクラヴァルティの物語は表面的には傲慢な王の物語のようです。しかし、深く掘り下げて初めて、彼がどのようにして完全にヴィシュヌに全託したかを理解します。彼は王であるので、彼の頭に三歩目を置くように主に祈りました。
この九つのバクティの道をたどることによって、これらの帰依者たちはすべて解放に達しました。バジャンtommidi vidhamula bhakti(ID:1832)は、アシュラマの子供たちによってとても美しく歌われています。解放を得るには、タパス(苦行)を何年も実行する必要があります。これらの九つの道の一つをたどることさえできれば得ることも可能です。私たちがスワミに全託した場合、彼は間違いなく私たちを守ってくださいます。
バリ・チャクラヴァルティやプラフラーダのようになるのは簡単ではありません。ダースヤ・バクティ(従者の信愛)は練習されなければなりません。寺院で花輪を張ったり、床を掃除したり、食べ物の捧げ物を準備したりしている場合、給与を受け取っているので、それをしてはいけません。私たちは主に仕える機会としてこの仕事を引き受けなければなりません。給与があなたが求めるすべてなのであれば、あなたは工場で働いて、時々昇給を期待します。皆さんはサッドグルの帰依者なので、寺院で奉仕するようになりました。したがって、提供されるセヴァ(奉仕)はすべて、最大限のバクティ(信愛)と専心を伴って行われる必要があります。
聖仙ナーラダによって提供されたすべてのスートラの中で、「ナヴァヴィダ・バクティスートラ(九つの信愛の詩句)」は模範として際立っています。聖仙ナーラダの話もまた振り返る価値があります。メイドの息子として生まれ、彼はそのような高さまでよじ登りました!彼はまたダースヤ・バクティ(従者の信愛)を例示しました。母親が蛇に噛まれて亡くなったとき、孤児となりました。マハートマたちが『バーガヴァタム』を教えているのを聞いたとき、彼は主ナーラーヤナの話を聞き続けました。生涯を通じて、彼はそのようなマハートマたちを探し続け、偉大なヴィシュヌ・バクタ(ヴィシュヌ神の信愛者)になるまで、これらの物語を聞き続けました。彼はナーラダとして知られるようになりました、彼は不死となり、すべての神々に祝福されました。
ダッタートレーヤ・スワミは、これらすべてのことを私たちに教え続けています。私たちはダッタイシュヴァリャムに耳を傾けなければなりません(シュラヴァナ)。パタナ(読書)は難しいかもしれませんが、少なくとも聴く必要があります。マナナ(教えられたことを思い出すこと)、マタナ(教えられたことを他の人と共有すること)も非常に重要です。ダッタの栄光を歌うことはガーナムとして知られています。私たちが「ディガンバラ・ダッタ・ディガンバラ」を歌うとき、ディガンバラ(あるがまま)は服を着ていない人を意味しません。これは間違っています。ディガ・アンバラとは、空のように上から下まで全てに浸透している人を意味します。
スマラナは、心の中で主の名前を常に思い出すことを意味します。私たちがグルによって与えられたマントラを唱え続けるとき、それは瞑想です。
グルの御足への奉仕は、足のところに行ったり触れたりすることを意味しません。グルの体そのものである寺院やアシュラム全部を掃除することが、パーダ・セーヴァナ(師の御足に仕えること)です。マントラは、私たちが花やアビシェーカ(洗礼)を捧げる際に神に話しかけるのを助けてくれます。
アクルーラのように、私たちは平伏を捧げ続けなければなりません。私たちは常にセーバカ(従者)になるよう努力しなければならないのであって、管理者の地位を目指してはなりません。このすべての資質を身につけたときのみ、サッドグルはあなたを助けます。
多くの連絡先や影響力をホテルに持っていても、手術室に入れることはできません。それは生死の問題であるため、資格と非常に経験豊富な外科医だけが手術を行うことが許可されており、医師だけが患者の命を救うことができます。同様に、サキャ・バクティ(友情の信愛)になるためには資格が必要です。皆さんは「おお、私は平伏することはできません、プージャを行うことはできません。私は召使いになることはできません。神の友になるでしょう」とは言えません。きつい平手うちを受け取ります。すべてのカテゴリの帰依者として合格した場合にのみ、サキャ・バクティ(友情の信愛)の資格を得ることができます。
「ああスワミ、これを実現させたら、これだけあげます」と言って、神をだまして賄賂を贈ろうとする人々がいます。彼らの願いが叶った後、彼らは「ああスワミ、今はお金を持っていません。後でだします」と言います。神は見ています。彼は当然のものを取り出す方法を知っています。約束を果たさなければ、神はあなたを破産させ、当然のことをする方法を知っています。
パラマートマは、これは借りた家にすぎないこと、そしてすぐに家を空ける必要があることを思い出させてくれます。発熱しガンになっても、海外に逃げて贅沢な手術を受けて、家を明け渡すのを延期しています。パラマートマは、あなたを空にする方法を知っています。神は待っている他の子どもたちに場を割り当てなければなりません。これが神の唯一の仕事です。私たちはこれが全部自分たちのものだと考え続けています。百年も生きられません。
私たちが外的に見ているものを神に捧げているのと同じように、私たちは内部にあるものも捧げるべきではないでしょうか?それがアートマ・ニヴェーダナ(自己犠牲)です。捧げるかどうかを決して考えてはいけません。完全に全託すべきです。
ジェイグルダッタ シュリグルダッタ