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シュリーマド・バーガヴァタム 第224話

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シュリハリは続けました、「民を守るというダルマによって、王は吉祥を授けられる。王は、民による称賛すべき行為の内、その六分の一を得る。そして、天上界でその功徳を享受する。これとは対照的に、民を守らず、また、彼らの健康のために努力せずに、労働と税金を搾取する王は、彼らの罪が付与される。そして、王の功徳(プンヤ)は、民へと流れていく。

したがって、マハルシたちが定めるダルマに従って生きるのだ。全てを等しく扱いなさい。そして、均衡を保つのだ。国を治めるという仕事は、世襲的に獲得される。民、そして、国を賢明に統治しなさい。遠からずして、悟りを開いた聖者方があなたのところにやってきて、祝福を与えることだろう。

おお王よ、私は、あなたの模範的な性格と資質を喜ばしく思っている。何らかの恩恵を求めなさい。私は、喜びと悲しみを等しく見る者のそばにいるのだから。善き性格や資質を欠いた者が、どんなにたくさんのヨーガ、ヤーガ、プージャ、苦行、あるいは、儀式を行っても、私はそれに満足することはない!」

創造の全てに遍在し、その光で照らす主シュリハリからの甘露の言葉を聞いて、プリトゥ王は大変喜びました。そして、国の統治に対する神の命令を謹んで受けました。

己の行動を恥じたインドラ神は、プリトゥ王の足にひざまずきました。プリトゥ王はインドラ神に対する敵対心を捨てて、彼を優しく立ち上がらせ、抱きかかえました。そして、溢れんばかりの献身の念を込めて、この世界の顕現そのものであるシュリハリを愛情豊かに礼儀正しく崇拝し、主の蓮華の御足を抱きました。

シュリハリは、心清き人たちを友とします。神は信奉者たちに取り囲まれながら、出発の準備をしていました。しかし、その慈愛に満ちた眼差しは、プリトゥ王に向けられたままでした。そのため、その場を発つことができませんでした。

プリトゥ王は、神が自分を愛するがゆえに出発できずにいることが分かっていました。王は合掌して、敬意のお辞儀を捧げました。しかし、眼は喜びの涙でいっぱいであったため、視界はぼやけていました。そのため、主の姿をはっきりと見ることができませんでした。プリトゥ王は、ただ起立した状態で合掌し、心の中で主を抱きしめることしかできませんでした。

プリトゥ王は、静かに涙を拭いました。ガルダが肩を持ち上げ、シュリハリはそこに御手を乗せました。蓮華の御足は地につけたままでした。プリトゥ王は長い間、神を見つめていましたが、それでも心満たされることはありませんでした。そして、言いました、

「おお主よ、あなたは、恩恵を授ける神々の神であられます。肉体が己自身だと思っている者たちは、感覚の罠にはまって、欲望を抱きます。しかし、知性ある者たちは、御身の恩恵という形で顕現している欲望を満たそうとはしません。なぜなら、感覚的な喜びは、地獄の罪人でさえも享受することができるからです。ですから、私は、解放を授けられる神である御身にそのような恩恵を求めたいとは思わないのです!

おお神よ、マハトマは、自らの胸の中に御身の蓮華の御足を抱き続けます。そうした聖者方の唇から、御身の蓮華の御足という甘露は、あなたの神聖な物語という形をして滴り落ちるのです。そうした甘露がなければ、私は解放を求めたくはありません。ですから、おお神よ、どうか、御身の神聖なる物語を百万個の耳で聞いて得られる喜びを私に祝福してください。私には、それこそがもっとも大切な恩恵です。

おお神よ、我々、生きとし生ける者の心は、すぐに動揺して不安定です。私たちは、至高の叡智の道を忘れてしまっています。御身の蓮華の御足という甘露は、偉大な聖者方の口から滴り落ちます。その甘露の滴を運ぶ空気が肌に触れただけでも、大きな満足がもたらされます。そうして、私たちは御身を思い出す機会に恵まれるのです。ですから、おお神よ、私はいかなる恩恵も求めたくないのです。

おお神よ、御身の評判は純然たるものです!獣のような質の愚者を除いては、聖者と交流して偶然にも御身の神聖な物語を耳にした者は誰でも、自然とその話を繰り返し聞きたいと思うようになるのです。

率直に言うと、愚者でさえも、神聖な物語をありがたく思います。「何とすばらしい。もう一度、最初から聞きたいものだ」と思うのです。しかし、完全に動物的な質をした者が、神聖な物語を聞きたいと思うことはありません。その者には、御身の神聖な物語に秘められた偉大さが分からないのです。御身の栄光を聞いた後でさえも、それを感謝できずにいるのです。なぜなら、理解力がないのです。悪魔的な道に戻ろうとしているがゆえのことなのです。つまり、地獄に戻りたいのです。そのため、獣のような質を表現して、地獄へと至る道の準備に取り掛かったのでしょう。神の御名を聞いて鳥肌の立たない者や、「こうした神の話をもう一度、聞いてみたい」と思わない者は、間違いなく愚か者です。そうした者には、神聖な物語に秘められた喜びを味わうことはできません。これがプリトゥの言わんとすることです。

母なる女神ラクシュミーもまた、御身の神聖な栄光を聞きたいと思いました。御身の神聖な特質の全てが語られているからです。女神ラクシュミーのような情熱をもって、私も御身の神聖な栄光を聞きたいと思っています。

人は、繰り返し、神の栄光について聞かなければなりません。何回も何回も、神の栄光を思い起こさなければならないのです。そして、繰り返し、神聖な御名を唱えるべきなのです。

おお神よ、トリグナの避難場所であられる御方よ!女神ラクシュミーと私は、唯一神であられる御身への奉仕の機会をめぐって競うことでしょう。私たちの心は、永遠に御身の蓮華の御足に結びついています。ですから、どうか、私たち二人が喧嘩しないように、そして、私たちが敵対しないようにしてください。」

ハラーイェ・ナマハ

続く

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