ダッタ・クリヤー・ヨーガ

ヨーガとは何か

ヨーガの語源

サンスクリット語の「ヨーガyoga」の語根は「yuj ユジ」です。サンスクリット語の権威であるパーニニによると「yuj」は次の三つの意味を含んでいます。

  1. yujir yoge/samyoge ユジル・ヨーゲー/サム・ヨーゲー

「結合する」、「結びつける」という意味です。 つまり個我と至高我を結びつけるのがヨーガであるという意味になります。

  1. yujir samādhau  ユジル・サマーダウ

「熟考する」、「没入する」という意味です。『ヨーガ・スートラ』の基本的概念は、プラクリティ(根本原質・自然)とプルシャ(純粋精神・意識)の二大原理が存在するというものです。ここでヨーガは、プルシャとプラクリティを分別するための熟考を意味します。『ヨーガ・スートラ』での心の最終状態である「ニローダ nirodha」は「停止」です。心には何の動きもありません。いかなる性質も持たず、源であるプラクリティに没入しています。この状態にある人は真の実在であるプルシャの中で永遠に休息しています。

  1. yujir samyamane ユジル・サムヤマネー

これは心を含んだ全ての感覚が「不動」になっていること

を意味します。

さまざまなシャーストラの定義もこの三つの意味に関連しています。

また聖ヴィヤーサは『ヨーガ・スートラ』への注釈書で次のように述べています。

「ヨーガを通してのみ、ヨーガは知られる。ヨーガによってのみ、ヨーガは生じる。ヨーガに勤しむ者は、その喜びを長期に渡って享受する」(3.6)

つまり、ヨーガは達成されるべき目的地であると同時に、その達成のための手段であるという意味です。これは専門的にはヨーガがサーディヤ(達成されるべき目的)であり同時にサーダナ(手段・霊性修行)であるということになります。

また聖ヴィヤーサは『ヨーガ・スートラ』(1.1)への注釈の中で、「ヨーガはサマーディ(熟考/没入)である」としています。この基礎概念は(Ⅱ)のプルシャとプラクリティの分別を意味します。

これは『バガヴァッド・ギーター』の「苦との結合から離れることがヨーガである」(6.23)でも表されています。

また「心の平衡がヨーガである」(2.48)でも、ヨーガは、喜びと苦しみ、獲得と損失、勝利と敗北の二重性を等しく見て心の平衡を保つこととして同じことが言われています。

ヨーガの定義

パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』による定義

「心の変化を完全に停止させることがヨーガである」(1.2)

スワミ・ヴィヴェーカーナンダは、心の原質(チッタ)をさまざまな「動き・形」(ヴリッティ)から抑止すること、という意味を与えています。つまり、全てのチッタ・ヴリッティ(心の変化)が止まったとき、その瞬間に探求者は本源の状態を経験し、まさにその状態にあることを意味します。

『ヨーガ・ヴァーシシュタ』による定義

「ヨーガは心を静める手段である」(3.9.32)

これはパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』の定義と同じ意味を持っています。ここでの「手段」はさまざまな霊的実践における非常に精妙なプロセスについて述べています。

『バガヴァッド・ギーター』による定義
「心の平衡がヨーガである」(2.48)
「ヨーガは行為における巧みさである」(2.50)
「悲惨さを滅するヨーガ」(6.17)
「苦との結合から離れることがヨーガである」(6.23)

「心の平衡がヨーガである」(2.48)

おおダナンジャナ(アルジュナ)よ、義務の遂行に堅固であれ。成功と失敗への執着を放棄すること、そのような心の平衡がヨーガである。

「ヨーガは行為における巧みさである」(2.50)
無執着という行為の科学に熟達する者は、人生から良い悪いという反響を取り除くことができる。したがってヨーガに専念せよ。ヨーガは行為における巧みさである。

「悲惨さを滅するヨーガ」(6.17)

食べること、憩うことにおいて節度を持ち、適度に働き、眠る者には、悲惨さを滅するヨーガが可能である。

「苦との結合から離れることがヨーガである」(6.23)

苦との結合から離れることがヨーガであると知れ。このヨーガを不屈の精神と決意をもって行え。

『カタ・ウパニシャッド』による定義

「感覚の堅固な統御がヨーガであり、それは心を揺れ動きから解放するもの」(2.3.11)

『ヨーガ・ヤジュナヴァルキヤ』による定義

「ジーヴァートマ(個我)とパラマートマ(至高我)を結びつけるのがヨーガである」(1.43)

『マイトリ・ウパニシャッド』による定義

「息、心、感覚を一つにし、全てを放棄することがヨーガと呼ばれる」(6.26)

『ヨーガ・シカ・ウパニシャッド』による定義

・ヨーガとその偉大さ

「ヨーガ以上の妙技はない。ヨーガより神聖なものはない。ヨーガより精妙なものはない。ヨーガを超えるものは何もない」(1.67)

「プラーナとアパーナ、赤と白の流れを一つにし、太陽と月、ジーヴァートマ(個我)とパラマートマ(至高我)を結びつける、多くの対となるものを結びつけるのがヨーガである」(1.68)

もし心が純粋であれば、アートマン(真我)は自ずと現れます。したがって一回の人間としての生の中で、ジニャーナ(英知)はヨーガによって獲得されます。解放という状態を得るためには、実践者は第一にプラーナ(生命エネルギー)のコントロールによってヨーガを実践すべきです。

主だったヨーガの分類

ジニャーナ・ヨーガ(智慧のヨーガ)

バクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ)

カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)

ラージャ・ヨーガ(瞑想のヨーガ)[アシュタンガ・ヨーガ(八肢ヨーガ)]

ハタ・ヨーガ(身体を主軸としたヨーガ)

マントラ・ヨーガ

タントラ・ヨーガ

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