ブログ

シュリーマド・バーガヴァタム 第46話

カテゴリー :

ユディシュティラは弟を連れて行き、聖仙ナーラダと楽器タンブーラを歓待しました。彼らは、偉大な賢人に礼拝しました。しかし、悲しみに溺れてしまったユディシュティラは、神に礼拝をすることはできませんでした。

ユディシュティラは言いました。 「これは、聖仙ナーラダ様!私の父方の伯父と伯母がどこに行ったのか分かりません。私の父方の伯母ガーンダーリは、戦争で親戚を亡くしたことで悲しみに打ちひしがれていました。私は二人を見つけられないので途方に暮れています。あなたは私がこの悲しみの海を渡るのを手助けできる唯一の渡し舟です。私たちを導いてください。私はこの悲しみに耐えられません。私の母親のような存在だったガーンダーリの姿が見当たりません。お二人は歳老いています。私は二人が息子の喪失に耐えられなかったので、ここを離れたのか、私と一緒にいることを恥じらったのかは分かりません。私は夢の中でさえ、一度も二人を悪く思ったことはありません。二人は私たちが小さい時に私たちの保護者になることを申し出てくれた命の恩人でした。二人は私たちに生きるという贈り物を与えました。私たちが戦場にいるのか、それとも屈辱を受けているのかにかかわらず、私たちを救い、生活を保証してくれた恩人です」

聖仙ナーラダはこれを聴いて言いました。
「王よ、誰に何があっても悲しんではいけません。この世界全体が最高の主(Supreme Lord)の支配下にあります。宇宙の守護神によってさえ崇拝されている主は、絶妙に人々を引き合わせたり、引き離したりしています。主はこの宇宙の誰にとっても近しき方です。主はご自身の望むように鳥、犬、虫、猫、他の生き物に生命をお与えになります。主は、それぞれの仲間内で、お互いにうまく生きていくこと、お互いに緊密に結びつくことや離れることを守っています。主の創作劇はなんと滑稽なんでしょうか。主は様々な方法と組み合わせを使って生き物を結びつけたり、離れさせたりします」

友人たちと会うときは、「どうやって、どんな手段で知り合ったのだろう?私たちを引き合わせた状況は何だったか?」と考えるべきです。このことを深く分析すべきです。私たちは主に感謝すべきです。 「ああ、私たちが偶然に出会ったのは神からの祝福です。今日、私たちはお互いに楽しく話すことができます」私たちは、いうなればバス停や鉄道の駅で偶然知り合った友達でしょう。旅先に出会っただけの知り合いみたいなものです。それが誰であろうと、出会いと別れも神によってもたらされます。わずか10分だけ一緒になっただけの知り合いもいるかもしれないし、10年来の親友もいるかもしれないですね。その人は、人生を通してとても親切な近しき人になるかもしれません。出会いを引き起こすのは神のマーヤ(幻力)であり、別れもまたマーヤ(幻力)によるものです。

製織は複雑な技術です。織り手は細かい縫い糸を巧みに織り合わせることで大きな布を作ります。織り手たちは、その大きな布を再び細かい糸にほどく技術も持っています。まさに織り手の器用さのなせる技です。これが織り手の発揮する専門技術なら、宇宙全体を創造して消滅させるパラマートマの技力を想像してみてください。

この宇宙のすべての惑星は主によって創られました。惑星間の相互関係も神の創造です。我々人間は新しい惑星を発見し、宇宙旅行ができるようになったことに大きな誇りを持っています。しかし、それらのすべては主の創造物の一部にすぎません。主の幻力です。人間が他の惑星に旅行できるのは主のお陰です。実際には、それらの惑星に旅行しているのは主であり、主は旅そのものであり、新惑星への着陸を観察しているのは主です。新惑星を発見したと宣言しているのは主です。惑星に旅しているようには見えない形で、その新しい惑星の発見に驚いているのは主です。なんと不思議な表現でしょうか。

最高者の創作劇は無限で驚異的です。主なしでは何も達成できません。私たちが周囲の様々な物体の形を認識していますが、実際は主の現れを見ています。これがすべてを言い表しています。科学としての主を認識し、化学物質としての主を認識し、惑星としての主を扱っています。原子や亜原子(陽子、電子など)と呼ばれるものは、主以外の何物でもありません。数個の分子を組み合わせて物体を作成するとき、それは作成された物体に宿るパラマートマを作っています。対象物を亜原子に分解すると、それぞれにパラマートマが宿っています。

泥の塊には、無数の原子が存在しています。その数を数えることは不可能です。海全体の水を集めようとしていますか?夜空の星を数えることができますか?

かつて夜空の星々の数を正確に知りたい王がいました。ある者がこの途方も無い仕事を引き受けることに同意しました。この者が翌朝宮殿に到着したとき、王は尋ねました。「お前は星を数えたか?もしそうなら、答えを教えよ」これに対して、この者は答えました。 「はい。王様。私は昨夜浜辺に行き、星を数えました。数が無限であるので、私は紙を使わずに、一つ星を数えるたびに、砂を一粒投げました。私の投げた砂を全部回収してご自身でご確認なさってください」この物語は一種のユーモアですが、そこには真実が示されています。

この宇宙の広大さを測ることができる人はいますか。新惑星の発見は、継続してなされています。科学者たちは新しい物体を発見しようと奔走しています。しかし今のところ、この地球全体を支える大洋に深く潜り、くまなく泳いだ者はいません。彼らはまだその最大の宝物を発見していません。海に沈む船でさえ捜索されません。墜落した飛行機もまだ追跡されていません。これは、宇宙の広大さを表しています。すべてこれは主の幻力です。

同時に、何もしないで静かに座って、すべてのことが主の幻力のために起こっていると言い切るのは間違っています。これらの物体を発見するためには正しいやり方で取り組まなければなりません。そういった努力により、新しい知識が修得されます。新惑星への宇宙旅行を禁止している人はいますか?いないですよね。新惑星へ旅したり探す時には、主の幻力を認めてください。沈没船の捜索のために海に潜る人は、神の創造物として山々やその他特別なものを発見します。現地に赴かない人は、この神の創造物には気付かないでしょう。

科学は著しく進歩しました。しかし、彼ら科学者たちは、すべての創造物には背後で支える存在があることを認めています。彼らは、いくつかの魔法やマントラがこの創造を支えていることに同意しますが、それをまだ発見できていません。ある重大な力が万物をまとめています。私たちはそれを理解しようとするべきです。

病気で倒れた時、私たちは病気を追い払うために様々な治療を試します。私たちは数種類の外用薬を試します。しかし、真に賢明な人なら、この病気の由来する箇所からグランティ(神経の結節)を見つけようとします。その人は徹底的に調査し、このグランティ(神経の結節)自体を取り除くことが可能かどうかを試します。しかし、その人はそれ以上のことは追究しません。この行動の副作用は何でしょうか?その人は限界を超えてこれ以上深く掘り下げることはできません。すなわち、このことが無限の知識の海です。

その鼻先や体が縄に縛られた牛が、主人の荷物を運ぶのと同じように、人間は、べき・べからず集であるヴェーダという縄に縛られており、尊敬すべきカースト(ヴァルナ:種姓)と人生の段階(アーシュラマ)のために履行すべき義務に従います。このようにして、最高の主の命令に従うのです。

ダッタ ナーラーヤナ

続く

PAGE TOP