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シュリーマド・バーガヴァタム 第189話

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ルドラは祈りました、「おおシュリハリよ!おお恩恵を与えてくださる御方よ!この宇宙の創造においては、あらゆる存在が、あなたの蓮華の御足を崇めています。マーヤーに束縛されている欲望でいっぱいの存在も、完全に離欲を生きているマハルシもです。私の心はあなたの聖なる御足だけに、しっかりと結びついています。ですから、愚か者が誤って私を責めたてたとしても、私はそんなことは少しも気を留めません。」

スワミジの説明:

私の心が完全に主に結び付いている時、「私と私のもの」という感情が入り込む余地が、どこにあるのでしょうか?たとえ偶然に「私」という感情が私の心に入り込んだとしても、私の心は主の御足に結びついているのですから、そうした「私」という感情も、あなたの御足に行き着くのです。私は単なる道具にすぎません。

ちょうど電線が電気を送電するように、「私」はあなたの蓮華の御足に全てを送る線のようなものなのです。

電力供給が絶たれる時、電線は何の役にも立ちません。電線を断ち切って地面に捨ててしまえば、徐々に土に分解されていきます。電線は単独で存在することはできません。同様に、「私」の心が完全にあなたの御足だけに結び付いている時、この電線のように、私はもはや単独で機能することはありません。ですから、「私」に向けられた非難でさえも、「私」には属しません。同様に誰が「私」を称賛しようとも、それは私には属しません。私は称賛と非難の両方をあなたに送ります。

ルドラは続けました、「私の心はあなたの蓮華の御足だけに結び付ついているので、私に向けられた崇拝は、完全にあなたに属するのです。」

ブリグ・マハルシは祈りました、「おお至高の主よ、ブラフマーに始まる全ての存在は、あなたのマーヤーを超えることはできず、完全に幻想の世界に支配されています。この幻想があるがために、生命体は己の真実の姿を理解することができません。これについては、ブラフマーやその他の神々も同じです。彼らは無知の中に眠っており、そのために、あらゆる生命体の中に真我(アートマ)として存在するあなたを知ることができないのです。

主よ、あなたは生命体の中に住まわれます。あなたが存在なのです。あなたが生命体の中で動いているのです。彼らは言葉ではそれを認めているけれども、そして、ある程度は行動でも認めてはいますが、ハートの奥深くでは、あなたが全てであるということを本当は信じていません。」

スワミジの説明:

ある人たちは、このサンサーラの海(輪廻転生)を渡る方法を伝えます。またある人たちは、他の人たちがこの海を渡れるように手助けしますが、彼ら自身はそれを渡ることはできないのです。これがマーヤーです!「私はたくさんの人がこの海を渡るのを助けてきました。ですから、私も簡単に海を渡ることができます」と言うのですが、実のところ、彼らは渡ることはできないのです。

ですから、まずは自身で海を渡ってから、沈んでいる人たちを助ける方が良いのです。岸辺にたどり着こうともがいている時に、他の人たちを助けようとするのは正しくありません。あなたは自身の旅路に必要な正しい叡智を身につけている時にのみ、他の人を助けようと試みるべきです。その逆はありません。

主は、真我という形で私たちの中に住んでいます。そして、私たちは主の中に住んでいます。ここで、ブリグ・マハルシは主に尋ねます、「私は、私の中にいる主を認識することができません。どのように私はあなたを認識するのでしょうか?あなたはどのような形で私たちに中にいらっしゃるのでしょうか?」

主はあらゆる姿で存在しています。これが、「yā devi sarva bhuteśu .. namas tasyai namas tasyai namas tasyai namo nama ヤー デーヴィ サルヴァ ブーテーシュ …ナマス タスヤイ ナマス タスヤイ」という賛歌の意味です。この賛歌は、至高の母は、肉体、心、知性、行為、仕事等という形をして、全ての生命体の中に存在していると言っています。そのリストは長く、あらゆる可能性を組み込んでいます。あらゆるものとして存在している主に対して、私はお辞儀を捧げて賛歌を唱えます。

私たちはこの賛歌を唱えても、実際には私たちの中にいる主を理解することはできません。私たちは、この賛歌の意味を理解しようとすらしていません。

ブリグ・マハルシは続けました、「あなたは皆の親友であり、親戚です。あなたは、アートマ・バンドゥです。あなたが私に喜んでくださいますように。」

その後、ブラフマーは祈りました、「おお主よ、この世界を感覚という媒体を通して見ている無知な人間は、物体の中に存在する違いだけを知覚します。彼は物体を個別の存在と見なします。そして、物体を大きい、小さい、重たい、軽い、苦い、不透明、透明、甘い、固い、液状等と分類していきます。ですから、本質を知ることができないのです。そうした物体の違いに視点を置いている限りは、あなたの真の姿も本質も理解することはできません。

真実は、あなたの中には違い(アベーダ)は存在しないのです。あなたは、全ての物体の中に等しく存在しています。この叡智が把握される時にだけ、あなたの真の本質が理解されます。なぜなら、あなたが叡智であり、知性であり、物体であり、そして、物体を知覚する感覚器官であるからです。あなたは全てなのです。」

スワミジの説明:

明るい、暗い、不透明、透明、重い、苦い、甘い―私たちは、こうした違いが神であるという知性を持たなければなりません。物体の違いを認識する知性でさえも、神なのです。主に対する非二元性の感覚を発達させなければなりません。「あなたと私は一つであり、同じです」と、考えるべきなのです。

最初のステップとして、あなたは「あれら」の物体は至高の主の顕現であると認識します。

その後、この物体に関する知識はもちろんのこと、物体を見ている「私」もまた、神であると理解する必要があります。私、あなた、あなたのことを教えてくれる知識―全てが神なのです。この認識が内側から生じてこなければなりません。

ケーシャヴァーヤ・ナマハ

続く

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