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シュリーマド・バーガヴァタム 第106話

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アチュターヤ・ナマハ

ヴィドゥラは、本質的に行動や特質がない至高の主から、どのように行動や特質が生じたのかを知りたがりました。謙虚で物腰が洗練された喜ばしい仕方で、彼は続けて次のように問いかけました。

「子どもたちは、自分の自由な意思から玩具に夢中になります。遊び仲間や身の回りに転がる玩具と一緒に、彼らは一心不乱に遊びに夢中になるでしょう。しかし、主は常に満足しておられます。彼以外には、何も存在しないというのに、どうやって彼が遊戯の願望を持ち、その方向へ努力をすると言えるのでしょうか?一定の特質が彼の中に生じたこと、そして遊戯の楽しみのためだけに世界を創造したということは論理的ではありません。ですので、私の疑念を払拭させてください。

あなたは、超越的エネルギーを道具として用い、至高の主がこの宇宙を創造されたと言いました。それと同じエネルギーで、彼はそれを維持し、そしてもう一度それを彼自身の中に吸収します。主は私たちの理解を超えており、純粋な意識の姿です。そのような純粋意識が、生来的に、あるいは状況、空間、時間によって何かを欠くということはありえません。そのような主がどのように霊的無知(アヴィディヤ)、錯覚(マーヤ)との関係を築けるのでしょうか?

至高の主は二元的ではありません。彼とは違う、あるいは彼と等しいような、他の対象は絶対に存在しません。そのような主は、自己の姿であらゆる心の中に存在します。すべての心の中で支配者であるこの主が、彼の固有の至福の性質から距離を置きながらも、悲しみや行動に関与させられる理由は何ですか?偉大で知識の深き聖人よ!あなたの答えをもって、困惑に陥り、悲しみに沈んでいる私のこのマインドをなだめてください」とヴィドゥラは言いました。

アハンカーラ(自我)のない聖仙マイトレーヤは、ヴィドゥラのこれらの質問を聴き、主に祈り、そして優しい微笑みで答えました。

「ヴィドゥラよ、永遠に自由である至高の主が、苦を抱えた世界の一個人として現れます。二律背反の状況は純粋に彼の幻想であることを理解してください。

夢の中で誰かの首がはねられたのを見たからといって、それは現実ではありません。同様に、たとえ個人の実体が束縛されていないとしても、その人は自身が束縛されていると考えます。そのように彼は、自分自身が本来の姿とは異なっているように思います。そのような思考自体が霊的無知(アジニャーナ)です

池の水面に浮かぶ月はゆらめいているように見えますが、実際に動いているのは水であり、月ではありません。同様に、自己は身体・感覚などの自己ではない物体の属性とは無関係ですが、まるでそれらがその中に存在するかのように見えます。

世俗的/物質的拡大の道(プラヴルッティ・マルガ)を歩くのではなく、逆の道(ニヴルッティ・マルガ)を歩むことを決心し、「主への強い献身」と呼ばれるヨーガを本質的に習得し、それを通して、恵みを得る人である主ヴァスデーヴァは、少しずつ彼の霊的な無知を払拭し、自己の認識を達成するでしょう。

霊的無知(アヴィデャヤ)、自我意識(アシュミタ、自意識の感覚)、執着(ラーガ)、嫌悪(ドウェーシャ)、そして生への欲望(アビニヴェーシャ、死への恐怖)は、人間のマインドを傷つける五つの苦です。それらの束縛から感覚(インドリヤ)を引き下げ、至高の主と一つになったとき、これらの苦が払拭されるでしょう。

Aśeṣa-saṅkleśa-śamaṁ vidhatte guṇānuvāda-śravaṇaṁ murāreḥ
Kutah punas tac-caraṇāravinda- parāga-sevā-ratir ātma-labdhā
至高の主シュリ・ハリの栄光を歌うことによって、またはそれらを聴くことによって、苦しみと不純物は完全に洗い流されます」

このことを聴いて、ヴィドゥラはさらに質問しました。

「聖人よ!鋭い刀のように、あなたの答えは私の疑念をすべて打ち砕いてくれました。私のマインドは、至高の主の独立性、人間の依存性、想像上の束縛、そして永遠の真の解放に関する問題を把握するようになりました。聖人よ!あなたはその主題を明確に説明してくださいました。至高の主の幻力は、人間のマインドを汚す苦悩の根源です。霊的無知は、存在しない世界を存在するものと認識させる原因です。絶対的な愚か者と自己認識した賢明な者という二種類の人間だけがこの世界で幸福です。それ以外のすべての人々は、この二つの状態の間に閉じ込められ、永遠に嘆き悲しんでいます。これが私の意見です。非自己(アナートマ)であるものは決して真実かつ恒久的なものではあり得ません。

マハートマよ!あなたの御足に触れながら、私は霊的な知識を得ています。このことを通して私は私の霊的な無知を捨てるでしょう。おおグル(師)よ、あなたの蓮華の御足に奉仕することで、私は主シュリ・ハリの蓮華の御足に向かって深い愛情を育むでしょう。彼への蜜のように甘い愛を通して、私の苦悩は追い払われるでしょう。

マハートマの助けを借りて、人はシュリ・ハリに到達することができます。不分別な苦行を通してでは、偉大な聖者たちの聖なる御足に仕える機会を得ることはできません。それは不可能です。偉大な聖者たちのいる場所では、至高の主シュリ・ハリの栄光が永遠に歌われています。

創造の初期段階に、創造物の原則すべての行き渡る至高の主は、マハト・タットヴァ、五大元素、そして他の原則を創造しました。そして、それらの一部分を通して、彼は普遍的な姿を顕現させました。その後、彼は知性としてこの普遍的な姿に入り、その中に留まりました。

この普遍的な主は原始的存在(アーディ・プルシャ)です。マハートマは、「彼」には無限の足、手、頭、太ももなどがあると述べています。巨大な宇宙すべてが「彼」の中に存在します。音や他の感覚、主宰の神々、十種類のプラーナ(生命の力)もまた「彼」の中に存在します。アルファベットも「彼」から生まれました。

このようにして、あなたは親切に普遍的な姿について私に説明しました。どうか慈悲によって彼の栄光を私にお話しください。

この巨大な普遍的な主の中には、数えきれないほどおびただしい家族や無数の生き物が存在しています。この創造全体は生き物でいっぱいです。この普遍的な主は、マリーチなどのすべてのプラジャパティの指導者です。

主は、どのように、いつ、どのような順番でプラジャパティを創造されましたか。どのようにして、彼はマンヴァンタラとして知られている様々な時代の主を創造しましたか?創造の短い期間はどうやって生まれたのですか?」

このようにヴィドゥラは聖仙マイトレーヤに質問しています。

アチュターヤ・ナマハ

続く

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