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シュリーマド・バーガヴァタム 第30話

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無分別が心に満ち、愛着(友情)におぼれ、すべての親類縁者の死を嘆きながらユディシュティラは言いました。「おお、私を見てください!私はなんと惨めな存在でしょうか?私の心は完全に無知(アジュニャーナ)でいっぱいです。おお、主よ。私は、犬やジャッカルの餌にすぎない、この肉体を守ろうと、数えきぬほどのアクショーヒニーを破壊しました(アクショーヒニーとは、21870頭の象、21870台の戦車、65610頭の馬、109350人の歩兵で構成された一軍隊のこと)。

子供、バラモン、親族、友人、父親、兄弟、そして師を欺いた私は、1億年もの間苦しんだ後でさえ、地獄からの救済を得ることはできないでしょう!数限りなく誕生を繰り返したとしても、私の罪は無くならないでしょう。私は嘆き続けるでしょう。罪と呼ばれる泥沼にはまり込んで、抜け出せないのです。私が殺したたくさんの罪無き人々!父親を奪われて、今日、嘆き悲しんでいるたくさんの子供たち。私はその人たちすべてを裏切りました。ブラフマーへの道を着実に歩んでいた多くの人を殺しました。師を殺しました。師に対して罪を犯しました。多くの母親に対して罪を犯しました。

結局のところ、骨身でできたこの身体は、いずれ跡形もなく、なくなるでしょう。程なく、それはカラスや犬の餌になるだけです。焼かれたとしても、その骨は食い尽くされます。なんと汚れたひどい体を私たちは持っているのだろう!この体のために、慰めのために、宮廷の王の贅沢のために、他人の賞賛を手に入れるために、自分自身を崇高な皇帝と呼ぶために、私は憎むべき罪を犯しました。ああ、何ということをしてしまったのでしょう!

敵を殺したとしても、市民を守るために行われた正義の戦争において王は何の罪も負わないとシャーストラは言っています。主よ、私はこれらの経典が、このように説く理由が理解できません。これらの教典は、正義の戦争では、敵を殺しても、地獄の苦しみから免除されていると述べています。これはどのように受け容れればいいのでしょうか?主よ、この戦争をなぜ正義と呼べるでしょうか?私にはどうしても理解できません。

親戚の多くを殺すことによって、私は多くの女性を傷つけました。そのような重大な罪は、家長によって行われる犠牲的儀式(ヤグニャ、ヤーギャ)で贖うことはできません。しかし主よ、これらのヤグニャを行うことによって、私はおそらくいくらかの功績を得ることができるでしょう。それは可能ですが、私が手にしたこの悪いカルマからは、決して逃れることはできません。

すべての私の罪の償いをするつもりでいます、主よ。私は罪人であることを認めます。しかし、これらの罪をために、何千、何万、何千万の転生を持つべきなのかわかりません。この事実は私をひどく苦しめます。その多くの転生が、これらの罪を償うに十分であるかどうかも確信できません。今、私の運命はそのようです。私は際限なく転生をしなければならず、その結果に苦しむでしょう。主よ、私には自由になる機会がないのでしょうか?

この私の状況において、これらの経典はなぜ私に罪がないと述べているのでしょう?なぜ彼らは、このように私をけしかけたのでしょう?なぜ彼らは計り知れない数の人々を殺すように、うやうやしくそそのかしたのでしょう?私は誰に問うべきでしょう?おお主よ!私に経典を責めることができるでしょうか?あなたを責めることができるでしょうか?主よ、私は本当に自分自身を責めます。私は恐ろしい罪を犯しました。

私の中には、「私」というこの感覚があります。それはまだ消えていません。私の中に「自我」(エゴイズム)の感覚が存在し、感覚器官と自分を同一化してしまっているので、私はそれに苦しまなければならないでしょう。

泥水は泥できれいにすることはできません。泥のような欲望に汚された行為を実行することによって、罪を浄化することはできません。そのような行動をすることで、どうして浄化することができるでしょうか?主よ、教えてください。きれいな水が得られないという理由で、汚い船は泥水で洗浄できるのでしょうか?洗浄されたこれらの船に、泥は付いていないのでしょうか?私の状態はそれによく似ています。過ちからある行動が出てきたときに、その行動を是正するために同じ過ちが使われることはないでしょう?同様に、人を殺すという罪は、ヤグニャ(犠牲)を行うことによって晴らされることはありません。主よ、そうではありませんか?」
このようにしてユディシュティラは、ひどく悲しみにくれました。

これで第一編の第八章は終わりです。さて、第九章に入りましょう。

この九章には、ユディシュティラとその他の人々がビーシュマのところへ行くこと、ビーシュマによるさまざまなダルマ(正義の規則)へのイニシエーション、主クリシュナへの賛美(ストートラム)、ビーシュマの最後の旅立ちなどが収録されています。

ユディシュティラが自分の行動によって人々が受けた被害について悲嘆にくれていることを、私たちは話してきました。正義の法則(ダルマ)を理解する意図をもって、彼はビーシュマが横たわるクルクシェートラの戦場の地へと向かいました。結局ビーシュマは彼の祖父(ピータマハー)でした!彼はグルと等しい者でした!父親に等しい者でした!神と等しい者でした!

ユディシュティラと共に、彼の四人の兄弟もビーシュマ・ピータマハーに会いに行きました。聖仙ヴィヤーサ、ドウミャおよび他の者は、最高級の馬車に乗り、ユディシュティラに従いました。クリシュナはアルジュナの戦車に、一緒に乗り込みました。ユディシュティラは彼らすべてを伴って、すべてのヤクシャに囲まれた主クベーラのように輝いていました。

彼らはビーシュマが横たわっている場所に近づきました。彼らの貴族的な外見と威厳のある行為は、素晴らしいものでした!横たわっていたビーシュマ・ピータマハーは、天から落ちてきた天使のように見えました!パーンダヴァたちは天を飛んでいた天使(デーヴァタ)が、地に落ちてそこに横たわっているのだと感じました。彼らはピータマハーを見て、そのように感じました。

パーンダヴァたちは、主クリシュナと共に、畏敬の念で彼の前にひれ伏しました。彼らはおじぎして、彼のまわりを恭しく回りました。彼は何と言っても年長者でありました。まさにその瞬間、バラタ王朝の首長ビーシュマのダルシャンを迎えるために、ブラフマ聖仙たち、デーヴァ聖仙たち、ラージャ聖仙たちなどのような、異なった分野の著名な聖者たちの多数がそこに到着しました。パーンダヴァ族が到着した時点で、それらの聖者たちも到着したのでした。

パルヴァタ、ナーラダ、ドウミャ、ヴィヤーサ、ブルハダシュワ、バラドワージャ、弟子たちと共にパラシュラーマ、ヴァシシュタ、インドラプラマダ、トリタ、グリッツァマダ、アシタ、カクシヴァーンタ、ゴウタマ、アトリ、カウシカ、ヴィシュワーミトラ、スダルシャナ、シュカ、カシュヤパ、アンギラサといった聖仙たちと多くの傑出した聖人たちは、すべての弟子と共にそこに着きました。全体で何千人もの聖人が参列していました!

スリマン ナーラーヤナ

続く

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