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シュリーマド・バーガヴァタム 第154話

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ケーシャヴァーヤ・ナマハ

水面に太陽の反射が写っています。この太陽の反射が家の壁に写っています。その時二つの反射があります。壁に写っている太陽は、水面の太陽の反射であり、それは空の太陽の反射でもあります。

同じように、純粋意識(シュッダ・チャイタニヤ)は最初にトリグナ(純質・激質・暗質の三属性)からなる自我(エゴ、アハンカーラ)に反映されます。次に五大元素、感覚、内なる心(アンタカラナ)に反映されます。

言い換えると、この体、感覚、心の中に存在する純粋意識の照明は経験することができるということです。それでもこの照明は自我の照明の反映にほかならないことを理解する必要があります。

深い眠りの中では、微細な元素、感覚、心、知性などは、名前や形の制限がない、微細な本質(根本原質)の中に溶け込んでしまっています。そのような時も真我の意識(アートマ・チャイタニヤ)は溶け込んでいません。それは永遠の目撃者として留まり、自我(私という感覚)を持っていません。

起きている間は、この真我はドゥルシュタ(見る者)として照らします。見る者(ドゥルシュタ)自身が真我であることを理解しなければなりません!深い眠りの間は、個人は破壊されたと信じ込み、そのために悲しみます。その人は富を失った人のように不安になります。

肉体、感覚、心、知性、自我(私という感覚)は真我の意識の中にただ避難所を求め、その中で輝くことだけを求めます。知識のある人は叡智でもって徹底的にそれらを精査して、真我の真髄(アートマ・タットヴァ)を理解します。

これを聞いてデーヴァフティは尋ねました。「おお主よ、根本原質と真我(プラクリティ/プルシャ)はその永遠なる関係性のためにお互いに避難所をとります。どんな場合でもプラクリティ自体はプルシャから離れることはありません。土から臭いを分けるのは無理ですよね?それは一つであり同じものです。そのように水と味も分かれたものではありません。

同じように、根本原質(プラクリティ)と真我(プルシャ)は離れることはできません。本来真我は行為には関与しません。しかし根本原質の特性と一緒になると、真我はこのカルマの縛りに巻き込まれるのです。

さて、この根本原質の三つの属性は永遠に存在します。そういう状況ならば、どうやったら真我はカルマの束縛から解放されるのでしょうか?

ヨーギーが真我実現のために、サムサーラ(輪廻)の恐怖がなくなっても、サムサーラの根源である根本原質の三つの属性は破壊することはできませんよね?それが永遠にある以上、この世俗の束縛がまた生まれる余地がありますよね?

カピラ・バガヴァーンは答えました。「おお母よ、ヨーガの実践者は純粋な心と非利己的な態度で、自身のダルマ(スヴァダルマ)をしっかりと守らなければなりません。いつでも私の神聖な栄光を聞き、私に対する強い信愛を持たなければなりません。

このテーマが繰り返されることに気づきます。このバーガヴァタムを通して私たちに手渡された、創造の背後にある全ての知識と科学に関係なく、シュリハリに対しての信愛が強調されています!本当にこの幻惑のベールを切り開きたいのなら、主に関する話を義務として聴かなければなりません!主に心を永遠に定める必要があります。

信愛を強める努力をすべきです。根本原質と真我の真の形を知るようにするべきです。それが分かれているものだと考えてはいけません。揺るぎない無執着で、規律、熟考、真我の探究を絶え間なく行う必要があります。最大限の心の集中は必須です!

燃える丸太の火が少なくなって全体が灰になるように、この規律を熱心に遵守する実践者は、この転生で徐々に霊的な無知(アヴィディヤー)を解消するでしょう。

知的な人はこの根本原質が全ての悲しみの唯一の原因であることを理解すべきです。この事実がよく吸収されたときにはじめて、根本原質との同一化をやめるでしょう。自分から距離を取るようになります。

根本原質は、自身の内なる至福に完全に没頭した人の中に、縛りを生み出す力はありません。

人は夢の中で様々な問題に出会い、ひどく苦しみます。しかし目覚めると夢はもう何の影響をもたらしません。夢を忘れてしまいます。

Evaṁ vidita-tattvasya prakṛtir mayi mānasam
Yuñjato nāpakuruta ātmārāmasya karhicit

根本原質/真我の原理を理解し、心を私だけに定め、内なる至福を楽しむヨーガの実践者に、根本原質が心酔を引き起こすことはありません!その人に害を与えることはありません。

このように賢者が非常に多くの生を真我に確立して過ごすとき、その賢者は快適なもの全てへの完全な無執着を獲得します。それからブラフマの住まい(ブラフマ・ローカ)に達します。私の至高の祝福があって初めて、知的な者は至高の知識を獲得します。真我の知識を通して全ての疑問を打ち消します。

その人はまさにこの生で私の住まい、つまり真我の姿を得ます。それは「解放」または究極の至高の至福としてよく知られています。言い換えると、生きている間に解放を得るのです(ジーヴァンムクティ)。微細な体の崩壊の後、そのジュニャーニはもはや生まれ変わりません。

おお母よ!全てのヨーガの力とは、そのような達成した存在のエネルギーで強力になります。様々な超常的能力は、幻想でありますが、純粋にヨーガを通して起こります。これ以外の方法はありません。

しかし、達成したヨーギーがそのような超常的パワーに無執着であるとき、その後そのヨーギーは究極の解放を得て、完全に私に融合します。そして死は永久に破壊されるため、死から解放されます。

これで第二十七章を終わります。

ナーラーヤナーヤ・ナマハ

続く

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