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シュリーマド・バーガヴァタム 第160話

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Yo māṁ sarveṣu bhūteṣu santam ātmānam īśvaram
Hitvārcāṁ bhajate mauḍhyād bhasman-yeva juhoti saḥ

真我の形で私は全ての存在の中におり、その肉体と十の感覚を統御します。この概念を拒絶し、代わりに私を神像としてだけ礼拝することは灰でホーマを行うことに等しいのです。
分離(二元性)を信じて、人をひどく嫌悪したり妬んだりする人は、実は私を嫌っているのと同じです。私は真我(アートマ)であり、全ての存在の内にいるからです!そのような人は心の平安を決して経験できません。

たとえ、入手できる最高の物で、できる限りの神像として私への礼拝をしても、ほかの生き物を無視したり虐待するならば、その礼拝はその素晴らしさに関係なく、どんな幸福も与えてはくれません。

Arcādāv arcayet tāvad īśvaraṁ māṁ sva-karma-kṛt
Yāvan na veda sva-hṛdi sarva-bhūteṣv avasthitam

「私は全ての存在の中にいる主である」という真実を理解するまでは、人は私の神像を礼拝し続けて、規定された義務を固く守る必要があります。
二元性を信じている人間は自分がほかの存在からは違うものだと理解します。またパラマートマとは違うものだとみなします。その人にわずかな二元性の感覚があったとしても、私は死という形でその人に酷い恐怖を引き起こします。

Atha māṁ sarva-bhūteṣu bhūtātmānaṁ kṛtālayam
Arhayed dāna-mānābhyāṁ maitryābhinnena cakṣuṣā

私は全ての生き物の中に真我として存在しています!そのため帰依者は全ての生命に等しい感覚を持つことが不可欠なのです。自分より優れた人を尊敬する必要があります。平等心で友好的であるべきです。自分より低い生活をしている人には慈善を行う必要があります。このように振る舞うことは私を礼拝することに等しいのです。
おお母よ、吉祥の姿よ!生物は石のような無生物よりも優れています。生物の中で呼吸する動物は木よりも優れています。そのような動物より優れているのは、心を持っている生物です。さらに優れているのは感覚的に知覚する生物です。

感覚的に知覚する生物の中で木は触覚だけを持っています。味覚がある魚は木よりも優れています。嗅覚があるミツバチやほかの昆虫は魚よりも優れています。聴覚がある蛇はこのミツバチより優れています。視覚があるカラスやほかの生物はこの蛇よりも優れています。
上下の歯を持つ猿や動物はカラスよりも優れています。多くの足を持つ昆虫は足がない生物よりも優れています。さらに優れているのは四本の足を持つ動物です。

二本の足がある人間はその四本足の動物よりも優れています!人間は四つに分類されます。その中でブラフミンは最高です。ブラフミンの中でもヴェーダを知っているものはさらに優れています。中でもヴェーダの意味を知っているものはさらに優れています。ブラフミンで、さらにヴェーダの意味を理解することに加えて、その中の疑問を解決できるものはさらに優れています。

そのブラフミンよりも優れているのは、逸脱することなくヴェーダの命令を厳格に従うブラフミンです。このブラフミンよりも優れているのは、世俗的な束縛に無執着を培いながら自分のダルマ(スヴァダルマ)に厳格に従う人です!

しかし私に完全な非二元的な態度で、体、全ての行為と行為の成果全てを私に完全に明け渡すものは最高の人です!これは究極の知識です。そのような人は非二元の原理を信じています。最高に博識な人(ジュニャーニ)です。知性や行為を私に完全に捧げます。そのような人は全ての中に真我(アートマ)の形での私を見ます。全創造の中でそのような人よりも優れている存在を見つけることはできません。

Manasaitāni bhūtāni praṇamed bahu-mānayan
Īśvaro jīva-kalayā praviṣṭo bhagavān iti

至高の主ご自身が個々の存在として全ての生物の中に入られました。そのため帰依者は全ての生命の形態に敬意を持ち、お辞儀をするべきです。

Bhakti-yogaś ca yogaś ca mayā mānavy udīritaḥ
Yayor ekatareṇaiva puruṣaḥ puruṣaṁ vrajet

おおマヌの娘よ!アシュターンガ・ヨーガとバクティ・ヨーガの両方を教えました。そのどちらか一つを実践する霊的志向者は人生の究極の目的に到達します。

Etad bhagavato rūpaṁ brahmaṇaḥ paramātmanaḥ
Paraṁ pradhānaṁ puruṣaṁ daivaṁ karma-viceṣṭitam

根本原質(プラクリティ)とこの根本原質を超越した真我(プルシャ)、個人の成果のある行為の貯蔵庫、ダイヴァンはパラブラフマ(パラマートマ)と知られる至高の主の姿にほかなりません。
主の幻惑的な力は、無数の形からできているこの広大な宇宙に顕現しています。これに責任がある究極の主の力は時間(カーラ)として知られています。
ヴァーマデーヴァーヤ・ナマハ

続く

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