ラリタ・サハスラナーマの名の意味311~320
更新日 : 2023.10.22
カテゴリー : ラリタ・サハスラナーマ
311. Rasyā ラスヤー
意味)彼女は終わりのない喜びの源泉となる味、至高の真髄に満たされています。
ラスヤは「強い喜び、味、真髄」という意味です。例えば「ラーマ」の名が持つ真髄を深く理解することは至高の喜び、至福をもたらします。そのためティアガラージャがこの終わりのない至高の喜びに倒れてしまい、「ラーマ・ナーマ・イェーンタ・ルチラ」のバジャンを作曲したのも不思議ではありません。これは「なんという甘さ(味)が、ラーマの名に存在しているのか!」という意味です。
ヴェーダとヴェーダーンタは真我の真髄(アートマ・タットヴァ)を私たちに教えます。この主題を深く理解する人は至高の喜びに浸ります。その至高の味は説明できないものです。それは全宇宙によって経験される喜びのすべて満たされたコップの水のようです。これがラスヤです。これは最終の状態です。
タイッティーリヤ・ウパニシャッドはこの状態を次の詩節で説明しています。「ラソーヴァイ サハ ラサム ヒェーヴァヤム ラドヴァ ナンディ バヴァティRaso vai sah Rasam hyeva’yam labdhva’nandi bhavati.」至福の味(ラサ)を知った個我(ジーヴァ)もまた至福に満ちているという意味です。
この至福の中に我を失った人は、この世界には何の味わいも感じません。
「ロシア」の語は「ラスヤ」から来ています。ロシアは雪に覆われた美しい土地を持ち、宇宙の美しい帽子のようです。多くの偉大な聖者がこの美しい土地に住んでいます。カイケーイ(バーラタの母で、ラーマの継母)はラスヤに属していました。
種字語「フリーム」と「シュリーム」は聖なる母にとってとても愛しいものです。「フリーンカーリ(第301名)」から「ラスヤ」までは「フリーム」の真髄を説明し、フリームは深い意味を隠し持っています。フリームを礼拝すること(フリーム・ウパーサナ)がここでは音の形(ナーダ・ルーパ)で行われています。これは志向者を女神ナーラーヤニーに導きます。これらの名を唱えるとき、ウパーサカ(礼拝者)はフリームを瞑想します。
312. Raṇatkiṅkiṇi-mekhalā ラナトキンキニ・メーカラー
意味)彼女の腰帯(メーカラ)鐘が、「キンキニ」という音とともに調和した優しい音を響かせます。
この名は第38の名「ラトナ・キンキニカー・ラムヤ・ラシャナー・ダーマ・ブーシター」と同じ意味を持ちます。紐や帯で腰を結ぶことは霊的な実践です。女性が腰帯(オディヤナ)を結ぶ習慣はそれがもたらす霊的な利益のために広がりました。聖なる母の腰帯とアンクレットの鈴はヴェーダの音を響かせます。
「キンキニ」はヴェーダの音であり、彼女がナーダ(音)と関係していることを強調しています。現代科学は宇宙が音から生まれたことに同意しています。音が非生命の物質にも波動をもたらす力がある事実はよく知られています。例えば大きな音で音楽が奏でられるとガラスは振動します。
同様にヴェーダの音(彼女のアンクレットと腰帯から出る)は、デーヴァタの心に動きを引き起こし、心を光で満たします。これらは良い思いと良い知性(ブッディ)を形成するのは吉祥の音です。
次の八つの名は種字語「シュリー(ビージャークシャラ)」と関連しています。それらは困難や問題を解消する特別なマントラで、困難なときに規則的に唱えられるべきものであり、「アーパダ カーラ マントラ」として知られています。それらは次の詩句からなります。
Ramā rākenduvadanā ratirūpā ratipriyā
Rakṣākarī rākṣasaghnī rāmā ramaṇa-lampaṭā
ラマ― ラーケーンドゥヴァダナー ラティルーパー ラティプリヤー
ラクシャーカリー ラークシャサグニー ラーマ― ラマナ・ラムパター
313. Ramā ラマー
意味)彼女は至福と喜び(アーナンダ)を信奉者に降り注ぎます。
ラマーは女神ラクシュミー(繁栄の女神)の名であり、「シュリー」は彼女の種字語(ビージャークシャラ)です。
314. Rākenduvadanā ラーケーンドゥヴァダナー
意味)彼女の顔は満月のように美しさを持ちます。これは彼女の完全さを表しています。
この名は第16の名である「ムカチャンドラ・カランカーバ・ムルガナービ・ヴィシェーシャカ Mukacandra-kalaṇkābha-mṛganābhi-viśeṣaka 」と同じ意味です。
315. Ratirūpā ラティルーパー
意味)彼女はマンマタ(愛の神)の妻であるラティと同様の美しさです。あるいは彼女はラティの姿をとります。
マンマタが灰になったとき(参照:ラリタサハスラナーマの紹介)、妻であるラティは詩句(ラティ・ストートラム)を作って至高の母に祈りました。これらの詩句を通して彼女は夫が犯した罪を知り、夫の命を戻すように至高の母に願いました。マンマタはラクシュミー・デーヴィーの子どもです。ラティは義理の娘です。ラティの姿をとること(ラティルーパ)は、彼女がラティの立場に立ち、その悲しみを理解していることを表します。これは彼女が義理の娘を分かち合っている美しい関係性を描写しています。
316. Ratipriyā ラティプリヤー
意味
1) 彼女は義理の娘であるラティを愛しています。
2) 彼女はラティによって礼拝されています。
3) ラティの美しい詩句(ラティ・ストートラム)は至高の母にとってとても愛しいものです。
317. Rakṣākarī ラクシャーカリー
意味)彼女は常に保護します。
私たちを常に守っている火の神の存在があり、私たちは彼女をアグニ(火)として理解すべきです。彼女は犠牲の姿(ヤグナとホーマ)で存在しています。
アグニはこの創造において目に見ることができる神(プラティヤクシャ・ダイヴァム)の三柱の一柱で、人間と神々(デーヴァタ)を繋いでいます。郵便局員のように火の神は捧げものを関連する神々に届け、私たちが祝福を受けられるようにします。そのため彼は私たちの保護者です。彼はハヤヴァートです。ハヴヤヴァーハナの名は彼が媒体者であることを意味しています。
至高の主はヤグナ(犠牲)を創造の初期に創造しました。彼は生類がヤグナの媒体を通して高められることを求めました。生命の哲学は「ヤグナ」の語に要約できます。この語は『バガヴァッド・ギーター』において重要な意義をもっています。人生のすべての瞬間がより高い成就を目指す犠牲(ヤグナ)の実践に捧げられるべきです。火の犠牲(ホーマ)はヤグナの一部です。ホーマにおいてはマントラとアグニ(火)がもっとも重要な役割を果たします。火の神は「ホーマ・ラクシャ」、すなわち「バスマ(聖灰)」で私たちを祝福します。このバスマはさまざまなマントラによってエネルギーが与えられ、とても聖なるなるものです。それはホーマの過程で勧請された神からの返礼となる祝福と保護(ラクシャ)です。
古代では、料理した食べ物をアグニに捧げる実践がありました。家庭の女性たちは燃え盛る火に料理した食べ物の最初の一口を火に捧げていました。
318. Rākṣasaghnī ラークシャサグニー
意味)彼女は悪魔たちの殲滅者です。
神(デーヴァタ)は悪魔と共存しています。個人の中にある良い思いと悪い思いのそれぞれが神々と悪魔たちです。このことによって生じる心の攪拌が、乳海の攪拌(アムルタ・マタナ)です。この精神の中の悪魔たちは心に大混乱をもたらします。これらの精神的な悪魔に加えて、物理的な悪魔も存在します。もちろんそれらは大昔とは異なり、角や恐ろしい顔を持っているわけではありません。
現代の悪魔は私たちと同じような姿に見え、甘く話しますが、凶悪な事をしています。世の中にそのような人がいないでしょうか?
自分自身が快適であるようにという思いを捨て、絶望にある人に幸福を届け、彼らを高めようとする人がデーヴァタ(神々)です。そのような人にとっては他者の幸せがもっとも平安と喜びをもたらします。他者の幸せを願いながら、自分の幸せも願うのがマディヤマ(人間、中間)です。第三の範疇は、自分だけの快適さと幸福だけを求める人たちです。彼らは人間ラークシャサ(人間の姿をした悪魔)です。彼らは自分の福利と幸福のために他者の幸せを破壊します。第四の範疇は他者を害し、誰も幸福にせず利益をもたらさない人です。そのような人々を分類する階級の名前はありません。
悪魔の討伐は、至高の母がそのような悪魔的な性格であっても良い考えや感情が育まれることを確約するということを意味しています。彼女が三叉の槍を持って天界から降りて来て、彼らを物理的に殺すという意味ではありません。彼女はそのような人に変化をもたらすのだと理解すべきです。
319. Rāmā ラーマー
意味)彼女は信奉者・ヨーギーのハートの中で楽しそうに遊びます。彼女は限りない喜びと満足を与えます。
「ラーマー」は名前ではなく称号です。それは限りない喜びと満足(ラマヤティ)を与える人、あるいはエネルギーの称号です。数えきれないほどの時代の間、ヴァシシュタなどの卓越した偉大な聖者は休みなく苦行を行なっていました。しかし彼らは限りない至高の至福を経験できませんでした。ラーマの誕生の時、マハリシ・ヴァシシュタは宮殿を訪れました。その赤ん坊を一目見ただけで彼のハートは限りない喜びに満たされ、無数の時代に渡って求めてきた満足を祝福されました。彼は適切にその赤子に「ラーマ」と名付けました。
至高の母はこの至福を降り注ぎ、そのためラーマーです。ラーマーは女神ラクシュミーの真髄(ラクシュミー・タットヴァ)であり、種字語「シュリーム」によって完全に描写されます。
320. Ramaṇa-lampaṭā ラマナ・ラムパター
意味)彼女は喜んで主ラマナに従い、いつも彼の側にいます。
ラマナは主ヴェンカタ・ラマナ(ヴェーンカテーシュヴァラ)について言及しています。
「ラム Lam」は地の要素(ブー・タットヴァ)を表す種字語です。私たちはこれをパンチョーパチャラ・プージャ(五つの捧げものの儀式)の「Lam prthivi tattvaatmikaye gandham parikalpayami-ラム プリティヴィ タットヴァートゥミカイェ ガンダン パリカルパヤーミ」で理解することができます。「パタPaṭa」は無知と錯覚(マーヤー)を意味します。
「ラムパターLampata」は、この地上をマーヤー(無知)で覆う力について言及しています。これは彼女のブラフマーとしての立場です。これはまた彼女が信奉者にそれに関連する喜びを与え祝福していることも示しています。
●ラリタ・サハスラナーマの紹介
●アンガニャーサとカラニャーサ(身体への神の勧請)
●瞑想のための詩句
●パンチョ―パチャラ・プージャ(五つの捧げものの儀式)
●ムーラグランタ(基調詩節)1-111
●サハスラナーマ112-1000
※シュリ・スワミジによる『ラリタ・サハスラナーマ』の詠唱アプリはこちらです。
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