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シュリーマド・バーガヴァタム 第158話

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トリヴィクラマーヤ・ナマハ

ある時期人は、霊的無知(アヴィディヤ)のために喜びと悲しみを経験していると信じていました。今やこの信念すらも偽りの自我(アハンカーラ、私という感覚)のためであり、またそのような私という感覚は実際のところ幻想であるということを認識しています。これは真我認識を達成し、人生の目的を果たしたジュニャーニ(最高に知識のある人)の最後の転生で起こります。

酔っぱらった人は自分の腰が布で覆われているかいないかを気にしません。同じように、真我に完全に立脚したジュニャーニは動いていたり、座っていたり、立っているのにかかわらず、肉体に注意を向けることはありません。プララブダ・カルマ(現在の体に責任があるカルマの一部)が果たされるために残っているうちは、十の感覚と五つのプラーナの動きからできたこの肉体を保持します。本当の真我を認識し、この知識に確立したヨーギ―は、ここで物質的世界や、親せきと関係しているように見えても、生まれ変わることはありません。

真実はこの肉体も夢のように幻想であるということです!それは存在していません。真実ではありません。人間はつねに自分の富や家族に対して、自分の、自分のものという感覚を持っていますが、真実においては、その全てのものからは別の形で人間は輝いているのです。同様に、肉体の内なる居住者である真我は、自ら肉体や感覚とは真実において異なるものであるのにかかわらず、体や感覚だと錯覚しているのです。

煙、炎、火花は火から出ますが、そういうものとして火の一面だと考えられます。実際火は煙や炎、火花とは違うものです。同様に真我の照明で、心、肉体、感覚が照らされるわけですから、それらすべてのものとは違うものです!ブラフマとして知られる主はプラクリティ(根本原質)とは違うものです。

Sarva-bhūteṣu cātmānaṁ sarva-bhūtāni cātmani
Īkṣeta ananya-bhāvena bhūteṣv iva tad-ātmatām

五つの根本元素から生まれる物質を精査すると、それらが五大元素にほかならないことは明らかです!ジュニャーニは全ての対象は自分の中だけに存在し、真我(アートマ)の形で全ての物の中に浸透しているのは自身であることを気づきます。

一つの火のみがあります!しかし様々な木の形の違いのために火は異なって見えます。実は、真我とブラフマは一つであり同じものなのです。それは様々な身体的活動を通して現れます。それぞれの体の中のトリグナ(根本原質の特質)の比率の違いのために、真我(アートマ)はそれぞれ違って見えるのです。
根本原質(プラクリティ)は主の幻惑的力(マーヤ・シャクティ)にほかなりません!それは原因と結果(カールヤとカーラナ)の両方を変化させ、生き物を惑わします。そのため帰依者はそれを手放して、真我の中に自身を確立させる必要があります。

第三巻二十八章は終わります。
第三巻二十九章
この章ではバクティ(信愛)と時間の覇権の秘密について説明されます。

デーヴァフティは尋ねました。「おお、主よ!これまで根本原質と真我、マハトと他の原理をサーンキャ哲学(シャーストラ)に基づいて説明していただきました。これらの特質に基づいて、その内なる真髄を理解することができます。年長者たちはこの知識はバクティの道を進むための道具であると明言しています。ですから、ここでバクティの道を非常に詳細に説いていただけませんか?

おお主よ!すべてに対して完全に嫌悪感を抱くようになる知識を私に説明ください。このサムサーラ(輪廻転生)で生き物が達することができる様々な段階についてご説明ください。

Kālasya iśvara-rūpasya pareṣāṁ ca parasya te
Svarūpaṁ bata kurvanti yad-dhetoḥ kuśalaṁ janāḥ

ブラフマやほかの神々のような主をも規制する時間はあなたさまから異なるものではありません!時間の助けを借りて、生き物は徳のある行為を行います。時間という形態についてどうぞご説明ください。

人間は実際には幻想である肉体を永遠の真我のように誤解します。霊的知識を欠いているため長い間人間は世俗の束縛(サムサーラ)として知られるこの暗闇の中で眠っています。永遠に行為しているため、人間は疲れ果てています。そのような時に、知識と呼ばれる太陽であるあなたが、人間を救うために転生しました。

カピラ・ムニはこれらの旋律的な言葉を母が話すのを聴いて深く喜びました。彼のハートは慈悲で満ちていました。母を認めてカピラは言いました。
「おお母よ!バクティ・ヨーガでは多くの道があります。マハトマは全ての種類の道を認めています。また、人間の意見はその性質や特質によって異なります」

Abhisandhāya yo hiṁsāṁ dambhaṁ mātsaryam eva vā
Saṁrambhī bhinna-dṛg bhāvaṁ mayi kuryāt sa tāpasaḥ

トリヴィクラマーヤ・ナマハ

続く

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