シュリーマド・バーガヴァタム 第21話(ナーラダの人生の目的)
更新日 : 2017.10.12
カテゴリー : シュリーマド・バーガヴァタム

聖仙ナーラダは続けました。
「私は北方へ旅をして、繁栄している多くの場所や林、池、庭や山々を通り過ぎた後、ついに巨大な密林に辿り着きました。そのときはもうひどく消耗していました。近くに池を見つけて、そこで沐浴しました。アーチャマナをして、池から水を飲んで、疲れを和らげました。
人里離れた無人の森の中の菩提樹の下に座り、至高の主を熟考しました。その至高の主はハートの内側で、真我(アートマ)の形で光輝いています」
スワミジの解説:みなさんにはこのことを覚えておいてください。みなさんは一人きりのときでも、過去の出来事や、悲しみ、無益なやり取り、過去、自分にされてきた侮辱などを拾い集めることで時間を無駄にしています。それは正しくありません。もっぱら自分自身のために時間を使うことは素晴らしい幸運です。すべての人がそのように自分自身のために時間を独占できるよう祝福されているわけではありません。私たちはおそらく、「独りでいることは何と素晴らしいことなのだろうか?」と考えるかもしれません。失業中の人、病人、そして私たちが目にするあらゆる人々には、この孤独で怠惰な機会が与えられます。しかし、彼らの心の中を覗いて、何をしているのかを見てみてください。それから聖賢ナーラダがこの機会で行ったことをみてみてください。聖賢ナーラダは真我(アートマ)の形でハートの中に座している至高の主に集中していました。
聖仙ナーラダは続けました。
「私は次のような方法で熟考しました。『私は誰か?私を通して輝いている光とは何なのだろうか?私の真我の形の中で照らしているそれは何なのだろうか?どうやったら私の真我を知ることができるのだろうか?』私がこの熟考を進めていたとき、完全に心はバクティ(信愛)の支配下に置かれました。これとともに、神を見たいという願いと神をつかみたいという願いが私の中で非常に強まりました。この強まった願いで、目には涙が溢れ、小川のようにどんどん流れ始めました。
『おろらく私はこの目的のためだけに生まれてきたのです。主のダルシャンを得るためだけに生まれたのです。何らかの方法で主を仰ぎ見なければなりません。その光輝くものを見る必要があります』これが私の考え方でした。
このような方法で考えていたので、主シュリーハリは徐々に私のハートの中に現れてくれました!ハートの中に主を見ることができたのです!これが『アートマ・ダルシャナ』の意味です。内側に見ることができたのです。すると、主への愛とバクティがさらに高まり、全身が震えるような感覚に襲われました。想像を絶する平安を体験しました。限りない至福の海に浸かった私は、非二元的なアドヴァイタの境地を体験したのです!
至高主のその姿、心に寄り添い、無限の平安を与え、あらゆる悲しみをことごとく消し去る至高の主は心に戻ってはきませんでした。どれだけ一生懸命やってみようとしても、また主を経験することはできませんでした。永遠と試みましたが無駄でした。
動揺した心で私は起き上がりました。どんな方法をしても至高の姿をもう一度仰ぎ見なければならないと決意して、完全な集中(エーカグラタ)でサーダナ(霊性修養)をまた始めました。それでも何の結果も生みませんでした。
至高の主が再び見られないのは苦しみでした。私は病人のようでした。神の光やヨーガ、そのパラマートマ(至高の魂)を見られず、無力感に苛まれました。落胆して惨めな気持ちになりました。自分自身と、主を見ることができない無能さに怒りも覚えました。
そのようにして、主を見るために根気強く、人気のない林に座っていたとき、天上の声を聴きました。『この生ではあなたは私を再び見ることはできません!わずかな禁欲生活では、欲望や他の悪い傾向は完全に消えてはいません!』と」
スワミジの解説:多くの人は似あう服を着て、ヨーガを達成したと思い込み、瞑想するために座ります。「私は至高主を見ています」と彼らは考えます。そんなに簡単なことだと思いますか? 欲望、怒り、その他の邪悪な性向は、幾度もの生を経て固まり、あなたに降りかかります。10分や1時間の瞑想では、この積みあがったゴミはマインドから洗い流されません。「おお私は光を見ました。神を見ました。主のダルシャンを得ました」たくさんの人がこのような形で言明します。でも覚えておいてください。このゴミはまだ消えてはいないのです。灰になってはいないのです。
「神の声は続けました。『そのような状況では私のダルシャンを持つことは非常に難しいのです。ゴミはまだ陰に残されています。おお罪なき者よ!私に対する深い愛と献身を培うために、私のダルシャンであなたをもう一度祝福します。それが全てです!私はその味をあなたに与えました。私への強烈な愛から、純粋な心を持った者は徐々にその欲望を手放していきます。あなたもまたその道を行くのです。あなたが徐々に願望を手放していくことを望みます。かつてあなたは偉大な聖者に奉仕しました。その結果あなたの心はしっかりと私に固定されました。取るに足らない身体を放棄した後、私への小さな奉仕でもって祝福されるでしょう。小さなセーヴァー(奉仕)を捧げる機会を得るでしょう。私に完全に固定されたあなたの心は、決して揺らがないでしょう。完全な創造の溶解(プララヤ・カーラ)の後でもこの転生の記憶は、あなたの記憶の中に鮮やかに残るでしょう』
心や感覚には見えない至高主は、このように音(シャブダ・ブラフマー)の形で彼に語りかけたのです」
ナーラダは続けました。
「至高の主のこれらの言葉を聴くことで、私は完全な平安を得ました。私は主を見ようとすることを諦めました。主はつねに私とともにあることを受け入れて、私は幸せでした。全ての悲しみは消えました。全ての悲しみの消滅、願望や怒りと多くの過去生の行為の結果として生じる他の醜い傾向の破壊、そして結果としての完全なる平安の達成、これらすべてを得た私は、至高主に深い敬意を捧げました。
そのときから、どんな躊躇もやめて、神聖な主の栄光や主の御名も歌い始めたのです。恥ずかしがることなく、どこの場所でも主の栄光を歌い始めました。ナーラーヤナ、ナーラーヤナ、ナーラーヤナとどこででも言い続けました」
オーム・ナモ―・ナーラーヤナ

